しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん、しーとーーぴっちゃん♪
哀しく冷たい 雨すだれ♪
涙かくして野菜を切る、とくらぁ…
ということで朝食の支度でてんてこ舞いなんですが。
だいたいこいつらですね、食べ物にうるさいんですよ。
肉は食わないだの、卵は飽き飽きしただの
しまいにゃコーンフレークを二種類混ぜるのはヤメテだの?
ふざけるな、ゴルァ~!!!(; ・`д・´)怒
食うものがあるだけ有難いと思え! てなもんです。
昔の兵隊さんに顔見せできんだろ、申し訳ないじゃないか!
兵隊さん有難う!
なんて親からよく言われてたんですが、今風に言えばなんて言えば効果がありますかね?
だいたい食べ物に文句ゆーな、ちゅーに…
まあ、わたしゃこれまでの人生で料理なんて作ったことがなかった。
朝は抜いて昼はのり弁、夜は松屋の牛丼セット、若い頃はこれで一年過ごせたくらいに食べ物には無頓着。
でも、まあ作らにゃならんようになって、興味のない料理を研究してるんですわ。
カオニャウ(もち米)にナムプリック(唐辛子ペースト)っていう栄養が著しく偏った食生活は、あまりにも可哀そうかな? なんて思いましてね。
子供との別居生活が三年程あって、そんで母親が育児放棄して出て行って、そんで再び家に舞い戻って来たんですが、その時は住み込み家政婦が居たんで家事の事なんて考えてなかったんでね。
子供たちにとっては、突然母親が居なくなるわけですから、そりゃぁショックだったでしょうよ。
顔に現れてましたからね、今思い出しても可哀そうになります。
息子は10歳で、娘は7歳になったばかり。
でも家政婦が引き続き同居するってことで、不安な気持ちが少しでも減るだろうと、安心できるだろうと思って、そのまま雇ったんですよ。
そしたらですね、これから通いにするとか言い出して実姉のアパートへ引っ越すと、しかも勝手に私のバイクを持ち出して、遅刻はするわ仕事量は極端に減るわで、もう往生しました。
そのウーンと呼ばれる家政婦、タイ国に不法滞在してたミャンマー人のタイヤイ族なんですが、途中でパスポートやら滞在労働VISAやらも取得してあげたんです、あ、ついでにタイ語学校へも通わせてあげたから5年間で随分とタイ語能力が上達して、学校の準備といった育児に関する雑事は全てこの家政婦に丸投げしてたようです。
そういう訳で、娘にとっては物心ついた時から母親代わりですわ。
朝の身支度、制服の用意、髪の手入れ、すべてウーンがやってくれたわけです。
ま、かんな感じで、このカラフルゴムは学校に流行らせました。
ヘアーアーティストとしては才能があります。
これはちょっと、芸能人かぶれな感じ感でしょうか。
先生方からも好評でして、「サワディー・カ、コン・スワェ~~イ!」(綺麗な娘さん、おはよう)なんて言われてたんですが、それって本人にとっては大切な記憶のようです。
いまでは、ボサボサの寝ぐせ頭のまま登校してますからね~(-_-;)
まだ仲が良かった頃、ほんとに妹おもいのお兄ちゃん。
今は顔を見れば喧嘩 (親の縮図?ww)
それ以外、たいした育児なんてやってないし、飯だってマズかったんだけど、立場的に思い上がったところがあるでしょうね。
「私が居なきゃ、この家は成り立たない」と。
はやい話、元妻(タイ人)の手駒、便利な重要アイテムだったわけです。
そして、ウーンにとってのボスは一人だけ、直接給料を手渡してくれた元妻だけだったのですね。
二人の利害は見事に一致していました。
ね~~。
相互依存ってやつですね。
どちらも極端な貧困出身ってことで、「お互い分かり合えてる~」みたいな、目と目で会話するような空気を醸し出していましたね。騙されてるのはウーンだけですけどねww
ついで私は金を持ってくる集金マシーン、ODAとかで税金を外国に貢ぎ続ける日本国と同じような役目だったようですが、その話は置いといて((;^ω^)。
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え~、ハッキリ言って、ウーンにとっては育児は仕事、労働の対価を得る作業に外なりませんでした。
言われたことはやるが、仕事として割り当てられてなければやらない、それは露骨な態度として見て取れましたが、子供たちにとってはそうではなかった。
愛すべき家族だったのです。
着の身着のままミャンマーから逃げるように不法滞在でタイへ入国し、途中でタイ警察に捕まって、裏ルートから奴隷として売られたとて不思議じゃなかった人生です。
ロヒンギャ族難民、タイに逃げて来ちゃー奴隷として売られてましたが、あの哀れな境遇の方たちと同じ身分です。
それがどうだい?、アイドルでいえばセンターですよ、家の要と言ってもいい立場。
これは漬け上がりますわ。
「人生勝った」と思ったでしょうね。
努力せずとも給料は毎年上がる、住居費や水道光熱費はおろか食費までタダですから。
その夢のような待遇が、人生の絶頂期ともいえる状態が一夜にして崩れ去ったのです。
小うるさい日本人が帰って来たのですからね、サイバイサバーイ(快適)は許されません。
まずは片手スマホ、片手掃除から戒めましたね。
そんなことやってたら仕事量が増えないんですから、日本人的には当然なんです。
ところがところが? これがお局様(ウーン)の逆鱗に触れたのか?
だんだん仕事が横着になってゆきました、逆効果ってやつですねマイリマシタ
恐らく、こう考えたでしょうね、
「またもとの輝かしい生活にもどりたい。それにはこの小うるさくケチな日本人を追い出さねばならない。子供たちは私の味方、私が居なくちゃ生活できないくらいに依存している。ボスの意向も同じだし、困らせて育児を投げ出させるのが私の役目」
なにが哀しゅーて、こんな家政婦と戦わにゃならんのか…、ですよね。
自ら望んで一日八時間労働という一般労働者待遇になったウーンです。
しかも土曜は半日、日曜祭日は休みと決め込んでおります。
それに応じる形で毎年昇給という元妻の作った慣習を絶ち、減給なしで現状維持でも好待遇だと判断したのですが、その結果、どうなったのか?
巧妙に仕掛けられた罠、つまり元妻のシナリオに沿った方向だった?
それはまたいつか(*^-^*)
イチゴを摘む時の集中力、これを勉強で維持して欲しい!!!
応援してくださる皆様、どうもありがとうございますm(__)m
哀しく冷たい 雨すだれ♪
涙かくして野菜を切る、とくらぁ…
ということで朝食の支度でてんてこ舞いなんですが。
だいたいこいつらですね、食べ物にうるさいんですよ。
肉は食わないだの、卵は飽き飽きしただの
しまいにゃコーンフレークを二種類混ぜるのはヤメテだの?
ふざけるな、ゴルァ~!!!(; ・`д・´)怒
食うものがあるだけ有難いと思え! てなもんです。
昔の兵隊さんに顔見せできんだろ、申し訳ないじゃないか!
兵隊さん有難う!
なんて親からよく言われてたんですが、今風に言えばなんて言えば効果がありますかね?
だいたい食べ物に文句ゆーな、ちゅーに…
まあ、わたしゃこれまでの人生で料理なんて作ったことがなかった。
朝は抜いて昼はのり弁、夜は松屋の牛丼セット、若い頃はこれで一年過ごせたくらいに食べ物には無頓着。
でも、まあ作らにゃならんようになって、興味のない料理を研究してるんですわ。
カオニャウ(もち米)にナムプリック(唐辛子ペースト)っていう栄養が著しく偏った食生活は、あまりにも可哀そうかな? なんて思いましてね。
子供との別居生活が三年程あって、そんで母親が育児放棄して出て行って、そんで再び家に舞い戻って来たんですが、その時は住み込み家政婦が居たんで家事の事なんて考えてなかったんでね。
子供たちにとっては、突然母親が居なくなるわけですから、そりゃぁショックだったでしょうよ。
顔に現れてましたからね、今思い出しても可哀そうになります。
息子は10歳で、娘は7歳になったばかり。
でも家政婦が引き続き同居するってことで、不安な気持ちが少しでも減るだろうと、安心できるだろうと思って、そのまま雇ったんですよ。
そしたらですね、これから通いにするとか言い出して実姉のアパートへ引っ越すと、しかも勝手に私のバイクを持ち出して、遅刻はするわ仕事量は極端に減るわで、もう往生しました。
そのウーンと呼ばれる家政婦、タイ国に不法滞在してたミャンマー人のタイヤイ族なんですが、途中でパスポートやら滞在労働VISAやらも取得してあげたんです、あ、ついでにタイ語学校へも通わせてあげたから5年間で随分とタイ語能力が上達して、学校の準備といった育児に関する雑事は全てこの家政婦に丸投げしてたようです。
そういう訳で、娘にとっては物心ついた時から母親代わりですわ。
朝の身支度、制服の用意、髪の手入れ、すべてウーンがやってくれたわけです。
ま、かんな感じで、このカラフルゴムは学校に流行らせました。
ヘアーアーティストとしては才能があります。
これはちょっと、芸能人かぶれな感じ感でしょうか。
先生方からも好評でして、「サワディー・カ、コン・スワェ~~イ!」(綺麗な娘さん、おはよう)なんて言われてたんですが、それって本人にとっては大切な記憶のようです。
いまでは、ボサボサの寝ぐせ頭のまま登校してますからね~(-_-;)
まだ仲が良かった頃、ほんとに妹おもいのお兄ちゃん。
今は顔を見れば喧嘩 (親の縮図?ww)
それ以外、たいした育児なんてやってないし、飯だってマズかったんだけど、立場的に思い上がったところがあるでしょうね。
「私が居なきゃ、この家は成り立たない」と。
はやい話、元妻(タイ人)の手駒、便利な重要アイテムだったわけです。
そして、ウーンにとってのボスは一人だけ、直接給料を手渡してくれた元妻だけだったのですね。
二人の利害は見事に一致していました。
ね~~。
相互依存ってやつですね。
どちらも極端な貧困出身ってことで、「お互い分かり合えてる~」みたいな、目と目で会話するような空気を醸し出していましたね。騙されてるのはウーンだけですけどねww
ついで私は金を持ってくる集金マシーン、ODAとかで税金を外国に貢ぎ続ける日本国と同じような役目だったようですが、その話は置いといて((;^ω^)。
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え~、ハッキリ言って、ウーンにとっては育児は仕事、労働の対価を得る作業に外なりませんでした。
言われたことはやるが、仕事として割り当てられてなければやらない、それは露骨な態度として見て取れましたが、子供たちにとってはそうではなかった。
愛すべき家族だったのです。
着の身着のままミャンマーから逃げるように不法滞在でタイへ入国し、途中でタイ警察に捕まって、裏ルートから奴隷として売られたとて不思議じゃなかった人生です。
ロヒンギャ族難民、タイに逃げて来ちゃー奴隷として売られてましたが、あの哀れな境遇の方たちと同じ身分です。
それがどうだい?、アイドルでいえばセンターですよ、家の要と言ってもいい立場。
これは漬け上がりますわ。
「人生勝った」と思ったでしょうね。
努力せずとも給料は毎年上がる、住居費や水道光熱費はおろか食費までタダですから。
その夢のような待遇が、人生の絶頂期ともいえる状態が一夜にして崩れ去ったのです。
小うるさい日本人が帰って来たのですからね、サイバイサバーイ(快適)は許されません。
まずは片手スマホ、片手掃除から戒めましたね。
そんなことやってたら仕事量が増えないんですから、日本人的には当然なんです。
ところがところが? これがお局様(ウーン)の逆鱗に触れたのか?
だんだん仕事が横着になってゆきました、逆効果ってやつですねマイリマシタ
恐らく、こう考えたでしょうね、
「またもとの輝かしい生活にもどりたい。それにはこの小うるさくケチな日本人を追い出さねばならない。子供たちは私の味方、私が居なくちゃ生活できないくらいに依存している。ボスの意向も同じだし、困らせて育児を投げ出させるのが私の役目」
なにが哀しゅーて、こんな家政婦と戦わにゃならんのか…、ですよね。
自ら望んで一日八時間労働という一般労働者待遇になったウーンです。
しかも土曜は半日、日曜祭日は休みと決め込んでおります。
それに応じる形で毎年昇給という元妻の作った慣習を絶ち、減給なしで現状維持でも好待遇だと判断したのですが、その結果、どうなったのか?
巧妙に仕掛けられた罠、つまり元妻のシナリオに沿った方向だった?
それはまたいつか(*^-^*)
イチゴを摘む時の集中力、これを勉強で維持して欲しい!!!
応援してくださる皆様、どうもありがとうございますm(__)m