表紙は野菜たっぷりカオトム ゴーヤを入れて苦みを強調してみた
タイ学校の春休みといえば日本と違って3月中頃から始まり5月中頃までの約2か月間である
今年も昨年同様、非常事態宣言の延長に次ぐ延長のために一ヵ月間延長された長い春休みとなった
やっとこさ今週月曜日から学校が再開されて新学年
朝夕の学校送迎車により交通渋滞が始まった市内に活気がよみがえる
長い長い春休みが終わったのだ
先週末の話
3月の終業式からそのまま母親の家へ行ったっきりの息子
チェンマイ県にもコロナ感染によるロックダウンが再開されて息子との連絡が途絶えていた
「学校はいつから始まるの?」とLINEトークにて質問してみたが
「next week」という返事が返ってきた
そして「But I will stay my mom no worry」
「なんだ、いきなり英語で返信かよ、スカしてんな」
そう思って「なんで帰らないんだ?」と飛ばしてみた
「my mom is sick」
sick? 「なんの病気だ?」
「Blood」
血圧が高いのかな?と思って、トマトジュースと玉ねぎスライスを毎日食べさせるように話した
あの母親を助ける義理など何処にも無いのだが、息子の気持ちを考えると情報提供くらいはしてあげたい
「その方法で165/95近辺だった血圧を下げるのに成功したよ」
そう記して証拠写真を送った
食事療法で正常値まで改善された今現在の血圧
そして、まさか学校送迎は母親が行うのだろうかと不思議に思い
面倒な事は極力行わずに他者に丸投げする母親が運転手なんてやるはずないがなと思って
「メェがラップソン(送り迎え)するの?」と問うてみると
「Yes she told me」
ならば病気は軽症だなと思った
あっちの家では家政婦ウーンがいるのだし、トイレ掃除も洗濯も庭木の剪定も手伝わなくて良いはず
サバーイサバイ(楽チン)なんでは? 怠けたいだけなのかな? との疑いがムクムクと首をもたげる
小学1年生の時に母親からポイ捨てされたカタチの息子
足手まといになり邪魔だから置いて出て行ったはずだ
大きくなって手間が掛からなくなり、逆に道具として便利だと思うと自分の手元に置いておこうとする
どうせ可哀想なふりをして病気なんて偽って引き止めたんだろ
息子としても失った母親との子供時代を取り返したいのかもしれない
そのような推測が頭の中をグルグルと巡るが、これといって正解らしい答えにはたどり着けない
そこで「病気ってのはウソか?」と挑発してみた
「Why would I lie 」
「She is just go to hospital」
「I think diabetes is not a problem but hers blood system is weak」
思惑通りに感情的な返事が連続して送られてきた
文章的には病状っぽいニュアンスが漂うが、英文では事態の重要度がいまいち測れない
息子の顔を見ればウソかどうか一目瞭然なので「果物を食べる?」と振ってみると
「No thanks I have some fruit already」
なんだか英文で読むと拒絶感アリアリっていうか、まるで他人行儀に感じてしまう
以前の息子なら「食べる食べる!」という返事だったが
強烈な疎外感を感じて寂しくなってしまうから困ったもんだ
そこで無理やり手渡すべく果物を大量買いしてバイクで8分程にあるムーバーン(団地)へと向かった
約3か月ぶりに見る息子は食事内容が悪いのか痩せこけている
ナムプリックとサイウアとカウニャウといった、栄養の偏った食事しか与えられてない?
目をこすりながらもフラフラ出てきた息子は「いらないと言ったのに なんで来るの?」という表情
「寝てたのか?」
「違うよ、勉強してたんだよう!」
日本語で答える息子の表情を見て、「別人にはなっていない いつものコイツだ」
少し安心した
「おいおい、一体何があったんだ?」
「血の検査をしたんだけど、白血球に問題がある」
「おお、俺と同じか?、白血球が極端に少ないんだよな」
「いや、少ないんじゃなくて、多すぎる」
「え? それって内臓に問題があるかも、癌の可能性もあるぞ!」
驚きの声がひときわ大きく響いてしまい「うわ!」と後ろを振り返ってキョロキョロする息子
「このままメェと一緒にいるよ… 」
そう言うので「じゃあ頑張れよ、何かあれば言えよ」ひとこと残して別れた
誰もいない席に置いて撮影
どうやら嘘でもなさそうだが、まだ重症かどうかは確定しない
体調が悪くて横になっているというので食事療法を指導してあげた
母親が大好きな牛肉やピザ、ケンタッキーやハンバーガーなどのファストフードは禁止
もちろんケーキやお菓子はダメ 糖質軽減、小麦粉製品のグルテン抜きを伝授
文章が日本語なので読んでないかもしれないが、これで気持ちは伝わったはずだ
かなり肥り過ぎていたので甘い物をたらふく食べていたはずの母親
好きなもんだけ食べて嫌いな野菜は「ウエッ!」と言って拒絶していた過去の記憶
人間関係でも耳に甘い言葉をささやくのならウエルカムで、
耳に辛かったり酸っぱかったりする言葉は拒絶していた
なんと身勝手で自己中な奴だと今更ながら腹が立ってくるが
息子にとってはたった一人の母親だ
そんなかけがえのない存在を大切に思う気持ちは尊重するしかなかろう
もうすぐ離別から10年が経過するが、振り返るとあっという間の10年間
子育てと生き残りに必死なだけの10年間
それが終われば空虚な時間が横たわっているだけ
これといった積み重ねや 自分に誇れる歴史など何もないような気がする
コーヒー店の見知らぬ父子 ちょうどこの年齢だったなとオーバーラップする
そういう訳で嫌な思い出が沢山詰まった大きな家で一人暮らしするのは少しも楽しくなくて
どちらかというと売り払ってコンドミニアムに引っ越したいのだが
タイ人関係者たちの策謀や思惑により 売るに売れない宙ぶらりんな状態に置かれる不動産
考えただけでも反吐が出るのだが、息子の逃げ場所もいるだろうし解体するわけにはいかない
ジャンボ君の世話でもしながら 残り少ないコロナ禍を過ごす事にしよう
雨季に突入してボサボサに茂る庭木を汗だくで剪定した
もはや庭木など必要ないのに