先週の土曜日は息子の受験日だった。
Y校とS校、もうすでに二回連続の落選という憂き目にあい、ほぼ崖っぷち気分の息子。
元来の線の細さが露呈し、ちょくちょくイライラMAXに到達しては訳もなく妹に喧嘩を吹っかけ、またボールを壁にバンバン蹴り続けたり、壁との卓球でポコポコとラリーを繰り返すのは彼なりの精神安定剤といえるだろう。
昨年の9月17日に行われたY校の第一次試験に失敗して、Y校直属の進学塾へ入塾許可をいただけたのが11月初頭、
それからだ、本格的な受験勉強が始まったのは。
土曜日の日本人学校補習校からは温情休学をいただき、受験一本に集中したのだが、
時すでに遅し
チェンマイ最難関との呼び声高いチェンマイ大学附属サーティット中学高校一貫校への受験は無謀ともいえる挑戦だった。
たかだか一か月余りのやっつけ勉強で通用するはずもなし
競争倍率20倍という壁の前に、もろくも夢砕け散った記憶は新しい。
スタートから4か月を経過した今現在、実力と経験値ともども上がっているとはいえ、
いかんせん勉強期間が短くて全ての課題を網羅したとは言えない状態である。
今回の受験は、そんな中途半端な状態での本丸突撃となる。
本丸とは、名門Y校へのリベンジに他ならない
それも進学クラスといわれる三つのプログラム、
特別理系クラス、
イングリッシュプログラム、
インターナショナルプログラム、
というある意味では頂上決戦へ挑むというのだから驚いた。
国立学校では一つ下にW校があるし、それに拮抗するD校だってある。
なのに、なぜY校一択、しかも進学クラス
「プライド高いのもいい加減にしろ」と常々思っていた矢先である。
「おまえ、なに血迷ってるんだ?」
「前回の受験で合格してる子なんかがステップアップを狙ってくるんだぞ」
「普通に考えて通るわけねーだろ!、普通科でも難しいんだぞ、普通科でいいじゃないかフツーカで!」
「いや、Y校でなくてもいいよ、W校の方が安全じゃね?」
すでに現実派へ鞍替えした親父には、どうにもこうにも夢物語に感じてしまい、
とりあえずボロクソに否定はしてみたが、内心では難関に挑戦し続ける息子の意気込みには頼もしい気分を味わっていた。
「どうせ4月には最後の普通科受験が控えているんだから、じゃあその前哨戦として実力試しと行こうぜ」
鼻っから合格するはずがないという親父の口調に据えた目で見返す息子は、
「じゃあ合格したらナニくれる?」と挑戦的な態度。
「おっとっと…、そういうモチュベーション高揚作戦ならば乗っかるしかないな」と
「モルディブで熱帯魚とダイビングだろうが、北海道で熊とスキー三昧だろうが、どこでも好きな場所を言え」
そう啖呵を切った。
とは言うものの、まったく突破口が無い訳ではない。
今回のは苦手な教科である「タイ語」と「社会」という壁が省かれている事、
この一点に微かな光明を期待する親父が何処かにいたりするから困ったもんだ。
肝心の英語能力、算数&理科が足りなければ意味がないってのに。
さて、試験当日
どーーん!!!、と集まりました、受験生の約700人
そして、今回の募集はといえば
ウイッタヤーサー(特別理系クラス) 50名
イングリッシュプログラム(EP) 60名
インターナショナルプログラム (IP) 25名 の、計135人のみ
それに、それぞれ補欠員が 60名 30名 20名 の、110人が登録されます。
単純計算ではザッと競争倍率5.2倍、補欠員ならば10番以内が勝負所となりましょうか?
その数に圧倒されたオヤジ、ヨロヨロ…とよろめきながら
「なーに、サーティット校の20倍に比べたら屁の河童だよ、なんてこたない…」
そう元気付けて?、目を丸くする息子を列の中へ促しましたとさ。
※ 試験内容としては、まず算数と理科の試験を行い、その時点で特別理系クラス希望の子は終了。
英語クラス希望の子らは引き続き英語の試験を行った後に、西洋人教師による簡単な英語面接を行う。
EPとIPの区別は、個人の希望なのか、成績による振り分けなのかは不明。
そして次の日曜日は卒業式でした
幼稚園と小学校が合わさったアットホームが売りの小さな学校です
もう既に感極まって号泣してる子が一人いますね
なんだ、おまえかよww
この辺りで、タイ人と日本人のメンタルの違いを垣間見ますね
タイ人の子たち、基本で笑ってますからね
笑いながら、先生への感謝の歌を歌いますからね
その横で、もう涙涙の男子が一人(笑)
そうです、彼は二歳の終わり頃からの約10年間、この学校で育ってきました。
もう、彼にとっては心の故郷といっても過言ではない。
彼の涙を見ていると、親父もつられて泣けて来ます。
この六年間で、いろいろとあったよな。
あれは一年生の10月だったか、突然お母さんが消えちゃってね
空港の駐車場を練り歩いてお母さんの自動車を探したよね
見つけた時は嬉しかったよね、
「ほらやっぱりバンコクに居るんだ」と、分かった時のキミの安堵の表情は忘れられないね
一か月後に突然帰って来たかと思ったら、
今度は親父が別居して、毎週金曜日夕方から日曜日までは親父のアパート暮らしになった
あの狭いアパートでの時間も楽しかったよな
四年後には、何故かお母さんが出て行って、何処に行ったかわからなくて
代わりに親父が自宅へ戻たね
と同時に家政婦のウーンが消えちゃって、どうしたものかと途方に暮れたっけ
結局、ウーンはお母さんの所に行ってたんだよな
それから二年、なんとかかんとか三人家族で踏ん張ってきたな
などと考えているうちに、涙が出てくるのでありました。
まあ、こんな感じでお互いのシャツにメッセージなど書き込みます
息子が書き込んでる女子は秀才のハッピーちゃん
20倍の超難関サーティット校に合格した華人系の猛者でございます
息子へは格別の好意を頂けているようで、何度も自撮りでツーショット(* ´艸`)
息子のシャツに書き込んでるのが小さくて可愛い飛び級のアンフィル君
彼も息子へは格別の義理を感じているようで、弟のように後ろをついて回っていました
新旧の女子に囲まれて
息子の泣きっぷりに感動してくれた校長先生(創業者)は、特別に息子のシャツだけに応援のメッセージを書いてくれたそうな。
大興奮の息子、彼の家宝がまた一つ増えました(後はだいたい名探偵コナンのメダルとかですが…)
仕事場の責任者LHへ写真を見せて、「ほら、息子が泣いてたよ」と説明したのですが
帰ってきた答えが、「○○ちゃん、ジャイ・ニッノイ」と笑いながら
「は?、心が少しだけ」って、そんな言い方ってあるの?
日本では「詩情を解せる」だとか「感情が豊富」だとか「感謝がある」だのと良い意味で捉えるはずですが
よりによって、 「心が少しだけ」
じゃあ何か?、
あっけらかんとしてケラケラ笑ってる子は「ジャイ・マーク」とでもいうのか?
「心がたくさんある」ってどういう意味??
そういえば、佛教書には「泣くのは心が弱いからだ」と書いてあったのを思い出しました。
「心が強ければ泣かない」
それから考えると、確かに子供はよく泣くし、老人になれば涙もろくなるわけで、
そんな状態を指して、「心が少ないからだ」→「強い心で満たされてないからだ」、と読めなくもない。
そうか、この世知辛い世の中を独り立ちして生きてゆくためには、強い心、負けない心が必要だと。
それには、滅多な事では泣かない「ミー・ジャイ・ユオ」「ジャイ・マークマ―イ」、心が一杯詰め込まれている」(造語です)
そんな漢になってゆかねばなりません。
「直ぐに泣くから良い人」っていう図式に流されないように育って欲しい。
そう願わずにはいられない、単に涙もろいダメ親父でありました
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元来の線の細さが露呈し、ちょくちょくイライラMAXに到達しては訳もなく妹に喧嘩を吹っかけ、またボールを壁にバンバン蹴り続けたり、壁との卓球でポコポコとラリーを繰り返すのは彼なりの精神安定剤といえるだろう。
昨年の9月17日に行われたY校の第一次試験に失敗して、Y校直属の進学塾へ入塾許可をいただけたのが11月初頭、
それからだ、本格的な受験勉強が始まったのは。
土曜日の日本人学校補習校からは温情休学をいただき、受験一本に集中したのだが、
時すでに遅し
チェンマイ最難関との呼び声高いチェンマイ大学附属サーティット中学高校一貫校への受験は無謀ともいえる挑戦だった。
たかだか一か月余りのやっつけ勉強で通用するはずもなし
競争倍率20倍という壁の前に、もろくも夢砕け散った記憶は新しい。
スタートから4か月を経過した今現在、実力と経験値ともども上がっているとはいえ、
いかんせん勉強期間が短くて全ての課題を網羅したとは言えない状態である。
今回の受験は、そんな中途半端な状態での本丸突撃となる。
本丸とは、名門Y校へのリベンジに他ならない
それも進学クラスといわれる三つのプログラム、
特別理系クラス、
イングリッシュプログラム、
インターナショナルプログラム、
というある意味では頂上決戦へ挑むというのだから驚いた。
国立学校では一つ下にW校があるし、それに拮抗するD校だってある。
なのに、なぜY校一択、しかも進学クラス
「プライド高いのもいい加減にしろ」と常々思っていた矢先である。
「おまえ、なに血迷ってるんだ?」
「前回の受験で合格してる子なんかがステップアップを狙ってくるんだぞ」
「普通に考えて通るわけねーだろ!、普通科でも難しいんだぞ、普通科でいいじゃないかフツーカで!」
「いや、Y校でなくてもいいよ、W校の方が安全じゃね?」
すでに現実派へ鞍替えした親父には、どうにもこうにも夢物語に感じてしまい、
とりあえずボロクソに否定はしてみたが、内心では難関に挑戦し続ける息子の意気込みには頼もしい気分を味わっていた。
「どうせ4月には最後の普通科受験が控えているんだから、じゃあその前哨戦として実力試しと行こうぜ」
鼻っから合格するはずがないという親父の口調に据えた目で見返す息子は、
「じゃあ合格したらナニくれる?」と挑戦的な態度。
「おっとっと…、そういうモチュベーション高揚作戦ならば乗っかるしかないな」と
「モルディブで熱帯魚とダイビングだろうが、北海道で熊とスキー三昧だろうが、どこでも好きな場所を言え」
そう啖呵を切った。
とは言うものの、まったく突破口が無い訳ではない。
今回のは苦手な教科である「タイ語」と「社会」という壁が省かれている事、
この一点に微かな光明を期待する親父が何処かにいたりするから困ったもんだ。
肝心の英語能力、算数&理科が足りなければ意味がないってのに。
さて、試験当日
どーーん!!!、と集まりました、受験生の約700人
そして、今回の募集はといえば
ウイッタヤーサー(特別理系クラス) 50名
イングリッシュプログラム(EP) 60名
インターナショナルプログラム (IP) 25名 の、計135人のみ
それに、それぞれ補欠員が 60名 30名 20名 の、110人が登録されます。
単純計算ではザッと競争倍率5.2倍、補欠員ならば10番以内が勝負所となりましょうか?
その数に圧倒されたオヤジ、ヨロヨロ…とよろめきながら
「なーに、サーティット校の20倍に比べたら屁の河童だよ、なんてこたない…」
そう元気付けて?、目を丸くする息子を列の中へ促しましたとさ。
※ 試験内容としては、まず算数と理科の試験を行い、その時点で特別理系クラス希望の子は終了。
英語クラス希望の子らは引き続き英語の試験を行った後に、西洋人教師による簡単な英語面接を行う。
EPとIPの区別は、個人の希望なのか、成績による振り分けなのかは不明。
そして次の日曜日は卒業式でした
幼稚園と小学校が合わさったアットホームが売りの小さな学校です
もう既に感極まって号泣してる子が一人いますね
なんだ、おまえかよww
この辺りで、タイ人と日本人のメンタルの違いを垣間見ますね
タイ人の子たち、基本で笑ってますからね
笑いながら、先生への感謝の歌を歌いますからね
その横で、もう涙涙の男子が一人(笑)
そうです、彼は二歳の終わり頃からの約10年間、この学校で育ってきました。
もう、彼にとっては心の故郷といっても過言ではない。
彼の涙を見ていると、親父もつられて泣けて来ます。
この六年間で、いろいろとあったよな。
あれは一年生の10月だったか、突然お母さんが消えちゃってね
空港の駐車場を練り歩いてお母さんの自動車を探したよね
見つけた時は嬉しかったよね、
「ほらやっぱりバンコクに居るんだ」と、分かった時のキミの安堵の表情は忘れられないね
一か月後に突然帰って来たかと思ったら、
今度は親父が別居して、毎週金曜日夕方から日曜日までは親父のアパート暮らしになった
あの狭いアパートでの時間も楽しかったよな
四年後には、何故かお母さんが出て行って、何処に行ったかわからなくて
代わりに親父が自宅へ戻たね
と同時に家政婦のウーンが消えちゃって、どうしたものかと途方に暮れたっけ
結局、ウーンはお母さんの所に行ってたんだよな
それから二年、なんとかかんとか三人家族で踏ん張ってきたな
などと考えているうちに、涙が出てくるのでありました。
まあ、こんな感じでお互いのシャツにメッセージなど書き込みます
息子が書き込んでる女子は秀才のハッピーちゃん
20倍の超難関サーティット校に合格した華人系の猛者でございます
息子へは格別の好意を頂けているようで、何度も自撮りでツーショット(* ´艸`)
息子のシャツに書き込んでるのが小さくて可愛い飛び級のアンフィル君
彼も息子へは格別の義理を感じているようで、弟のように後ろをついて回っていました
新旧の女子に囲まれて
息子の泣きっぷりに感動してくれた校長先生(創業者)は、特別に息子のシャツだけに応援のメッセージを書いてくれたそうな。
大興奮の息子、彼の家宝がまた一つ増えました(後はだいたい名探偵コナンのメダルとかですが…)
仕事場の責任者LHへ写真を見せて、「ほら、息子が泣いてたよ」と説明したのですが
帰ってきた答えが、「○○ちゃん、ジャイ・ニッノイ」と笑いながら
「は?、心が少しだけ」って、そんな言い方ってあるの?
日本では「詩情を解せる」だとか「感情が豊富」だとか「感謝がある」だのと良い意味で捉えるはずですが
よりによって、 「心が少しだけ」
じゃあ何か?、
あっけらかんとしてケラケラ笑ってる子は「ジャイ・マーク」とでもいうのか?
「心がたくさんある」ってどういう意味??
そういえば、佛教書には「泣くのは心が弱いからだ」と書いてあったのを思い出しました。
「心が強ければ泣かない」
それから考えると、確かに子供はよく泣くし、老人になれば涙もろくなるわけで、
そんな状態を指して、「心が少ないからだ」→「強い心で満たされてないからだ」、と読めなくもない。
そうか、この世知辛い世の中を独り立ちして生きてゆくためには、強い心、負けない心が必要だと。
それには、滅多な事では泣かない「ミー・ジャイ・ユオ」「ジャイ・マークマ―イ」、心が一杯詰め込まれている」(造語です)
そんな漢になってゆかねばなりません。
「直ぐに泣くから良い人」っていう図式に流されないように育って欲しい。
そう願わずにはいられない、単に涙もろいダメ親父でありました
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過ぎてしまえば意外と早かったなと思えますね。
恥ずかしながら、感情任せに大声で怒鳴り散らした事もあります…、、
今まで、よくグレずに来てくれたもんです。
しかし今からの6年間は思春期に入りますから、子育て難易度は激上がりでしょうか?
また先輩方のアドバイスなど頂きながらの試行錯誤となるでしょう、どうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m
あと六年て大学生。早いですよね。
お互いに頑張りましょう!\(^o^)/