不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

知花の根屋(村の旧家)

2006年03月21日 | ★歴史・伝統・文化
根  屋                                         
には数軒の根屋がある。オホンダカリ、中大屋、島袋、グーフ、前ナーカ、チハナク等である。そのうち「オホンダカリ」、「島袋」、「中大屋」、「前ナーカ」での見聞を出してみることにする。

(1)「オホンダカ リ(大村渠)家」は、の西側後方知花城跡に近い所にある。知花の古島福地原から移動したところは、ヌル殿内あたりかその後方にを形成していたといわれ、このオホンダカリ周辺には大村渠村(現在の松本)があったといわれる。ちょうどあの有名な鬼大城が最期を遂げたころ、知花城の前には七軒の家があって、その家の茅で洞窟内に逃げこんだ鬼大城をいぶし殺したという話がある。その七軒というのが大村渠村であるという。しかしのち、大村渠村は前方へ移転して現在の松本を形成し、そこへ知花が移動して来たたのだそうである。
知花の根屋を図示すると次のようになるというのであるが、他の人たちの中には異論をさしはさむ人も少なくない。

           中大屋

オホンダカリ--- 東ナーカントー
(大ムートウ)  
           メンナーカ

しかしオホンダカリ家が古いことは皆で認めている。オホンダカリには「神ウタナ]があり、香炉が三コある。
拝む者は女性で、この家の血を引いた者である。これを「クディングワ」という。香炉一つにつき二人で拝むようになっているが、一方をウミキイ神(男)、もう一人をウミナイ神(女)という。これを夫婦に見立てミートゥンダ神という。
右側の香炉は、ウヤガニーといって、ウマチーの時は家に残って、拝みに来る子孫と杓のやりとりをし、先祖神との仲介をする。ウヤガ二ーは他のクディングヮよりも格が上である。他の四神人は村の祭祀へ出る。

右・香炉 ウミキイ……本家から(主人の姉)
      ウミナイ‥・‥ 池原知花屋から   ]ウヤガニー
中・香炉 ウミキィ……池原の知花屋から
      ウミナィ……登川から(現在は出ない)
左・香炉 ウミキィ……越来から(1966年出るべきでないと知りやめる)
      ウミナィ……本家系統

クディングヮは、朔日、15日には香炉を拝みに行く。ふだん神衣裳はこの家に保管し、ウマチーの当日はこの家から受取ってヌル殿内で着衣する。クディングヮの下にはニーブトゥイ(柄杓 取り)とウメーイー(お膳持ち)が何名かいる。オホンダカリは、知花・松本・池原・登川に270人ばかりの子孫がいる。

読谷村長浜のたしか知花屋という家には300人以上の子孫がいるという。門中墓があり、アジ墓もあって、読谷あたりからも清明祭には拝みに来る。逆に知花屋へも拝みに行く。石川市伊波の伊波ナカゾーという旧家へ拝みに行く。この家には稲を持って来たという鶴をまつってあるといわれ、米の恩に感謝するためであるが、城跡へは行かない。何年越しかで、「今帰仁上り」、島尻の「東御廻り」もする。8月20日のカーメー(井戸詣)には、主人がトゥヌ(殿-知花城跡裏)へ行って古島福地原ヘ 向って、お通しする。以前はその現場まで行ったが、現在は米軍基地内のため入れないからお通しをする。
 
クディングヮは父系である。オホンダカリは大元であるが、神人は中元からも出る。池原の知花屋は中元である。子孫が拝みに来る時は、神御棚の香炉三つとも拝む。

(2)「島袋」には香炉が三つあるが、一番左の香炉は戦前は別の棚にあったという。この家は松本の「東大屋]という家からの別れともいう。オホンダカリとの関係もなかったもよう。なくなった祖母まで11代だったという。
 ウミキイ神として、戦前まで伊計の人が来たが、この人が死亡して後任がいない。ウミナイ神 としては読谷村長浜の「前ナカゾー」一門から出た。この人は9月のカーメーにもやって来た。
 
現在はクディングヮが居ないので、朔日・15日にはこの家の主婦が代行している。そして5、6 月のウマチーには衣裳をかざるだけである。
「カーメー」には東井戸→ユナガー→フクマガー→カーグヮー→ナーカントーガー→の順で参拝する。石川市へ拝みに行っている。「東御廻り]「今帰仁上り」を以前は7年回りで行っている。浦添・辺土名へも拝みに行くことがある。
 
宇美里の「東マーチュ]という家がこの家から分家した中元である。クディングヮは5、6月のウマチーの他に12月24日にも来た。来る時は「火の神」から拝み、その後で各自の香炉を拝んでいた。

(3)「中大屋」には家の仏壇に香炉が二つあり、神棚に香炉が二つある。その他に香炉が一つ別っこにある。これは、旧暦6月25日にから拝みに来る。池原・登川・美里あたりにも子孫がいて、5月15日、6月15日には拝みに来る。
一つの香炉に二人ずつ(ウミキイとウミナイ)がいて、ウミキイは家に残り、ウミナイはトゥンの部落行事に出るようになっていた。清明には石川の伊波に拝みに行く。

(4)「メンナーカ」には、仏壇に4つの香炉がある。神棚には二つの香炉を置いている。二つのうち右はウミキイ、左はウミナイの香炉といっている。現在はウミキイ神だけいる。ウミナイ神はトゥヌへ出る役目であるが、ここ30年ばかり出ていない。

むかし、福地原からオホンダカリ、中大屋、メンナーカの三人兄弟が知花へ来て炭を焼いた。雨が降り、ワタンジャー(渡地)を渡れなかったので、この地に家をつくり、現はそれから出来たという。9月9日には福地の古泉へお拝みに行ったが、現在は池原の井戸からお通ししている。伊波へは8月、9月頃、5年回りで行く。読谷村へは7年回りで拝みに行く。池原からは拝みに来ていない。

【参考文献】上江洲 均/南島の民俗文化 1987年


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『知 花』名称の由来 | トップ | 戦争前頃の知花村の屋号 »
最新の画像もっと見る