知花には戦前、りっぱな獅子加那志があった。その獅子は屋号仲元の大工仕事をしておられた池原政次さん(清正さんの祖父)がお作りになったものであったか、この獅子は残念なことに昭和20年(1945年)の沖縄戦でなくなってしまった。
戦後、今の古堅の屋敷にコンセットの区事務所があったころ、屋号殿内門小の島袋貞栄さんが区長時代(1952~3年)、大工をしていた屋号津波名古の仲村幸信さんが再び獅子を作ることになった。仲元の池原政次さんが作られた戦前の獅子は幸いなことに戦災を受けながらも、下あごの一部だけは残っていた。
そこで仲村幸信さんは、この破片(下あごの一部)と民家の屋根の獅子を参考にして粘土で獅子の形を作り、これを見ながら苦心惨●の末、やっと完成させたという。そのときの材料は大川(ウフガーラ)のデイゴの木を使用した。しかしながらこの獅子もいつの間にか破損がひどくなりとうとう割れてしまった。
そこで屋号仲元の池原清正さんは、戦前自分の祖父(政次)が作った獅子が戦災でなくなってしまったのを大変残念に思い、自分が獅子頭を寄贈す抑こ矢本港今し区長に申し出たのである。それは島袋寅次郎さん(屋号仲松尾)が区長時代の昭和46年(1971年)のことである。
池原清正さんと区長の島袋寅次郎さんは材料さがしと大工さがしで東
奔西走し、那覇にも何回も出かけた。材料はデイゴの木であるが、沖縄本島には獅子頭が作れるほどの大きなデイゴの木はなく、わざわざ久米島から取り寄せた。しかし材料は切り出してすぐに使えるものではなく、約2カ年ばかり乾燥させてから那覇市の開南通りの大工さんに作ってもらったという。
この獅子頭製作に池原清正さんは200ドルの大金をかけて知花区に寄贈した。昭和46年旧暦8月15日の十五夜には獅子頭の完成をウスデークで祝い、記念撮影をして、その写真は屋号仲大屋に保管された。現在旧暦8月15日の十五夜の日に行われるウスデークの際、舞台で獅子舞を演じている獅子加那志がそれである。この獅子加那志は戦前と同じく未婚の雌獅子で、名前も同じく「カニク」という名である。
【平成12年2月25日 池 原 秀 光】
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