字知花原、メーヌカーガー橋に隣接、川の東側にあった。
このカーも石積の立派なカーで比較的水量水質とも良く、付近の多くの人々に利用された。ところが河川工事で川筋が変更され埋没してしまった。そのため、現在ではマンホールのような形だけの拝所となり整備は不十分である。すぐ近くのメーヌカーガー橋はこの辺ではめずらしい立派な三連橋(三重橋)で、屋号西り兼島の島袋三郎氏が美里村長時代の明治の終わり頃に造られたという。現在では一番東側の大きいアーチ橋だけが残って、あとの二つは埋め立てられて宅地造成され跡形もなくなってしまい、かえすがえすも残念至極である。沖縄市の文化財としてしてされた「カフンジヤー橋」より少し古く、しかも構造的にもかえって勝るとも劣らないと思われるからである。