私の父は、料理人で
と言っても、職人気質(かたぎ)ってわけじゃ無く
どっちかって言うと、商売人さんで、外向きには愛想のいい
そんな人。
愛想が良くっても、ホントはイライラしていたり
ホントはとっても気が短かったり
そんな父親が、特に中高生の頃は大嫌いで
就職してからは、少しは理解するものの
やっぱり、好きかと聞かれればあまり好きではなかったかもしれない。
私が旦那さんと結婚したくなり
旦那さんがお父さんに貰いうけに来ようとした時
お父さん、小さい頃にお母さんと離婚してしまっているから
なんだかお嬢さんを貰いうけると言うよりは
奥さんを取りあげるみたいで、難易度が高いと。。。
旦那さんは、今も私のお父さんに対して、そんな気持ちでいてくれるんやろか。
お父さんの事、そんな好きじゃ無かったかもしれないけれど
って言うより、何より
家の仕事手伝うの、好きじゃなかったんだけれど
ひょんな事からお父さんにそっくりの孫先生の授業手伝った時
孫先生は他人だから、彼がイライラしてても
生徒さん帰った後、めちゃめちゃ心の中で
忙しすぎて怒ってる感満載でも
何だか嫌な感じは全然しないで
’私が居るでしょ?’って
笑ってあげられた。ううん、心から笑えた。
それで、彼が笑顔になれたら’よーし、じゃ、がんばろ~’って。そんな感じ。
言葉にはしない、って言うか、こっぱずかしくって出来ないけれど
初めてあんな気の短い料理人の娘で良かったかもしれないと思った。
孫先生曰く、料理人に性格の良いやつは居ないらしい。
決められた時間内にいろんな段取りをして行かなければいけないから
みんな気が短くて、性格が悪いと。
それなりに、なっとく
で、そんなお父さんに、電話してみた。
素直に、どうしていいか分からないと話してみた。
お父さんは、私の考えを聞く前に
’賛成できない’と私と同じ考えを提示した後
お父さんなりの考えを話す。
あと
父親に、生まれて初めてkaoriの泣き事を聞いたと言われた。
もう、生まれてから40年以上たつけれど、確かに
泣き事を言う前に、常に解決策を提示してきた。
どうしていいか分からないなんて、泣いた事は無かったね。
そこは、さすが父親。
だからこそ、本当に辛いんだろうと。
まじめに、辛い。
でも一つ言える事は、貴女ならどっちの道を選んでも大丈夫。
貴女は、スーパーYLでしたから。
あっ過去形やないな、スーパーYLですから。
人生なんて、いろいろ(笑)
悩みがあるからこそ成長のチャンス
答えは焦らず、今を生きよ
おのずと、答えが見えてくるはず
今の仕事に大きな影響を与えてると思うのと、
マネジメントスキル的には、超反面教師でOK!
あ。この話は添えもんでした。
かおりちゃんが泣き言いわんかったんは、どうしようもない弟がおったから言えやんかったんやと思われ(笑)すんません。
自分も、1Fから2Fへ銅線ひいて豆電球つけるより、縦笛上手にふけるより、今は大人になったと思うんで、力になれる事あったら言うてよ~。
って言うても、結局自己決定な我が家の血。
実は今でも、初めて主水さんの会社に開拓に入った時の事、覚えてます。
丁度二週間ほど会えなくて、営業的に押せなかったのに、三週間ほどぶりに会えた時に’置いてってくれても良かったのに~’
って言ってくれて、それからいつも、1000円置いてくれてたの、昨日の事のようです。
夕方の遅い時間、単車で走る私を見ていてくれたり、社長も奥さんもそんな話を聞いて応援してくれたり。
久しぶりに日本に帰って、社長の奥さんに会えた時も、主水さんが時々私のブログを見せてくれると言ってました。
ありがとう。
のびちゃん
そうそう。きっとそう。
答えは出さないでおこうと思います。
ね。
あやこ
そうそう。君とは一緒に悩んだよね。
何年前?武道館で会うためにガンバって。。。
だからこそ、今でも大事な妹です。
まさき
我がままや泣き事を言わなかったのは、めんどくさかったってのもアリだと思われ。。。
ただ、日本へ逃亡したい時はいきなり現れるかもしれないのでよろしくお願いします。
おたまどんが上海へ行くまで耐えてくれ。
つらいときは飴をなめるべし(by森繁久弥)