惚れてまうやろ(李先生編)とはまた違った孫先生編でございます
その大昔、たった半年(実質5ヶ月程度と思われる)ではありますが
孫先生の厨房での立ち回りやらなんやらが父親とそっくりで
私は日本人だし、中国語も今よりはるかにつたない状態でありましたが
同僚の日本人の先生たちが、親戚としか思えない(血のつながりがないというのはおかしい)
と言ったように、本当にお互い気を遣うどころか、孫先生は私のことを娘を守るように大事にしてくださる上に
授業の担当が君か君じゃないかで、ドキドキするよと(明日も来てね)って
言ってくれたのは、今でも覚えています。
2011年5月。
先生が日本へ行くことに伴い退社するにあたり
本当は、私も一緒に職を辞する心積もりもありながら
どうしても、生徒さんを捨てられない思いがあり
その私の思いを、誰よりも何よりも汲んでくださり
’君はお姉ちゃんだから、妹たちをよろしく頼む’と言ったあと
日本にたった孫先生が、結局、その後
先生が教えようとしていた理想や、それを教える事の出来る先生の少ない現実を
思い知らされた私が、
泣いて電話するたびに自分の責任でもあると言ってくれるばかりでなく
その後、李先生を紹介してくれて
私の上海での点心生活は、誰にも真似のできないすばらしいものになりました。
その後、日本に帰ってきた私ですが
理由はともあれ、身体共に不安定で
よく泣きます。
時には、1メートル×2メートル程の布団から出ることも出来なくなり
そんな時でも、にっこり笑って、奥さんと二人でメールしてくれたり
私が笑ってると、それだけで安心してくれたり
どんなときも、いろんな意味でそばにいてくれた。
昨日。
テレビ電話中に、孫先生の食べた飴が
Sちゃんも好きだった黒糖飴の中に梅の果肉が入ったやつで
でも
日本でおんなじやつは買えなくって
そんな話をした。
で、
今日
送ったから2,3日で着くよと言う。。。。
そんな、飴のひとつ
航空便で送らなくったって。。。。
数日間。上海に住む息子とも、香港に出張中の旦那とも、電話で話してもうまくいかなくて
おくびにも出さないつもりが、全部お見通しだった。
せめて、元気を出せと送ってくれた事、
よくわかってます。
こらこら
惚れてまうやろぉ(-_-;)