というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。(伝道者の書9章1節)
すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。(2節)
このような論の展開は、神を信じない人の共感も得られる箇所です。結局、みんな死んでしまう。どんな生き方を選ぼうと、最後は全員、死んでしまうと思うからです。
同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行なわれるすべての事のうちで最も悪い。だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。(3節)
私たちの中に悪が満ちているのは、正しい人も悪人も、「死んだら同じ結末がくるからだ」とソロモンは言います。だったら、「『生きている犬は死んだ獅子に勝る』のではないか。」
ひとたびこのような考えにとらわれたら、あとはらせんを落ちていくようなものです。「命あってなんぼ」「どうせ死んじまうんだ。だったら生きているうちに楽しもう!!」
ソロモンは、知識と知恵に満ちていた王ですが、「獅子である自分が、犬に過ぎない者と同じ死体になる」と思うだけで耐えがたかったことでしょう。
虚無的になるはずです。
★★★★★
すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。(4節)
生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。(5節)
また、ソロモンが、これほど即物的なのは、彼が豊かであったからかもしれません。彼はある意味で全世界を手に入れ、彼が欲しいと思うすべてを所有することができました。目に美しいもの、耳に楽しいこと、柔らかい絹の着物や五感をふるわせる香油、ありとあらゆる快楽、知的快楽から肉的快楽までが取り揃えられていました。それは、生きていてこそ得られる報いでした。
ソロモンは二十年をかけて、神殿と自分の家を建てました。(Ⅱ歴代誌8章1節)
それは、かつてどのイスラエル人も経験したことがないような大事業でした。ソロモンの栄誉はこの上もないものでした。
ソロモンは、神殿では、へりくだって祈りました。「神をこのようなところ(人の手で造った建物)にお入れすることはできません。」と祈ることばから、彼は主(しゅ=神)がどのような方かよく知っていたと思います。(Ⅰ列王記8章27節)
神殿建設のための巨額の金(きん)も、ツロの王ヒラムから買い取ったおびただしいレバノン杉も、そもそも神殿建設の施主ソロモンのいのちも、もとはといえば、神がお造りになり、ソロモンに与えて下さったものに過ぎません。
★★★★★
彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消えうせ、日の下で行なわれるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。(6節)
さあ、喜んであなたのパンを食べ、
愉快にあなたのぶどう酒を飲め。
神はすでにあなたの行ないを喜んでおられる。(7節)
いつもあなたは白い着物を着、
頭には油を絶やしてはならない。(8節)
日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。(9節)
あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。(10節)
ソロモンの死後、イスラエルは南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂しました。大国が台頭してくる国際情勢の中で、もともと弱小国であったイスラエルは、迷走していきます。苦しむ王や民の前に多くの預言者が現れて、神のことばを取り次ぎました。やがて来る救い主についての預言が、繰り返されるようになりました。
すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。(2節)
このような論の展開は、神を信じない人の共感も得られる箇所です。結局、みんな死んでしまう。どんな生き方を選ぼうと、最後は全員、死んでしまうと思うからです。
同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行なわれるすべての事のうちで最も悪い。だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。(3節)
私たちの中に悪が満ちているのは、正しい人も悪人も、「死んだら同じ結末がくるからだ」とソロモンは言います。だったら、「『生きている犬は死んだ獅子に勝る』のではないか。」
ひとたびこのような考えにとらわれたら、あとはらせんを落ちていくようなものです。「命あってなんぼ」「どうせ死んじまうんだ。だったら生きているうちに楽しもう!!」
ソロモンは、知識と知恵に満ちていた王ですが、「獅子である自分が、犬に過ぎない者と同じ死体になる」と思うだけで耐えがたかったことでしょう。
虚無的になるはずです。
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すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。(4節)
生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。(5節)
また、ソロモンが、これほど即物的なのは、彼が豊かであったからかもしれません。彼はある意味で全世界を手に入れ、彼が欲しいと思うすべてを所有することができました。目に美しいもの、耳に楽しいこと、柔らかい絹の着物や五感をふるわせる香油、ありとあらゆる快楽、知的快楽から肉的快楽までが取り揃えられていました。それは、生きていてこそ得られる報いでした。
ソロモンは二十年をかけて、神殿と自分の家を建てました。(Ⅱ歴代誌8章1節)
それは、かつてどのイスラエル人も経験したことがないような大事業でした。ソロモンの栄誉はこの上もないものでした。
ソロモンは、神殿では、へりくだって祈りました。「神をこのようなところ(人の手で造った建物)にお入れすることはできません。」と祈ることばから、彼は主(しゅ=神)がどのような方かよく知っていたと思います。(Ⅰ列王記8章27節)
神殿建設のための巨額の金(きん)も、ツロの王ヒラムから買い取ったおびただしいレバノン杉も、そもそも神殿建設の施主ソロモンのいのちも、もとはといえば、神がお造りになり、ソロモンに与えて下さったものに過ぎません。
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彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消えうせ、日の下で行なわれるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。(6節)
さあ、喜んであなたのパンを食べ、
愉快にあなたのぶどう酒を飲め。
神はすでにあなたの行ないを喜んでおられる。(7節)
いつもあなたは白い着物を着、
頭には油を絶やしてはならない。(8節)
日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。(9節)
あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。(10節)
ソロモンの死後、イスラエルは南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂しました。大国が台頭してくる国際情勢の中で、もともと弱小国であったイスラエルは、迷走していきます。苦しむ王や民の前に多くの預言者が現れて、神のことばを取り次ぎました。やがて来る救い主についての預言が、繰り返されるようになりました。