死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。(伝道者の書10章1節)
これは、説明なしに納得できる言葉です。ハエは小さな昆虫にすぎませんが、スープの中に落ちていたらだれでもそのスープを捨てます。まして香油が臭くなっては売りものになりません。同じようにわずかな愚かさで、せっかくの知恵や栄誉も台なしになるというのです。
知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。(2節)
〈右〉は力とか幸運を意味し、〈左〉は不幸とか災害を意味する。(新実用聖書注解・いのちのことば社P910)
愚か者が道を行くとき、思慮に欠けている。自分が愚かであることを、みなに知らせる。(3節)
この「道」は人生を意味しているそうですが、「はい」とうなずくしかありません。ただ、逃れる方法はあります。聖書では知恵は神を恐れることから来るのです。反対に、愚かさは、神を恐れないところからもたらされるのです。人間が考える「頭の良さ」のことではないと思えば、愚かな選択は避けることができると考えられます。
支配者があなたに向かって立腹しても、あなたはその場を離れてはならない。冷静は大きな罪を犯さないようにするから。(4節)
対立や衝突があるとき、だれでも「いたたまれなく」なります。対等な人間関係でも、緊張が頂点に達しているような時に、「席を蹴って」出て行くのは、ますます人を怒らせます。まして、相手が王である場合は、許しがあるまでその場にいなければならないというのです。実際の対立以上に王を怒らせないためです。
しかし、ソロモンは、王(権力者)に絶対的正義があるとは言っていません。権力者が犯す過ちは、悪の中でも最悪なのです。それは、彼をその位置に据えられた神を冒涜することだからです。
私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは権力者の犯す過失のようなものである。(5節)
愚か者が非常に高い位につけられ、富む者が低い席に着けられている。(6節)
私は奴隷たちが馬に乗り、君主たちが奴隷のように地を歩くのを見た。(7節)
こんなことは、珍しいことではありませんね。高い地位にあり、権力があるはずの人の愚かさは、テレビニュースなどでもしょっちゅう見る時代です。東京都知事が公費を私的に流用した疑惑を問われて、きちんとした釈明ができません。大会社の最高位にある人が、自社製品の不正が明るみに出て記者会見する時も、おろおろと言い訳しています。「責任者」である意味がよくわからないようです。
そのような出来事が明るみに出なければ、彼はどこへ行っても敬意をもって処遇され、さぞ立派に見えた人だったでしょうに、と思わされます。
★★★★★
穴を掘る者はそれに落ち込み、石垣をくずす者は蛇にかまれる。(8節)
石を切り出す者は石で傷つき、木を割る者は木で危険にさらされる。(9節)
もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。しかし知恵は人を成功させるのに益になる。(10節)
もし蛇がまじないにかからずにかみつくなら、それは蛇使いに何の益にもならない。(11節)
たしかに、穴を掘るリスク、石垣をくずすときの不測の事態に備えるのは、知恵です。その意味では、人はだれでもずいぶんたくさんの知恵を蓄えて来たのです。それが、文明と呼ばれるものではないでしょうか。
斧のようは刃物を扱うこと、蛇や猛獣を扱うことにも知恵が必要です。
★★★★★
知恵ある者が口にすることばは優しく、愚かな者のくちびるはその身を滅ぼす。(12)
彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、みじめな狂気。(13節)
愚か者はよくしゃべる。人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることをだれが告げることができよう。(14節)
しかし、知恵が本当に必要なのは、言葉を出すときかもしれません。知恵ある者の言葉は「優しい」のです。それに対して、愚か者は、言葉で身を滅ぼすと戒められています。
愚かな者の労苦は、おのれを疲れさせる。彼は町に行く道さえ知らない。(15節)
たしかに、おしゃべりの後、疲労感と自己嫌悪に陥るときがありますね。
これは、説明なしに納得できる言葉です。ハエは小さな昆虫にすぎませんが、スープの中に落ちていたらだれでもそのスープを捨てます。まして香油が臭くなっては売りものになりません。同じようにわずかな愚かさで、せっかくの知恵や栄誉も台なしになるというのです。
知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。(2節)
〈右〉は力とか幸運を意味し、〈左〉は不幸とか災害を意味する。(新実用聖書注解・いのちのことば社P910)
愚か者が道を行くとき、思慮に欠けている。自分が愚かであることを、みなに知らせる。(3節)
この「道」は人生を意味しているそうですが、「はい」とうなずくしかありません。ただ、逃れる方法はあります。聖書では知恵は神を恐れることから来るのです。反対に、愚かさは、神を恐れないところからもたらされるのです。人間が考える「頭の良さ」のことではないと思えば、愚かな選択は避けることができると考えられます。
支配者があなたに向かって立腹しても、あなたはその場を離れてはならない。冷静は大きな罪を犯さないようにするから。(4節)
対立や衝突があるとき、だれでも「いたたまれなく」なります。対等な人間関係でも、緊張が頂点に達しているような時に、「席を蹴って」出て行くのは、ますます人を怒らせます。まして、相手が王である場合は、許しがあるまでその場にいなければならないというのです。実際の対立以上に王を怒らせないためです。
しかし、ソロモンは、王(権力者)に絶対的正義があるとは言っていません。権力者が犯す過ちは、悪の中でも最悪なのです。それは、彼をその位置に据えられた神を冒涜することだからです。
私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは権力者の犯す過失のようなものである。(5節)
愚か者が非常に高い位につけられ、富む者が低い席に着けられている。(6節)
私は奴隷たちが馬に乗り、君主たちが奴隷のように地を歩くのを見た。(7節)
こんなことは、珍しいことではありませんね。高い地位にあり、権力があるはずの人の愚かさは、テレビニュースなどでもしょっちゅう見る時代です。東京都知事が公費を私的に流用した疑惑を問われて、きちんとした釈明ができません。大会社の最高位にある人が、自社製品の不正が明るみに出て記者会見する時も、おろおろと言い訳しています。「責任者」である意味がよくわからないようです。
そのような出来事が明るみに出なければ、彼はどこへ行っても敬意をもって処遇され、さぞ立派に見えた人だったでしょうに、と思わされます。
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穴を掘る者はそれに落ち込み、石垣をくずす者は蛇にかまれる。(8節)
石を切り出す者は石で傷つき、木を割る者は木で危険にさらされる。(9節)
もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。しかし知恵は人を成功させるのに益になる。(10節)
もし蛇がまじないにかからずにかみつくなら、それは蛇使いに何の益にもならない。(11節)
たしかに、穴を掘るリスク、石垣をくずすときの不測の事態に備えるのは、知恵です。その意味では、人はだれでもずいぶんたくさんの知恵を蓄えて来たのです。それが、文明と呼ばれるものではないでしょうか。
斧のようは刃物を扱うこと、蛇や猛獣を扱うことにも知恵が必要です。
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知恵ある者が口にすることばは優しく、愚かな者のくちびるはその身を滅ぼす。(12)
彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、みじめな狂気。(13節)
愚か者はよくしゃべる。人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることをだれが告げることができよう。(14節)
しかし、知恵が本当に必要なのは、言葉を出すときかもしれません。知恵ある者の言葉は「優しい」のです。それに対して、愚か者は、言葉で身を滅ぼすと戒められています。
愚かな者の労苦は、おのれを疲れさせる。彼は町に行く道さえ知らない。(15節)
たしかに、おしゃべりの後、疲労感と自己嫌悪に陥るときがありますね。