不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

翻訳者と翻訳家

2020-06-17 14:47:56 | 日記
コロナ禍で在宅勤務を余儀なくされた人は多いと思いますが、オンラインで働けるというのはヒキコモリにとっては朗報じゃないでしょうか。
誰とも会わずに済むなら私みたいな対人恐怖症でも働けます。まあヒキコモリの根っこがすべて対人恐怖とは限らないでしょうが……。

私は翻訳家を目指していますが、前は翻訳者をやっていました。

「翻訳家と翻訳者ってどう違うの?」
と思われるかもしれません。

私の感覚では、「翻訳家」は物書き、「翻訳者」は技術者です。

私がやっていたのは韓国ドラマやバラエティ番組に字幕を付ける仕事です。

エンターテインメントなのにと意外に思われるかもしれませんが、字幕ではあまり個性を出しません。
テレビで放送する場合はもちろんDVDにする場合でも、字幕の納期は短いので、一人で全部訳すことはまれなのです。

1話の映像ができたらAさんが訳して、その間に2話の映像ができたらBさんが訳して、
Aさんが1話を訳し終えた頃に3話の映像が来るといった具合です。

もっと納期が短い場合には3人とか4人で担当することもあります。
チームでの作業になるので、個性を出してしまうとドラマ全体のバランスが取れなくなる恐れがあるのです。

そしてなるべく意訳はしません。というのも回想シーンなどの場合は過去話から当該場面を探す必要があるからです。
例えば「トッポッキが食べたかった」というセリフを「おやつが食べたかった」などと訳してしまった場合、
「トッポッキ」というワードを検索して当該のシーンを捜し出そうとしてもヒットせず、最悪の場合過去話を全部見直すことにもなりかねないからです。

字幕が没個性でも、俳優の演技があるので作品は十分楽しめます。そういう意味で字幕翻訳家は完全なる裏方です。
必然性がない場合は方言も訳さないし、呼称も『揺れ』がないようにします。
主人公の一人称が、ある時は「俺」で、ある時は「僕」、またある時は「私」では困るのです。
「主人公の一人称は『俺』、ただし仕事中は『私』」というようにちゃんと統一して表にまとめ、関係者全員が閲覧しながら作業を進めます。

表記も同様で、「バカ」なのか「馬鹿」なのか、「ダメ」なのか「駄目」なのか、いちいち決めていきます。

ドラマの字幕は1秒に4文字くらいまでがストレスなく読み切れる分量だと言われています。
ぴったりの訳語が見つかっても、字数が合わないために言いかえる、場合によっては丸々割愛せざるを得ないこともあります。

「驚いた」では字数が足りない、でも「びっくりした」ではこの人物の役柄からすると軽すぎる。じゃあ「驚きを感じた」にしようか……
こんなパズルのような作業を日々繰り返すことによって「似た内容を様々に言いかえる」という言葉の引き出しは確実に増えたと思います。

役者が早口でしゃべると、全てを字幕に入れることはできません。しゃべっている内容の中で何を捨て、何を活かすかを判断することも大切です。
その場では不必要に見える情報でも、あとで重要な伏線になる場合も少なくないからです。

多くの場合は脚本だけ先に渡されますが、全部読んでから作業するほどの時間はとてもありません。
要するに字幕翻訳はかなりな自転車操業なのです。

『翻訳家』にはこういう制約が少ないんじゃないかと思います。別の難しさはあると思いますが……。

ヒキコモリにはうってつけの職業

2020-06-11 14:37:25 | 日記
息子が不登校になった時、私が最も心配したことの一つは
「この子は将来働けるのだろうか?」
ということでした。

何を隠そう私もかなりのヒキコモリ体質です。翻訳という仕事が好きだったのもそれが一つの理由です。

翻訳というのは実にヒキコモリにうってつけの仕事なのです。
十年にわたって仕事をいただいたコーディネーターのKさんとさえ、一度も顔を合わせたことがないくらいです。

不登校の息子を励まそうとして、
「お母さんみたいに、翻訳家になればいいじゃない」
と言ったこともあります。

けれどそもそも、人はみな働かなければならないのでしょうか。

仕事がない時、私はとても不安でした。
フリーの翻訳者には一定の量の仕事が常に供給されるとは限りません。
何カ月も仕事がない時もあれば、2年間で3日しか休みがなかった時もありました。

仕事がない時の焦燥感といったら耐えがたいものでした。
将来への不安はもちろん、夫だけに働かせているという罪悪感や劣等感。
子供たちから尊敬されなくなるのではないかという思い込み(多分、子供は働こうが働くまいが私を尊敬なんかしていないと思いますが)。

そういうものも、「働きたい人だけ働けばいい」となれば解消されるのではないでしょうか。

ベーシックインカムについて初めて聞いた時、私は半信半疑でした。
政府がすべての国民に最低限の生活を送れるだけのお金を支給するなんて、
「どこからそんなお金が湧いてくるの?」
と思ったのです。

今回のコロナ禍で分かったのは、みんなに平等にお金をばらまくのは簡単なことだということです。
その手間はおそらく、各家庭に2枚ずつマスクを配るよりも少ないのかもしれません。

みんなが取りに来たら感染が広がってしまうので、マスクの場合は誰かが各戸に届けなければいけません。
けれど十万円は口座に振り込むことができます。
もしも「年収いくら以下の人だけ」とか限定してしまったら、収入の計算だの何だのと事務的な手続きは膨大になったでしょうが、
一律に配るのは簡単なのでしょう。

ベーシックインカムが導入されたら、現在生活保護や年金事務に携わっている膨大な人手と賃金が不要になるのです。

その時、私は「働きたい」と思うでしょうか。
働いたことのある私はそうかもしれません。収入の問題を抜きにしても、働くこと自体が楽しい面もありましたから。
でも働いたことのない息子はどうでしょう。

誰も働かない社会がもうすぐ来るのかもしれません。その時、人間は何を目標に生きるのでしょう。

人間のしていた仕事を、AIがみんな代わりにやってくれるのか。何もできない人間ばかりが増えていき、そのうち文明社会は滅ぶのか。
AIが人間に取って代わるのか。それは誰にも分かりません。

そうなっても、『お金』というモノは機能するのでしょうか。
通帳に記載されているただの数字の羅列、誰も意味を知らない記号の羅列になっているのでしょうか……。

ヒキコモリの息子とコロナ禍

2020-06-04 17:49:10 | 日記
小さい子供のいるパート仲間の話では、段階的に小学生の登校が始まったそうです。

ある学校では登校が始まった直後は子供を地域ごとに午前グループと午後グループにに分けていて、
今は15分ずらして登校させているそうです。
地域ごとにするのはきょうだいが一緒に登校できるようにするためです。

「15分ずらしって意味あるの?」
と聞くと、
「だよねー。昇降口が混雑するのを避けるためなのかなあ」
とのこと。そのために児童が車道を横断する際に黄色い旗を掲げて保護する旗振りも一時的にお休みだそうです。

コロナは防げるけど交通事故の危険性はアップ。

このところ暑くなってきたので、マスクのおかげで熱中症の危険性もアップしそうです。
「換気のために窓を開けとくと、冷房も入れられないしね」
と小学生のママたちはため息まじりです。

それに引き換え私は気楽なものです。
娘の通っている大学は早々と「春学期中はオンライン授業」と決まったし、息子はもともと全く外に出ません。

……いや、それはそれで心配なんだけど。コロナとは無関係に。

娘は娘で3年生なのでそろそろ就職の準備をする時期に差し掛かっているのですが、
「私は資格試験を受けるから」
と言って勉強だけしています。

いや、勉強「も」しないよりはマシだけど。
そう簡単に受かる試験でもないのに、落ちたらどうするんだろう。
もし普通に大学に通っていたら、周りが就職活動を始めるのを見て自然に焦り始めると思うんですが。

そろそろ子育ても卒業かと思いきや、まだこれから何年も
就職浪人と大学浪人(と自称するヒキコモリ)の面倒を見ていかなきゃいけないのかなあ。

なんだか嫌な予感がしてきました……

あっ、ようやくアベノマスクが届きました。
これでもう安心だあ。