不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

壊れていく息子

2018-03-28 09:02:49 | 日記
ユウト君たちは遊びに来なくなりました。

息子は本格的に調子を崩していきました。
だんだん私の作った食事を受け付けなくなり、コンビニのおにぎりやサンドイッチ、
ファーストフードのハンバーガーなどを欲しがるようになりました。
そのうちそれすら食べなくなって、カロリーメイトやウィダーインゼリーだけになりました。

「モスバーガー買ってきて」
と言われた時は、近くにあるマクドナルドではダメで、車を30分飛ばしてモスバーガーまで行きます。

「今忙しいから、あとで」
と言おうものなら、
「じゃあいい」
と食べなくなってしまうので、忙しくても言われたらすぐ行かなければなりません。

不潔恐怖症なのか、私の洗ったコップもダメで、ネットでコップなども注文し、
自分の部屋に置くようになりました。
家で煮出した麦茶さえダメで、ペットボトルで買ってこなければなりません。

家族と話すのも嫌がり、勝手にカードで身の回りの品や間食を注文して食べるようになりました。
何も食べないよりはましなので、もう黙認するしかありません。

服の感触を嫌がって、家の中ではパンツしか着けません。
中三の冬には布団も自分で部屋の外に出してしまい、ベッドに直接シーツを敷き、
タオルケットにくるまって寝るようになりました。

睡眠時間も滅茶苦茶で、いつ寝ているか分かりません。
部屋をのぞくと、ゲームの途中で寝落ちしている姿をよく見かけるようになりました。

やせ細った体を椅子の上で器用に折りたたんで、即身仏のように眠りこけている息子。
何度も寝息を確かめて、生きているのを確認しました。

食べさせることもできない、服を着させることもできない。
季節は冬に向かっていくのに、寝る時に毛布を掛けてやることすらできません。
もし息子がこの時死んでいたら、私は逮捕されていたでしょう。

しばらく前に新聞で監禁致死事件の記事を読みました。
6才で統合失調症を発病した娘さんが部屋に監禁され、33歳で衰弱死したという痛ましい事件です。
私は背筋が冷たくなりました。息子も統合失調症のような症状を見せた時があったからです。

詳しい事情は分かりませんが、親御さんもさぞご苦労されたのではないかと思います。

私の母も統合失調症でしたが、本人は病識がないので病院に連れて行くのも難しいし、
非常識に見える行動も直そうとすると激しく抵抗し、言うことを聞かせることができません。

私は親御さんに同情しました。亡くなった娘さんはもちろん気の毒ですが、親でもどうにも手出しできない時というのはあります。

息子はわりあいおとなしかったので病院に連れて行ったことはなく、本当に統合失調症だったかどうかも分かりませんが……。

友達をかばってプチ家出

2018-03-21 10:11:35 | 日記
友達にお金を盗まれて、息子はまた昼夜逆転の生活に戻りました。
高校に提出する課題も出せないままです。私はとうとうキレました。

「息子が高校にも行けなくなって、泣き寝入りするわけにいかない。もう校長先生に言う」
「学校に言わないって、友達と約束したんだよ」
息子はこの期に及んでもユウト君たちをかばおうとします。

「あんな奴らは友達じゃないよ。反撃もできない弱虫だって、バカにされてんだよ!」

思わず怒鳴ってから、しまったと思いましたが後の祭りです。
息子は自分の部屋に駆け込んだかと思うと、バッグを持ってきて玄関へ向かいました。

「ちょっと、どうしたの」
私はおろおろと後について外へ出ました。息子は黙って自転車にまたがり、どこかへ走り去りました。

長いこと、外に出られなかったのに。

私は取って返して車で近所を回ってみましたが、
どっちへ向かったのかも分からないのに見つかるはずがありません。

私は諦めて家に戻りました。行く当てもないし、お金も大して持っていないのだから、
そのうち帰ってくるだろうと思いました。

それにしても、お金を盗んだ友達を、そんなにまでしてかばうなんて……。

思ったとおり、息子はお昼過ぎに帰ってきました。ほんの数時間のプチ家出でした。

「じゃあ、学校には言わないから。高校進学だけは前向きに考えてみて」
と言うと、息子は黙ってうなずきました。

「学校なんて、行っても意味がない。中身のない受験勉強と、うわべだけの仲間意識を強要される所」
と、私は感じていました。

それでも息子に、
「高校なんか行かなくていいよ」
とは言えませんでした。

高校に行かなかったら、息子の将来は閉ざされてしまうような気がしていたのです。

結局学校を肯定してるじゃないかと言われても、返す言葉もありませんが、
できれば浪人することなくみんなと同じタイミングで息子を高校に行かせたいと思いました。
そうすれば、いつかみんなと同じコースに戻れると……。

けれどとうとう最後の締め切りが過ぎるまで、課題を提出することはできませんでした。

優等生の姉と不登校の息子

2018-03-14 09:16:30 | 日記
「俺、高校行くまで昼夜逆転する」

友達にお金を取られてしばらくたった頃、息子が突然こう宣言しました。

「昼夜逆転してたら、高校にも行けないよ」
私は必死で止めました。

「せっかく元気になってきたのに、また振出しに戻っちゃう」

自分で決めて昼夜逆転するなんて、聞いたことがありません。ショックで自暴自棄になったのでしょうか。
親のコントロールから自由になりたいということなのでしょうか。親と対決したいのでしょうか。
簡単に許可しちゃっていいのでしょうか。私はもう頭の中がぐるぐるです。

「夜、見たい生放送があるんだ」
ニコニコ動画でしょうか。息子が自分で生放送をやっていると聞いたことがありました。

「録画とかできないの?」
「無理」

最後は泣いて止めましたが、息子は聞く耳を持ちません。そばでやり取りを見ていた夫は、

「いやあ、やめたほうがいいんじゃないの?朝型に戻すの、大変だぜ」
と、どこか他人事のような言い草です。

小中学校のPTA会長を務めたうえ、青少年健全育成会だの子供のアウトドアの会の代表だの、
「いい父親」のイメージだけはばっちり固めている夫ですが、肝心の我が子には無関心です。

子供のアウトドアの会にしたって、最初は子供2人と一緒に入ったのに、
2年ぐらいしてBが行き渋ると、Aだけ連れて行くようになりました。

Aもその後地域のバスケチームに入るからやめたいと言うのを、
「俺が代表なのに、やめるわけにいかない」
と自己都合で続けさせました。結局、自分がやりたいのです。

せっかくの休日を留守番して過ごす妻と息子には、もちろんお構いなしです。
活発に外に出かける子が偉い、ついてこないのが悪いと思っているようです。

夫のお気に入りの娘は、周りの大人が感心するような優等生です。
きついと言われるバスケチームとアウトドアも両立したし、中学高校も優秀な成績で卒業し、
この春とある名門大学に入学を決めました。

ちなみに息子も姉を見てバスケチームに入ったものの、半年ももたずにやめました。
優秀な年子の姉がいることも、息子の劣等感を助長しているのかもしれません。

また、何事も余裕でこなしているように見える娘ですが、
実は無理をしているのではないかと、心配になる時もあります。

心配をかけない子でも心配だなんて、親というのは因果なものです。

とにかく息子はまた昼夜逆転の生活に戻りました。

息子が好きだった先生(3)

2018-03-07 08:16:41 | 日記
息子が友達にお金を取られた顛末を聞くと、息子が好きだった先生は、
「ユウトがやるわけない」
と一言で決めつけました。

たとえ内心思ったとしても、わざわざ保護者が相談に訪れているというのに、根拠もなく否定するなんて。
いい先生だと思っていたのに、この先生も息子の味方ではなかった……。
ヨシノ先生に抱いていた信頼はもろくも崩れてしまいました。

「外面のいい子なんですよ!」
ショックと悔しさで、思わず語調が強くなりました。
ヨシノ先生もエノモト相談員も戸惑ったように顔を見合わせています。

「それで、お母さんとしては、どういう対応をお望みなんでしょうか」

改まって聞かれ、私はグッと詰まりました。何かの対応を望んでここまで来たわけではありません。
ご近所との関係もあるし、証拠もないし、お金も返してくれたようだから、事を荒立てたくはありませんでした。
ただ、このやり場のない悔しい気持ちを聞いてほしかったのです。

「校長に言ってみますか?」

実は今日ここに来る前に、お金を取られたことを学校には言わないでほしいと息子に言われていました。

「適応指導教室は学校とは別の組織だから、頼めば秘密は守ってくれるって」
と息子を説き伏せて、ここまで来たのでした。

「いや……いいです」

「担任から、ユウトとショウタに指導させましょうか」

それも結局学校に言うことになってしまいます。
そもそも証拠もないし、ユウト君がそんなことをするはずがないと、きっと担任も思うでしょう。
息子のいない欠席裁判で、口のうまいユウト君がしっぽをつかませるようなマネをするでしょうか。

「いいえ、結構です」
と言うと、ヨシノ先生はホッとしたような表情を浮かべました。

かわいいユウト君を追い詰めずに済んでうれしいのでしょう。
または私か息子のことを嘘つきだと思ったのかもしれません。

先生たちは、結局、学校に来ている子がかわいいのです。
学校に来ていない子は、なんとかしてまた来させるか、来ないならせめて問題を起こさずにおとなしくしていてほしいのです。
「ユウトはやってない」というのは、今思えば、ポロっと出た失言にすぎなかったのだろうとは思いますが、
それだけに本音のにじんだ言葉でした。

別れ際にヨシノ先生は機嫌を取るように笑いながらこう言いました。
「ご主人に、PTAでご一緒させていただいて、すごく楽しかったとお伝えください」

夫は小学校のPTA会長だったのです。だけどなんで今PTAの話を?
夫とは親しかったのだから、少しくらいの失言は大目に見ろということでしょうか。
私は余計にげっそりしてセンターを後にしました。