不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

眠れぬ夜の親子どんぶり

2018-12-31 07:47:58 | 日記
父が自殺して1年ほどたったある日、母がふらりと私たち姉妹を訪ねてきました。

その晩は、久しぶりに親子で枕を並べて寝ました。
「Nちゃん、Nちゃん」
夜中に、私を呼ぶ、母の押し殺した声がしました。

閉じたまぶたを不機嫌にこじ開けると、母が謎めいた微笑を浮かべながら、布団に膝をついて私に覆いかぶさってきました。
手には何か黒いボールのような物を持っています。

「これを、耳に、着けなさい」
 息だけの声で、一語一語、区切るように言って、黒い物体を持った両手を差し伸べてきました。

「何、それ」
 私は思わず身を引きながら言いました。

「どんぶりなの、ラーメンの」
 母は照れたようにくすくす笑いましたが、目は真剣でした。

見ると、母の頭の両側にも、どんぶりがくくりつけてあります。
黒いタイツにどんぶりを入れて耳のところに固定し、タイツの脚の部分をあごの下で結んでいるのです。

「ああ、どんぶりか……」
 納得しかけましたが、問題はそこではありません。

「なんでどんぶり!?」
キレそうになるのを我慢しつつ、問い返すと、
「確かに重いんだけどね」
 と母は顔をしかめました。

「でも、このくらい分厚いほうがいいの。お茶碗とかじゃ効かないのよ」
「いや、お茶碗ならいいとかじゃなくて……」

昔から母は芸術家気取りで奇をてらうようなところがあり、そんな母が私は好きではありませんでした。

眠かった私はその時も、
(また何か変なことを言い出して周りの気を引こうとしてる。相手にしてられないよ)
と思いました。

「そんな物着けたら寝られない。お休み」
 寝返りを打って母に背を向けると、姉が隣の布団で、何も知らずに両耳にどんぶりを装着されて平和な寝息をたてていました。

母の発狂

2018-12-25 10:49:15 | 日記
私の父は私が18歳の時に自殺しました。享年47歳でした。
工場の経営に行き詰まり、借金を返すために自殺したのです。

不渡りを出してからすぐの死でしたが、その1年前から生命保険をかけていたところを見ると、
とうに覚悟は決まっていたようです。

バブルのあおりで中小の工場がバタバタと倒産していた頃でした。

元々変人だった母は、この時を境に本格的におかしくなっていきました。

「近所の人が陰口を言っている」
とか、
「借金取りが家に押し掛けてくるから、おばあちゃんの家に身を寄せていなさい」
と私に言うようになったのが、今思えば妄想の始まりでした。

父が自殺した我が家のことを近所の人が噂するのも、借金取りが家に来ることも現実にありそうなことなので、
その時は母が発狂したとは思いませんでした。

私は言われるままに祖母の家に身を寄せました。
当時姉も祖母の家から東京の職場に通っていたので、自宅には母だけが残りました。
借家だったので、母も一緒に来ればよさそうなものなのに……。
私はといえば大学生活が忙しく、親のことには無関心でした。

母がふらりと祖母の家に現れたのは、それから1年ほど経ってからでした。

母は祖母の家の玄関口で、
「来ちゃった」
と照れたように笑って言いました。

なにが「来ちゃった」だ、と突っ込むのも忘れて、私は母の風体を眺めました。
着の身着のままで、髪はボサボサ、履いているのはサンダルです。
この格好で1時間も電車に乗って来たとは。神経質だった以前の母からは考えられないことでした。

その日から母は祖母の家で暮らし始めました。着替え一つ持たず、自宅もほったらかしにしたまま。

もっとも、母には着替えなど必要ありませんでした。
母はその時もう風呂にも入ろうとせず、着替えもしなかったのです。


小児性欲が人生を狂わせる

2018-12-18 10:06:17 | 日記
ブログの題名が『ビョーキの母と不登校の息子』なのに、息子と職場の話ばっかり書いているので、
少し母のことも書こうと思います。

『母対息子』みたいな題名なので、ビョーキなのは私だと思われているかもしれませんが、実は私の母のことです。

母は統合失調症で、47歳で発病する前から気難しい変人でした。
変わり者の母との生活が私の人生に影を落としたことは間違いないと思います。

ただ、変わり者の私との生活が母の人生に暗い影を投げかけたのも事実だと思うので、母亡き今となっては、
(まあ、おあいこっていうことで……)
と苦笑いするしかありません。

学校に行かない息子のおかげで肩身の狭い思いをしている私ですが、息子は息子で
(もっとお母さんがまともだったら、こんな人生を歩まなくてもよかったのに)
と思っているかもしれません。

私のどこが変わり者だったかというと、幼児期から自慰の癖があったことを第一に挙げなければなりません。

幼い頃から自慰の癖がある子を、親は気持ちの悪い子だと思い、恥じて叱り、また他人の目から隠そうとします。
そうでない親もいるとは思いますが、私の親は多少なりともそうでした。

親は私のことで心を痛めたそぶりは見せませんでしたが、本当は親を不幸にしたのは私だったのではないかと思います。

親が性的存在であることが、時には子供にとって許しがたいのと同様に、
子供が性的存在であることが、親にとって耐えがたい場合もあるでしょう。

母の発病も父の自殺も、遠因をたどれば私という存在のせいだったのではないかと……。

自慰の癖は子供のせいではありません。だから自慰の癖を持つ子供を疎んだ親自身も悪いのです。

けれど無理もありません。例えば同性愛なども、最近はようやく市民権を獲得しつつありますが、
変わった性癖というものは周囲にとってなかなか受け入れがたいものでしょう。自分の子供だったらなおさらです。

性癖ではないですが、不登校で私を悩ませている息子に対しても、私は断固とした態度を取れません。

(世間からは外れているけれど、自分ではどうしようもない何かがあるのだろう)
と思ってしまうのです。
そのこだわりが周囲に受け入れられやすいかどうかという違いだけで、人間とは本来そういうものじゃないかと思うのです。

なので私は息子に対しても、
(まあ、おあいこっていうことで……)
というスタンスでいくしかありません。

親から愛されなかった子供の人生は孤独で不安です。
流行りのアドラー心理学なら「過去のせいにするな」とか言われそうですが、アドラー先生、そりゃあんまりです。
重すぎる過去だってあるんです。

私の幼児期についてもいずれ書くかもしれませんが、とりあえず今は置いておきましょう。

ケンカは味方の多いほうが勝ちです

2018-12-11 09:49:35 | 日記
余談が長くなりました。職場イジメに誘われた話を書いていたんでした。

とにかくそんなわけで私はシノヅカさんに一目置かれているので、ヨシカワさんも仲間外れにしにくいのでしょう。
私を仲間に引き入れない限り、カドタさんをハブることはできないと思ったようです。

「まだ大丈夫ね」
自分のバスの時刻を気にしながら、ヨシカワさんはまだカドタさんの悪口を並べています。
私は車通勤なので、早く話が終わればそれだけ早く帰れるのですが、
ヨシカワさんはぎりぎりまで解放してくれる気はないようです。

「カドタさんの言い方には本当に腹が立っちゃった。ひとの悪口言うより仕事に集中すればいいのに」

わざわざ残業後に人を引き留めてまで悪口を言っているのはヨシカワさんのほうなのですが……。

義母もそうでしたが、『いい人』は周りに悪口を言いふらすことで味方を増やそうとします。
ケンカは味方の多いほうが勝ちです。そうなっては面倒なので、正面切って反論はせず、
「まあ嫌いな人とは距離を置くことですよ」
と当たり障りのない返事をしておきました。

きっとヨシカワさんは不安なのでしょう。
年齢も高いし、特に仕事ができるわけでもない。次に首を切られるとしたらヨシカワさんかもしれません。
そう思うと気の毒な気もします。

ヨシカワさんはほぼ内定していたパート先があったのに、サキサカさんに誘われてここに来たのです。
なのにサキサカさんはさっさと辞めてしまいました。

サキサカさんはまだ30代ですから、いくらでも他の仕事が見つかるでしょうが、ヨシカワさんはそうはいきません。
ヨシカワさんは、サキサカさんの代わりに誰か味方が欲しいのでしょう。
誰か標的を決めてイジメるということは、結束を固めるための手っ取り早い方法なのかもしれません。

バスの時間が来て、ようやく解放された私は、明日の朝礼でみんなが集まった時、誰に話しかけるべきかと考えました。

ヨシカワさんに話しかけて、派閥とやらに入れてもらう?

普段どおりにカドタさんと話す?

それとも誰とも話さずに済むように、ギリギリに行く?

考えた末、明日からもカドタさんに話しかけようと決めました。
私は昔から学校や職場という組織で浮いていて、よくイジメの標的にもされました。
息子が学校に行けないのも、私と同じように組織になじめないからではないかと思います。
そんな私がイジメに加担するわけにはいきません。

正直、本当に仲間はずれにされたらどうしようという不安がないわけでもありませんが、倉庫という職場では、
どうせ朝礼の前5分くらいしか雑談の時間はないのです。
ヨシカワさんの言う「派閥」以外にも他の契約会社から来た人もたくさんいるし、男性はたぶん派閥に入っていないでしょうし、
留学生や社員、それに若い人も派閥と無縁な人が多いでしょう。

話す相手は誰かいるし、もしいなくても一人でいればいいのです。

繰り返しますが、ここは中学校の教室ではないのですから……。

ベテランのプライドが仕事の邪魔をする

2018-12-04 11:00:32 | 日記
棚入れがうまくいったのを見て、後ろで事の成り行きを見ていた社員さんがホッとしたように前に出てきました。

「ところで皆さん、もう一つ忘れてる操作がありませんか?」

みんなきょとんと顔を見合わせています。

「在庫検索だ」
さっき説明を受けた私はそう言って立ち上がりました。

検索画面で商品をスキャンすると、新しい棚のロケーションが表示されました。

「3A06-04-2-004」

私は棚の番号を読み上げました。合っています。ホッとして引き出しを閉め、
「オーケー」
とつぶやくと、ワッと歓声が上がりました。

「結構楽しかったじゃない?みんなでワイワイ言って、うまくいってさ」
シノヅカさんは私を振り向いて、
「あんた、名前はなんていうの」
と聞きました。

「Nです」
「そう、覚えとかなきゃね。Nさんね」

1カ月間ほとんど知り合いのいなかった倉庫で、この日たくさんの人と親しくなることができました。

なんとオバサンたち全員が、基本的な棚入れ以上の操作は理解していなかったのです。

『商品のバーコードを読んで、棚のロケーションを読んで、棚に入れる』ことができるだけ。
逆の『棚のロケーションを読んで、商品のバーコードを読んで、棚から出す』という操作を、
やったことのある人は誰もいなかったのでした。

さっき教育係が説明しようとしたとき、「説明はいいから早くやらせてよ」と言って、
聞こうともしなかった操作を……。

(オバサンに説明してもどうせムダ)
とばかりに、さらっと説明を切り上げる教育係。

(どうせ聞いたって分かりっこない。若造に何度も聞くのはベテランのプライドが傷つく。
分からないことは社員にやってもらえばいい)
とばかりに真面目に聞く気のないオバサンたち。

スキャナーを使わない昔ながらのピッキングに慣れたベテランが、
そのプライドのおかげで新しい仕事のやり方から取り残されつつあるのでした。

シノヅカさんだって、オバサンたちだって、きちんと教えてもらえさえすれば、ちゃんと仕事をしたかったのです。

けれど社員さんは
(昔からいるおばさんは中途半端に現場を知っていて口答えが多いし、スキャナーの操作の覚えが悪くて教えても時間の無駄)
くらいに思っているようです。

私は新人で、一見若く見えるし、自分から質問したので親切に教えてもらえただけです。