不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

母は薬を余らせます

2019-03-26 09:15:20 | 日記
「どう、元気?」
話題が見つからなくて間の抜けた質問をすると、
「元気よ。Nちゃんは?」
母は相変わらず、にこにこと私の顔を見ながらながら答えました。
「元気」

 ふと見ると、部屋の隅に、薬の袋が山と積まれています。

「ね、もらった薬、飲んでんの?」
「え、飲んでるよ」
「じゃ、それは? 余ってるの?」
「うん、だってすごく沢山くれるんだもん」
 母は、自分のせいではないというように口をとがらせます。

「くれたらくれただけ、全部飲むんじゃないの?日数分もらってるんでしょ」
「なんか、余計にくれてるみたいよ」
 そんなはずはありません。母は時々こんなふうに、ぬけぬけと人をだますことがあるから要注意です。

「朝、昼、晩と、決まった時間に食事しないから忘れちゃうんだよ」
 非難がましく言うと、
「うーん……でも、薬飲むと、頭がボーっとしちゃうのよね……眠くなっちゃうの」
と母。やはりわざと飲まないようにしているようです。語るに落ちるとはこのことです。

「飲まないと治んないよ」
「病気じゃないんだよ、お母さん」
 本人がそう思っているところが病気なのです。

「耳が痛くなっちゃうよ、また」 
「耳が? なんで、お母さんそんなこと言ったっけ?」
 最初に発病したとき、母は、『耳が電波でひっぱられて痛い』と、しきりに訴えていたのですが、
もう覚えていないようです。

「前、さんざん耳が痛いって騒いでたじゃん。先生に言ったの?薬飲むと眠くなって困るとか」
「言わない」
 母はけろりと答えます。

「言ったほうがいいよ。先生は聞かないの、調子はどうですかとか」
「聞くよ。聞くから、『まあまあです』って言うと、『そうですか』って……」
 なんか、頼りない先生だなあ。

その時母が急に眉根を寄せて、何かに耳をすませているような表情になりました。

――『ヒデノリ』か、また……。
 私はため息をつきました。

母に会うのは憂うつです

2019-03-19 14:23:05 | 日記
久々に訪れた母の部屋は足の踏み場もないほどの散らかりようでした。

「なんか暗いね」
電灯のひもを引っ張りましたが、電気は点きませんでした。

「たまがね、切れちゃったのよ」
 母は、いたずらがばれた子供のように照れ笑いしながら言いました。

「じゃあ、夜とか暗いでしょう」
「暗いけど、大丈夫」
 何が大丈夫なんだかわかりません。

「あとで電球買ってくるよ」
もちろん、買ってきただけではだめで、その電球を取り替えるところまでやってあげなければ、
母はいつまででも暗い部屋で暮らすことになるでしょう。
電球を取り換えるという気力すらないのです。

「何か飲む?」
 母は立ったまま言いました。
幽霊のように胸のあたりで手をだらりとさせた格好で、落ちつかなげに上体を揺らしています。

「何か出てくるの、このウチ」
 私はイヤミっぽく言いました。結婚する前に夫が挨拶に来たとき母が出したのが、
氷も入ってないただの水だったことを思い出したのです。コップは『ワンカップ大関』の空き容器でした。

「うーん。『午後の紅茶』なら……」
「選択肢がないなら、『何か』とか言わないほうがほうがいいよ」
私はため息をついて言いました。

「インスタントコーヒーでいいや。このコップ、きれい?」
「きれいよ」
 水切りカゴに積んだままの食器類はなんとなくべとついているようで、いまいち不安です。

母はいそいそとやかんに水を汲んでくれましたが、コンロに火をつけるのに悪戦苦闘しています。

「点かないの?」
 私がやったら簡単に点きました。

「手にね、力が入らないのよね」
 おかしいでしょう、と言うように、母は笑って見せました。少しろれつが回りません。
前に来たときと同じ服です。多分、あれから風呂に入っていないのでしょう。
胸のあたりまでだらしなく伸ばした髪も、長いこと櫛を入れていないようにもつれていました。
顔も洗っていないに違いなく、右の目尻に目やにが汚らしくこびりついています。

「どう、元気?」
 話題が見つからなくて、私は間の抜けた質問をしました。

片付けられない統合失調症の母

2019-03-12 10:27:21 | 日記
私は久しぶりに実家を訪れました。

 この家は、昼でも雨戸を閉めっぱなしで、真っ暗です。
古い家らしく雨戸が南側で10枚くらいつながっているので、開け閉めが面倒なのでしょう。

いつも、冷んやりと湿気が立ち込めているようなこの家にこもっていれば、
まともな人間だっておかしくなりそうです。

「お姉ちゃん、パニック障害なんだって?」
「パニック、何?」
母はきょとんとしています。

「電車で倒れて病院に運ばれたんだって?」
「病院に行ったとは、言ってたけどねえ」

どうやら母には詳しく話していない様子です。
うっかり母に話して、また頭にどんぶりでもくくりつけられては大変だとでも思ったのでしょうか。

 私が今座っているのは昔祖母が下宿生を置いていた二間続きの部屋で、
手前の部屋には小さな流し台とコンロがあり、奥の部屋にはロッカーダンスと一年中出しっぱなしのコタツがあります。

ここだけは雨戸が半分開けっぱなしになっていて、ジャングルのような庭が見えます。

流し台の前の床は水をこぼすせいで腐っているのか、がこんとへこんでいます。
床のそこかしこに衣類が脱ぎ散らかしてあります。
無造作に部屋の真ん中に置かれた大きな半透明のゴミ袋にはカップ麺だのレトルトカレーだのの容器が詰め込まれ、
流しには洗い物が溜まり、一口だけのコンロの上にもフライパン、皿、箸などがごっちゃりと積まれています。

換気扇はなく、木枠の窓が細く空けてあるものの、部屋全体が油でねとついているようでした。

コタツの上には、コップ、薬ビン、メモ帳、スーパーの袋などが雑然と乗っていて、
何年も替えていないこたつカバーは、食べこぼしでしみだらけです。

母は、布団を敷かずコタツに横になって寝るので、母の座るほうのスペースは広く取ってあって、
枕代わりに畳んで置いてある座布団が母の頭の形にへこんでいました。

今思うと、こういうだらしのない生活ぶりは不登校の息子に似ています。
身の回りに気を使うこともできないほど精神的に追い詰められているのでしょうか。

実を言うと私も『片付けられない女』です。
主婦業を長年続けているうちに居間だけはある程度片付けるようになりましたが、
自分の部屋は散らかしっぱなしで、子供たちがふざけて『地獄』と呼んでいるほどです。

私は統合失調症ではありませんが、一般的な水準と比べると無気力なほうなのだと思います。
生まれつきか、育ち方のせいなのか、それは自分でもわかりません。

おなかが痛い!

2019-03-05 11:14:47 | 日記
うちは二人姉妹なので、先に結婚したほうが家を出れば、残ったほうがビョーキの母の面倒を見なければいけません。

いや、「いけない」ということはなくて、成人なのだから家を出て一人暮らしをしてもいいのですが、
父の事業が傾いて以来何かと世話になりっぱなしの叔父夫婦や祖母の手前もあって、
母を一人で置いていくのはマズい気がするわけです。
火事でも出したら困りますし……。

認知症の親を独り暮らしさせていたら、同じような気持ちかもしれません。

そういうわけで私はわりあいに早めの24歳で結婚しました。
うまいこと姉に母を押し付けたわけです。

その後もたまに遊びに行くことはありましたが、手入れをしない古民家はまるで廃屋のようだし、
ろくにもてなしもできない母の元に夫を連れて行くのも気が引けて、足が遠のいてしまっていました。
母も夫に遠慮があるようで、来いとわざわざ言うことはありませんでした。

「この前電車の中で倒れちゃったの。救急車で運ばれて、警察病院に行ってさ……」
こんな電話がかかってきたのは、私が結婚して2~3年たった頃だったと思います。

「えっ、なんで?」
私は驚いて聞き返しました。

「なんか、パニック障害とか言うんだって。急に心臓がバクバクして、おなかが痛くなって」

今はよく聞くようになった病名ですが、この時の私には初耳でした。

「で、どこが悪いの?」
「どこも悪くないんだって」
姉はきまりが悪そうに笑って、
「まあストレスみたいなもの?じゃないかって……」

「どうしたら治るの?」
「それは分からないんだって。私の場合、電車に乗らなければ大丈夫みたいなんだけどね」
「電車に乗らない、って……」
私は絶句しました。独身の姉は毎日電車に乗って仕事に行っています。
ビョーキの母が働けるはずもありません。

父の生命保険は借金の返済にほとんど消えてしまい、母の生活費は毎月少しずつ祖母が送ってくれていました。

とはいえ、住んでいる家は祖母のものだし、どこへも出かけない、何も買わない、
服すら着替えない母に必要なお金と言えば、公共料金と食費と統合失調症の通院治療費くらいでしたが。

私だけがうまく母から逃げおおせたと思ったのは、甘い考えでした。
ビョーキの母との生活が、姉の心を少しずつむしばんでいったのでしょう。

私は久しぶりに実家に足を踏み入れることにしました。