不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

笑ってごまかす「いい人」の習性

2018-09-25 10:22:26 | 日記
私は結局手術の同意書は夫に任せ、義母の入院している病院に行くことはありませんでした。

義母は退院したあとしばらくしてまた電話をかけてきました。今度は打って変わってはしゃいだ声でした。

「あんた、お米要らない?」
「いえ、お米ならあるので……」

心の中で警戒警報が鳴りました。
「ありがとうございます」と言って受け取ったら、次に差し出される善意もなしくずしに受け取らなければならなくなる。

怒鳴ったことも悪口を言いふらしたことも、お米でチャラにされてはたまりません。
お米なんか要らないから、謝ってほしいし、できれば伯母や、悪口を言いふらした人たちの誤解も解いてほしい。

もっとも、今さら誤解を解こうとしても無駄でしょう。
「本当はいい嫁なのよ」
などと言ってくれたところで、
「Hちゃんって、心が広いのねえ!」
と、義母の株が上がるだけです。

義父に帰ってきてほしいと言うのを聞いて、私が義母を尊敬したのと同じように……。

私がお米で釣られないので、義母はちょっとひるんだようでしたが、わざとらしい明るい口調でたたみかけてきました。
「お米ならいくらあってもいいでしょ、新米だよ、おいしいよ」

また詐欺師が送ってきたのでしょうか。それなら余計欲しくありません。

「いいえ、本当に、いいです」
「そんなこと言わないで、食べなさいよ」
「いいえ、いいので」
「遠慮しないで」
「アハハ……」
私は仕方なく笑いました。すると義母は、ようやく諦めたのか
「ああ、そうかい」
と怒った声で電話を切りました。

義母はそれからまたせっせと周囲に私の悪口を言いふらしたようで、
たまに電話をかけてくる親戚からも私は冷たい扱いを受けています。
かばってくれる親が私にいないため、何を言っても平気だと思っているのでしょう。

(いい人って、恐ろしいな)
私はつくづくそう思いました。

それきり私は義母に会っていません。

翌年息子が不登校になったため、よけいに会いに行けなくなりました。
息子が不登校だなどと知れば、私の欠点を血眼になって探している義母は、鬼の首でも取ったように喜んで
私の育て方が悪いと言いふらすでしょうから……。

義母の『いい人』イメージは鉄壁です

2018-09-17 08:39:35 | 日記
義母に怒鳴られ、悪口を言いふらされた時、私の脳裏に浮かんだのは義父のことでした。
義父も私と同じことをされたのだと……。

義父母は私たちが結婚したしばらくあとで別居生活を始めました。
義父が浮気をしたとかで、いがみ合った末に義父が家を出ていったと義母から聞かされました。

私はその話をうのみにしました。
疑う理由などありません。人当たりが良くてサービス精神旺盛な義母が、私は好きだったのです。

でも夫は
「あの親父が本当に浮気なんてしたのかな。行きつけのバーに通い詰めたとか、その程度じゃないの?」
と首をひねっていました。
どの程度の浮気だったのかは、外野の私たちには最後まで分かりませんでした。

はじめのうちは義父の悪口を言っていた義母でしたが、時が経つにつれ最初の勢いが失せ、
「やっぱり帰ってきてもらいたいよ……」
と繰り返すようになりました。

私は感激しました。

(あんなにひどいことをされて怒っていたのに帰ってきてほしいなんて、なんて優しいお義母さんだろう)

どんなにひどいことをされたかは、夫婦の間でしか分からないのに、義母の言葉を私は信じ切っていたのです。

やがて義父はガンにかかり、手術する病院を夫にだけ知らせてきました。
死の淵に立ちながらも、義母には居場所を教えるなと念を押したそうです。

私は驚いてこう言いました。
「意地になってるだけじゃないの?さすがに教えてあげなきゃダメでしょ」

結局、手術が済んでから、義父は自分の家に帰ってきました。見舞いに行った義母の説得に押し切られる形で……。

それから数年、義母は下にも置かないように義父を手厚く看病し、義父は最後には義母に感謝して逝きました。

(憎んだはずの夫にあんなに尽くして、なんていい人だろう)
と、私は改めて義母を尊敬しました。

でも、義父に対する義母の悪口の、どこまでが果たして本当だったのでしょうか。

葬儀のあとしばらくして義母はいまいましそうにこう言いました。
「あの人の残高を確かめたら、300万ちょっとしかなかったよ。うなるほど持ってたはずなのに」

義母が義父に最後に尽くしたのは、お金のためと、別居によって失墜した自分のイメージを挽回するためだった……。

私自身が悪口を言いふらされて初めて、すべてのピースが、ピタリとはまりました。

義母は義父にも私と同じことをしたのです。
私の時と同じように、些細なことでヒステリーを起こして追い出しておいて、
自分を正当化するために義父を実際以上に悪者に仕立て上げたのです。

『いい人』という自分のイメージを守り抜くために……。

ここは中学校の教室ではありません

2018-09-11 09:31:57 | 日記
義母の入院した病院のスタッフの声音には、明らかな敵意が含まれていました。

「18日に手術の予定なんですが、同意書を書きに来ていただけますか」
「はい、わかりました」
「その前にも、一度来ていただきたいんですけど」
「もう一度ですか……」

私は困りました。当時は本当に仕事が忙しく、できれば夫に頼みたかったのですが、二回となるとどちらかは私が行かざるを得ません。
病院で悪口を言いふらされているなら尚更、一人で乗り込んでいくのは勇気が要ります。

私が困っていると、病院スタッフの口調がふと和らいで、
「もし無理なら同意書を書く時だけで結構です」
と言いました。

「そうですか、すみません。では夫と相談して都合をつけますので……」

私はホッとして電話を切りました。義母から事前に吹き込まれていたほど私が非常識な人間ではないことが、
短い会話の中でも分かったのでしょう。
入院してほんの数日のうちに、義母は一体どんな悪口を病院で言いふらしたのでしょうか。

義母は私が入院の日に来なかったため、「嫁と仲の悪い姑=鬼姑」というイメージを持たれるのを恐れて、
不仲の原因がすべて私にあるかのように大げさに吹聴したのでしょう。

私は用事があって行かなかっただけで、病院の人は誰も義母が嫁と不仲だなどと思っていないのに。
些細なことで怒鳴りちらしたという後ろめたさで、義母は過度に防衛的になっていたのです。

もし私が手術の同意書を書きに来た場合、自分がヒステリーを起こしたことが私の口から洩れるかもしれない。
場合によっては、自分が詐欺に遭ったことまでも……。

詐欺にあったことも、義母には到底認めがたい屈辱でしょうし、自分の『いい人』イメージも守らなければなりません。
私が何を言っても病院の人たちが信じないくらい、私のイメージを『話の通じない、頭のおかしい人』レベルにまで
下げておく必要があったのです。

たった2週間を共に過ごす病院の人々に与えるイメージを守るためだけに、あることないこと悪口を言いふらす神経には驚きました。
仲良くしておけば一生面倒を見てくれる嫁よりも、他人がそんなに大切だとは。

いいえ、義母にとって大切なのは他人ではなく、他人の目に映る自分のイメージなのです。

私は小中学生の頃、どのクラスにもいたリーダー格の女子を思い出しました。
彼女たちは、自分のイメージを築き上げるのが巧みで、常に取り巻きを従え、自分に一目置かない者を許しませんでした。
学校の教室では今も、義母のような『いい人』たちが、幅を利かせていることでしょう。

病院のスタッフが電話をかけてくる前に、義母がわざわざケンカ腰で私に電話してきたのはなぜでしょうか。
あらかじめ私をカンカンに怒らせておき、病院のスタッフに対して
少しでも感じの悪い態度を取るように仕向けようとしたのではないでしょうか。

それとも、大げさに悪口を言いふらしたことを知らせておけば、
義母の立場を守ってやるために私が口裏を合わせてあげるとでも思ったのでしょうか。

常に義母の機嫌を取ることに汲々としている伯母なら、あるいはそのくらいのことはするのかもしれません。
さすがに私は、そこまで義母にゴマをすることはできないし、そんな必要も感じません。

ここは中学校の教室ではありません。
義母が味方につけている「集団」からほんの少し距離を取るだけで、「悪口」という武器はほぼ効力を失うのです。

私は義母と同居しているわけでもなく、家を買ってもらったわけでもなく、子供の面倒を見てもらって働きに出たわけでもありません。
理不尽な目に遭わされてまでご機嫌を取る必要はないのです。

その時ふと、義父のことが思い浮かびました。


周囲を巻き込む『いい人』の戦術

2018-09-04 08:33:06 | 日記
夏休みが始まって間もない頃、義母の義姉、つまり夫の伯母から電話がかかってきました。

「Hちゃん(義母のこと)が今度入院するんだって」
「えっ、どうしてですか」
「心臓の具合が悪いんだって。
あなたには言わないでって口止めされてたんだけど、黙っていられないわ」

伯母の口ぶりには非難の色が混じっていました。
嫁に遠慮して、入院のことも打ち明けられない義妹に同情しているのでしょう。

義母が駆け落ちして東京に出てくる前にこの伯母は東京に出てきていて、
若い頃から協力し合って生きてきたので、2人はとても仲がいいのです。

口止めしたというのも、必ず伯母がしゃべると見越してのことでしょう。
本当は息子夫婦に言いたいけれど言えない、という気持ちを、伯母が見抜くと分かっているのです。
そのくらい2人はツーカーの仲なのです。

私はちょっとカチンと来ました。

あれだけ怒鳴れば気まずくなるのは当然ではありませんか。
自分で原因を作っておいて、事情を知らない伯母にはまるで私が薄情な人間のように印象付けて同情を買うなんて。

それでも入院となれば放っておけません。夫が電話して聞いたところによると、
以前から気になっていた不整脈の検査をしてペースメーカーを着ける手術だとのこと。

ちょうど土曜日ということで、夫が子供2人を連れて入院の手伝いをすることになりました。
私は仕事の関係で予定が入っていたので、電話でお見舞いを述べただけにとどめて、当日は夫に任せることにしました。

入院して数日後、義母から電話がかかってきました。
「今からあんたの所に、病院の人から電話がかかってくるけどね」
一方的にしゃべり始めた義母は、私が一言も言わないうちからケンカ腰でした。

「あんたが口の利き方を知らないっていうことは、病院の人にもよく言ってあるから。
電話がかかってきたら、『お世話になります』くらいは言うんだよ」

その程度の挨拶くらい、言われなくても私にもできます。
入院当日に駆けつけなかったことを恨んでいるのでしょうか。
私はまたカチンと来ましたが、義母が最初から興奮しているようだったので、
「わかりました」
と言って電話を切りました。

義母の言ったとおり、ほどなくして病院から電話がかかってきました。
「K病院ですけど、Hさんのご家族の方ですか」

その瞬間、私はたじろぎました。病院スタッフの語調が、隠しようもない敵意にあふれていたからです。
『あんたが口の利き方を知らないっていうことは、病院の人にもよく言ってあるから』。
さっきの義母の言葉が思い浮かびました。

「はい、お世話になっております」
私は緊張して丁寧に答えました。