不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

ヒキコモリの息子もたまらず家から出るほどの水害でした

2019-10-29 09:11:15 | 日記
台風の接近につれて次第に風雨が強まってきました。
「車、吹き飛ぶんじゃない?」
さっきまでテレビで車が吹き飛ばされたり流されたりする映像をさんざん見てきたせいか、
息子がおろおろし始めました。

「シロは私が見てるから、公民館の中に行く?」
と聞くと、
「いや、いい」
との答え。ヒキコモリなので近所の人と会うのがいやなのでしょう。
そのくせ
「この風やばいよ。車が横転しちゃうよ」
としきりに怯えています。
「走ってればこのくらいの風圧は普通だよ。大丈夫だよ」
と言っても、
「でも走ってる時は進行方向に力が働いてるから倒れにくいんだよ」
などと科学的?な説をとなえ始めます。ほんとかいな。

夜になっても公民館は空いています。
「猫はダメですよねえ?」
と再び職員さんの顔色を窺うように聞くと、
「ホントは入れないんですけど、玄関の所までならケージに入れてきていいですよ」
と言ってくれました。

眠れない夜を過ごし、一夜明けて帰ると驚きました。裏の川の橋が流されていたのです。
小さいとはいえちゃんとセメントの橋脚のついた橋だったのですが、水流のすごさを思い知らされました。
我が家はカーポートが泥だらけになった程度で済みましたが、隣の家は浸水したそうです。
家のそばまで流木が流れ着いていたので、近所の人と協力して片付けをしました。

うちの近所の被害はテレビでは報道されなかったようです。
我が家は急坂の下にあるので、ほんのちょっと坂を上がっただけで何事もない日常の風景が広がっていました。


家族も家も車も結果的には無事だったので、この程度で被災というのは大げさですが、
ヒキコモリの息子もたまらず家から出るほどの水害ではありました。

私たちが逃げる時に道路を歩いていたおじさんの家は昔からここにある家で、
こんなに川の近くにあるのに今まで一度も被災したことはなかったそうです。

パート先の職場が台風のために予め休みと決まっていたので、
土曜日から家族全員で過ごせたのがありがたかったです。

それからネコのオシッコの臭いが染みついてしまった車ですが、実はちょうど買い替えるところで、
台風の翌日が納車だったのです。
我が家はなんだかんだと言って今回の災害では不幸中の幸いが重なりました。

それにしても、こんな災害大国でオリンピックなんか開けるのかなあ。



猫と台風

2019-10-22 10:16:08 | 日記
坂の中腹で待っていると、夫はすぐ戻ってきました。
家の周りは水浸しですが、少し坂を上ると何事もなく、無事に公民館まで行くことができました。

まだ台風は日本列島に上陸もしていない時刻で、避難してきた住人もまばらです。

「猫は入れますか?」
と受付で聞くと、
「すみません、猫ちゃんはダメなんです」
との答え。ほったらかしていくわけにもいかないので、
「とりあえず車の中でお弁当を食べよう」
と、朝から準備して置いたふかしイモと唐揚げとパンを食べます。

ここで夫が自分のリュックを忘れてきたことが発覚しました。みんなの食料を少しずつ分け合います。
ベジタリアンの息子にはイモとパンだけ。この子はいつも炭水化物まみれです。

夫が館内の様子を見に行きました。
「これから混んでくるから、場所は取っといた方がいいみたい」
と言うので、私と夫で場所取りに行きました。

人数分の畳をもらって床に敷き、配られた毛布を置いて、私は車に戻りました。
「トイレも借りられるし、疲れたら横になれるよ。どうする?」
と子供たちに聞くと、
「俺はシロと車にいる」
と息子。夫に荷物の番を頼んで、私と子供たちはとりあえず車に残ることにしました。

「ニャア」
それまでおとなしくしていたシロがか細い声で鳴きました。
「よしよし」
娘が自分の手のひらを皿がわりにしてケージに水とカリカリを差し入れてやりました。
「食べた?」
「うん」

しばらくおとなしくなったシロがまた鳴きました。
「ニャア」
「出たいのかな」
「車の中だけならいいんじゃない?かわいそうだよ」
「俺ならいくらでも引きこもってられるんだけど」
要らない自虐ネタをかましてくる息子をさりげなく無視して私はシロをケージから出してやりました。
シロはしばらく車内を落ち着きなく歩き回っていましたが、後部座席の真ん中、私と息子の間に前脚を、
床に転がしてあったシュラフに後ろ脚を突いた格好でぴたりと立ち止まりました。
「あっ!」
シャーーッと小気味のいい音をたててシロが勢いよくオシッコを始めました。
「あー、あー」
もう口をぽかんと開けて見守るしかありません。今動かせば周り中にオシッコが飛び散ってしまいます。

長い長いオシッコが終わった時、狭い車内には臭いが充満していました。
「少し休んでこようかな」
と娘はいち早く館内に入っていきました。臭気に耐え切れなくなったのでしょう。

「これ、どうするよ」
と息子が半切れでシュラフを指差しました。
「あー、外に出すか」
と私。
「それはすばらしい」
すごい風なので、シュラフのひもを車のドアに挟んだ状態で外に出すと、臭いはだいぶマシになりました。

この後しばらく、我が家でのシロのあだ名は「おもらし大将」でした。

初めての被災

2019-10-14 10:16:59 | 日記
今回の台風19号で、公民館に1泊避難しました。

金曜日に近所のスーパーに行ったところ、土曜日は13時で営業終了と放送していました。
買い物客もなんとなく殺気立っていて、パンの棚はからっぽです。

15号の時に短時間ですが停電したので、私は電池を20個くらい買いました。
ラジオと懐中電灯に入れるためです。

食料は家にロングライフパンがあったので普通に買いました。
停電した場合は冷凍食品を消費しなければならないし、
他にどんな状況になるか予測できなかったからです。

出かけられそうもないので暇つぶしにDVDも2本借りました。

土曜日は朝のうちにさつまいものレンチンと唐揚げをつくり、
家族4人分のリュックにそれぞれカッパや懐中電灯を詰めました。
猫のケージと餌と水も玄関に準備しておきます。

あとは家族でテレビの前に集まってニュースを見たりDVDを見たりしていました。

我が家は坂の下にあり、すぐ近くに川があります。
夫はネットで河川の水位をチェックし、私は時々2階のベランダから川の方角を見ていました。

昼頃見ると川につながる道路が冠水していました。
「公民館に行った方がいいかな」
と夫に聞くと、
「まだ水位は全然大丈夫だよ」
との答え。

(川があふれてるのでなければ、側溝の排水が悪いのかな?)
と思ってまた1階でしばらくテレビを見て、再びベランダに行くと、
今度は道路の両側にある畑も水に漬かっています。
「そろそろ行かない?」
と夫に言いましたが、スマホを見て
「いや、水位は上がってない」
との答え。見るからに水位が上がってきているのに……?

「念のため車に荷物を積んでおこう」
と子供たちに声をかけて玄関を出ると、隣家の車がありません。
我が家の前の道路も川になっています。

「隣、逃げたよ。車に乗って!」
ドタバタと車に荷物を積み込み、猫をケージに詰め込みました。
見ると向かいの家のおじさんが水浸しの道路を歩いています。
「逃げられなくなりますよ」
と夫が声をかけました。

「ちょっと、路地の奥の方にも知らせてくる」
と夫が言いました。
「そんなことしてないで、早く逃げようよ」
と私。私は自分の家族のことで精いっぱいで、
その間にもじわじわと上がってくる水位に恐怖を感じていました。
「とりあえず子供乗せて坂の上まで行って。すぐ追いつくから」
夫は言って奥の家の方へ歩いていきました。
水が来ていると言ってもまだ足の甲くらいで歩行に支障はないのですが、
(車が水没したら公民館にも行けなくなってしまう)
と私は焦っていました。

後悔しても取り返しはつきません

2019-10-06 09:19:08 | 日記
久しぶりの応援でしたが、二階にMさんの姿はありませんでした。

その後も何度か応援があり、一階にも行きましたが、やはりMさんはいませんでした。
二階で全然見かけないので、一階にいるものとばかり思っていたのに……。

じゃあ、一体Mさんはどこにいるんだろう。私は不安になってきました。
急にこの倉庫全体からMさんの気配が消えてしまったような、もの寂しい感じが忍び寄ってきたのです。

ある日私は食堂で、一人でお昼を食べているOさんを見つけました。
OさんはMさんの友達です。
最近冷たい目で見られるので勇気が要りましたが、私は思い切ってOさんに声をかけました。
「Oさん」
「うん?」
Oさんは振り向かずに答えました。
「Mさんって辞めちゃったんですか?」
と私は聞きました。
「うん」
Oさんはこともなげに言いました。
私の心臓は一瞬止まったかと思うとうるさいほど鳴り始めました。
Oさんの口調は(何を、今さら)と言いたげでした。
Oさんはちらっと私の顔を見て、
「なんで?」
と言いました。
「いつ?」
私は質問を無視して聞きました。自分の声が震えているのが分かりました。
「2月の半ばかな」

それは私が最後にMさんに会った頃でした。

Mさんが出勤簿置き場に現れたあの日。
あんなに前に、Mさんは辞めていたのです。
あの日、もし私が声をかけていたら、Mさんは辞めなかったのでしょうか……?

私は茫然としてOさんから離れました。

久しぶりに応援に行く時に
「そろそろいいでしょ」
と言ったKさんの言葉は、
(Mさんが辞めたショックから、もう立ち直った頃でしょ)
という意味だったのです。
私はマヌケなことに、Mさんが辞めたことを知りもしなかったというのに……。

冷たくしてしまったことを私は後悔しました。でももうMさんには会えません。
私はMさんについて、名前以外何も知らないのです。住んでいる場所も、派遣会社も。

Mさんは黒シャツだから、そう簡単に辞めないと思っていました。
何年か頑張れば正社員にもなれただろうに。
Mさんを辞めさせるくらいなら、私が辞めたほうが良かったのに……。

いくら後悔しても取り返しはつきません。