不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

私にはママ友がいない

2018-06-27 10:33:13 | 日記
私には今、ママ友が一人もいません。

子供が学校に通っていた頃は普通にいたし、行かなくなってからもランチに誘ってくれる人はいました。

名前は仮にフユミさんとしましょう。
息子と同い年の女の子がいて、うちの娘も含めて同じおけいこごとに通った時期もあり、
家も近所で家族ぐるみのお付き合いでした。
とても面倒見がよくて社交的な人で、私も彼女が大好きでした。

息子が学校を休み始めた頃に、顔の広いフユミさんに頼んで、不登校のS君のお母さんを紹介してもらいました。
仮にスミコさんとしておきます。

いつもフユミさんが声をかけてくれて3人で集まり、ランチをしながらおしゃべりをしました。
S君が全く学校に行かなくなったのは中1の夏休み明けからですが、小5の時にも短期間休んだことがあったとのことで、
不登校についてはとても詳しく、いろいろ教えてもらえました。
何よりも同じ立場のお母さんには、普通の人には引かれそうなことも話せるので、とてもホッとできる時間でした。

ある時、この集まりにアキコさんが加わるようになりました。
アキコさんはフユミさんに輪をかけて面倒見のいい人で、地域の役職を引き受けたりボランティアをしたりと、
常に忙しく活動している働き者です。

うちの息子とは幼稚園が同じで、とても仲良くしてもらったのですが、
少し家が離れていたため、別の小学校に通うようになってからは少し疎遠になっていました。

実はスミコさんとアキコさんは親戚で、私とランチしているという話を聞いて来たのです。

アキコさんが来るようになって二度目の時だったでしょうか。
アキコさんは私の顔を見ると開口一番、ニコニコしながらこう言いました。

「この前イソベさんに会ったから、B君が不登校になったって言っときました」
私がすべき報告を、代わりにやっておいてあげたとでも言うような口調でした。

「ええっ」
思わず私が驚くと、一瞬(しまった!)というような表情を浮かべたものの、
「だって、イソベさん、知ってるでしょ?」
と、あたかも当然のことをしたとでもいうように聞き返してきます。

いや、確かに知ってるけれど。

共通の知人の話題になって、ぽろっと話すこともあるだろうけど。

言っちゃダメだった?と聞かれれば、ダメとは言わないけれど。

「不登校なんて、うちの学校にもいっぱいいるわよ。大したことじゃないのよ」
教え諭すように言われて、私は二の句が継げませんでした。
フユミさんとスミコさんは困ったように顔を見合わせています。

(昔から噂好きな人だった。悪気はないんだ)
そう自分に言い聞かせ、その日はおしゃべりして別れました。

それでは私はいい母親だったのか

2018-06-20 10:21:23 | 日記
夫や先生の悪口ばかり書いてきましたが、それでは私はどんな母親だったでしょうか。

息子以前に、そもそも私がコミュ障でヒキコモリです。小さい頃から学校嫌いでした。

「じゃ、お前に問題があるんじゃん!」
とツッコみたくなる気持ちはわかりますが、ちょっと考えてみてください。

私みたいな人が子供を持っちゃダメだとしたら、一体どんな人が子供を産むのでしょう。

既婚女性がヒキコモリでも支援を要さないのは最近まで当然のことでした。
外に出て働かなくても、家事と育児だけで1人の人間がこなせる手一杯の仕事だったからです。

ほとんどの時間を家の中で家族だけを相手にしていても、誰も困っていなければそれでいいのです。

家事が大幅に省力化されたため、子供を持つ母親も働くのが当然という風潮になっていますが、
実はほとんどの母親が今でもいっぱいいっぱいなのではないでしょうか。

技術の発達で、ある種の労働が楽になっても、育児は省力化できないからです。

社会に全体として余裕がなくなっているため、母親は誰にも頼れなくなっています。
これでみんなに「子供を産め。できれば3人以上産め」などと言うのは無理です。
目端の利く人は子供なんか産まずに共働きで余裕のある暮らしを、場合によってはシングルライフを楽しんでいます。

一人の人間としてではなく、「母親」に求められるハードルというのは著しく高くなっています。
分業化が進み、様々な職業を選べる時代になっても、母親は万能でなければなりません。
常識とモラルを備え、コミュニケーション能力があり、家事全般がこなせて、
膨れ上がっていく教育費も稼がなければならない。

「将来は他人様が苦労して育てた子供たちの納める税金で暮らしたい……」
と、腹いせにボソッと呟いてみるのは私だけではないでしょう。

ただ、
「じゃあ、誰が母親たちを外で働かなければならなくしたか」
というと、それは母親たち自身でもあると思います。

周囲に働いている母親がいて、
「カッコいい!お金に余裕があって羨ましい、私もあんなふうになりたい!」
という気持ちを持つのは当然です。

かく言う私も働いています。ヒキコモリなので家の中でできる仕事ですが、
仕事を優先して子供の世話がおろそかになったことも少なからずあります。

では仕事をしなければいい母親になれたか、と聞かれると、それも違うような気がするのです。

「私って仕事もできてカッコいい!」
という充実感が心の張りになって、家事や育児にも身が入るからです。

だから、つまり何だと。

自分のことについて書くと、まとまらない文章が余計にまとまらなくなりますね。
ガンガン攻撃するわけにもいかないので……。

ただ、トラウマのスーパーマーケットみたいな私がここまで来られたのは、
子供たちがいたからだと言っても過言ではありません。

子供たちが私に愛をくれ、自尊心を植え付け、責任感を身に着けさせてくれたのです。
子供を産まなければ今の私はなかったし、子供を持ったために失ったものを数え上げても仕方ありません。

社会のために産んだわけではなく、母親たる資格が十分だから産んだわけでもなく、
やっぱり、子供は産んでよかった。
たとえうちの不登校の息子みたいな、アレな子でも……。



こんな先生のいる学校には行きたくない

2018-06-13 09:00:39 | 日記
3年の担任はまだマシなほうでした。
本当にひどかったのは、息子が不登校になった2年の時の担任です。

卒業証書を受け取った日、1年次と3年次の担任は来ましたが、2年次の担任は来ませんでした。
既に他の学校に異動していたのです。
突然異動になった理由は、息子と同じクラスの女子と交際しているという噂のためでした。

保護者会で
「うちのクラスはS君がいるので不登校が増えてます」
と言って、ヒンシュクを買ったのもこの先生です。
自分のクラスに不登校が多いのを、特定の子供のせいみたいに言うなんて、教師としての常識を疑います。

ほかのクラスと比べて宿題が多いのも不公平だし、子供たちによれば、とても口うるさくて怖いということでした。

5月の家庭訪問の直前に、息子は病気でもないのに初めて登校を渋りました。

Pというクラスメートに目を付けられていることは聞いていたので、私は厳しくとがめずに、
「じゃあ、今日はのんびりしなさい。でも明日からはまた行くんだよ」
と言いました。

その翌日、約束どおり登校した息子はぷんぷん怒っていました。

「どうしたの」
「カワグチにおとといノート貸したんだけどさ」
カワグチ君は部活の友達です。

「俺が休んでる時に返しに来て、机に入れていったんだよ。そうしたら生活委員が『置き勉』にカウントしやがった」
『置き勉』というのは、勉強道具を学校に置きっぱなしにすることで、生活委員が毎日チェックするのです。

「それはおかしいね。休んでて持って帰れなかったのに」

「連絡ノートに書けば先生が取り消してくれるんじゃない?」
上の子が言うので、それがいいということになり、息子は経緯を連絡ノートに書きました。

ところが、その翌日、息子はもっと怒りながら帰ってきたのです。

「今度はどうしたの」
「これ、見てよ」
言いながら、連絡ノートを私に突きつけます。

『休んでいる間に友達が机にノートを入れたのに置き勉にされました』
というコメントの横に、先生の字で、
『どんな理由でも置き勉はいけません。ちゃんと持ち帰ろう』
と、書いてありました。

「何これ。学校に来てないのに、持ち帰れるわけないじゃん。
Bが休んだことさえ覚えてもいないの?だとしても、はっきり書いてんのに」
「だろ?おかしいよ」
息子はまだ憤懣やるかたない様子です。

「ちょうど明後日家庭訪問だから、私が先生に言っとくよ。ちゃんと取り消してもらおうよ」
となだめると、息子はようやく納得したようにうなずきました。

家庭訪問の時に私から説明して、さらにPと同じ班にならないようにくれぐれも頼んで、とりあえず事はおさまりました。

息子が不登校で恥ずかしい

2018-06-06 09:19:33 | 日記
もし私がなりふり構わず先生に食って掛かって文句を言っていれば、
クラス替えにも配慮してもらえたのではないでしょうか。

保護者の間で
「あの先生、うちの息子の頼みだけ聞いてくれなかったのよ」
などと噂が流れたら、先生の立場は悪くなります。

もっとうるさい保護者だという印象を与えておけばよかった。

先生に遠慮しておとなしく従っていたばかりに、不登校を招いたのではないでしょうか。
けれど今さら何を言っても手遅れです。

「もう卒業した生徒のことで騒いで、すみませんでした。では失礼します」

せいいっぱい嫌味っぽく言って頭を下げると、私は中学校をあとにしました。
二度とここに来る必要はないのだという解放感を味わいながら。

先生から受けた心ない仕打ちはそればかりではありませんでした。

3年の担任は、以前にも書いたように、やたらに友達を家に来させました。

不穏な雰囲気を感じた私が
「もう友達は来させなくていいですから」
と言ってもまだ来させ、結果的に一番好きだった友達にお金を盗まれるという、最悪の結果を招きました。

他には、学年の初めに家庭訪問に来た時に、息子が部屋から出てこなかったので、
帰りがけに家の外から近所中に響き渡るような声で
「B君、学校に来てねえ!待ってるよ!」
と叫んだこと。

不登校は恥ずかしいことじゃないよ、と周りの人は言いますが、本人は自分を恥じていたと思います。
ついでに言えば私も自分を恥じていました。私の育て方が悪かったから、または私に似たから、
この子は社会に適応できないのではないかと……。

あの時は近所中にさらし者にされたような気分で、とてもプライドが傷つきました。

それから、何度も家に電話をかけてきて、学校に来るよう息子を説得しようとしたこと。

担任にしてみれば、どれも善意の行動だったのだと思いますが、そのすべてが
「学校は、当然来るべき所だ」
という揺るぎない信念に裏打ちされていて、
「来ない子供も、来させない親も努力が足りない」
と言われているようで、ただでさえ苦しんでいる私たち親子を追い詰めました。

私が毒を買ったのも、あの頃だったと思います。
あの頃私は、落ち込むことがあるとそっとその薬のボトルを取り出しては眺めたものでした。

(本当に耐えられないほどつらくなったら、この毒を飲んで死ぬんだ。
そうしたら息子の友達も教師もママ友も、自分たちの心ない仕打ちに気付くだろう)
と思いながら……。

でも3年の担任はまだマシなほうでした。本当にひどかったのは、息子が不登校になった2年の時の担任です。