不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

結局死ぬなら、わざわざ苦しむことないじゃん!

2020-09-10 13:57:58 | 日記
また翻訳のバイトが入ったため、しばらくブログから遠ざかっていました。

この前「ガンかもしれない」と書いたので、
「入院した?まさか死んだ!?」
と思われているかもしれませんが、そんなことはありません。

禁酒を続けているためか、ここ数日血便は出なくなり、便秘も少し良くなってきました。
このまま治るといいなあ。

私がガンの治療に及び腰なのは、ある本を読んだのがきっかけでした。
近藤誠というお医者さんの「患者よ、がんと闘うな」という本です。

だいぶ前に読んだのでうろ覚えですが、大略
「ガンには治るものと治らないものがある」
「治らないガンを切っても苦しんで死ぬだけ」
「切らなければガンでもそれほど苦しまずに死ねる」
みたいな内容だったと思います。

目からうろこの内容でした。
「結局死ぬなら、わざわざ苦しむことないじゃん!」
と思いました。
「どうせならガンで死にたいな」
とまで……。

私は心配性で、いろいろな病気を恐れて生きてきました。
子供の頃は、目が見えなくなるのが怖かった。生まれつき目が悪かったせいだと思います。

父親が自殺して母親が統合失調症になったので、
「自殺で死にたくない」
「統合失調症になりたくない」
とも当然思いました。どちらも家族が大変だからです。

今は一番怖いのは認知症でしょうかね。家族に迷惑かけたくないので。

ガンは治療にお金がかかるイメージで、家族に迷惑をかけそうでイヤだったんですが、
治療しなければ問題なさそうです。

どうせ人間、一度は死ぬのですから、よぼよぼになる前に楽に死にたい。

近藤誠さんのその後の研究も踏まえて書かれた本も出てるみたいなので、
今度読んでみたいと思います。
そう、今回の翻訳が終わったら……。

いや死亡フラグ立てたつもりはないんだけど。
今回の翻訳、あと半月くらいで終わるし。

半月後にこのブログが更新されなかったら……。
きっと私はブログより楽しい趣味を見つけたのかもしれません。


ガンかもしれない

2020-08-05 18:22:38 | 日記
私は今禁酒しています。

大腸ガンかもしれないからです。

私は結婚して以来30年間、ほぼ毎晩お酒を飲んでいました。
禁酒したのは妊娠中と、過敏性腸症候群に苦しんでいた数年間だけ。
よく噛まずにたくさん食べる癖もあってか、大腸にはトラブルを抱えがちでした。
ここ数年急に便秘がちになったことも気になっていました。

ある朝普通に排便してお尻を拭いた時のことです。
「あれっ、なんか赤いのが紙に付いてる」
思わずトイレットペーパーを二度見する私。
「これは……血?」
ほんの少しでしたが、それは紛れもなく鮮血でした。

長いこと座りっぱなしで翻訳をしていた頃に痔を患った経験もあるので、また痔かもしれないと思いました。
(肛門が痛いわけではないけど、何かの拍子に切れたのかもしれない)
けれどその日から、毎朝便に血が混じるようになったのです。

マンガ家の内田春菊さんが大腸ガンにかかったという記事をしばらく前に読んだばかりでした。

「いや、病院行けよ!」
と突っ込みたくなるでしょうが、ちょっと待って。
病院に行けば治療を勧められてしまいます。
悪くすれば手術させられてしまうかも。

私は自分が引き受けたわけでもないことを粛々とさせられるのが嫌いです。
けれど口下手な私が、医者の前で手術や治療を果たして断り切れるかどうか。

考えてみれば、人間はどうせ死ぬのです。
3年寿命が延びたとしても、そのほとんどを病院のベッドの上で過ごさざるを得なかったとしたらどうでしょう。
それは生きたと言えるのか。

周りの人と和気あいあいとやることは苦手だったけれど、空気を読まない分だけ好きなことをやれました。
翻訳した本も出版され、子供も育て上げました(一人はヒキコモリだけど……)。

理想通りの人生だったとは言えないまでも、
「私なりには、よくやった。まあまあの人生だった」
と思います。
もしも一つも思い残しのない人生だったら、それはそれでつまらないのではないでしょうか。

もっとも、遅ればせながら禁酒なんかしているところを見ると、達観したようなことを言いながら、
私もまだまだ人生に未練があるんでしょうかね。

ALSの患者が安楽死した記事を読みました。
安楽死させてほしいというSNSの書き込みに応じた赤の他人に、お金を払って殺してもらったというのです。
私も最期は悪あがきせずに死なせてほしい。
殺した人は今は犯罪者扱いでしょうが、そういうニーズは増えていくと思うんです。

「52歳じゃ、早くない?」
と言われそうですが、私の父は47歳で自殺しました。それ以来私は
(47歳までは生きる)
と、なんとなく心の中で思っていました。気がつけばその年齢をとっくに超えているのです。

私が親の死に何の感懐も抱かなかったように、子供たちも自分の人生を生きていくでしょう。
そう思うと、私が人生を懸けたことは何だったのかなとちょっと不思議なような気もします。
このように人は生きて死んでいくのか。

禁酒して一カ月くらい経ったと思いますが、まだ便秘と血便は続いています。

ただ、会話のための会話

2020-07-08 17:04:14 | 日記
今の倉庫でバイトを始めてから早くも3カ月が過ぎました。

見学に来た時に、30歳前後の女性ばかり3人が大きなテーブルを囲んで、
野菜をパック詰めしている光景を見て気付くべきだったのです。

この人たちは私と世代も違うし、そもそも私みたいな人間は、みんなでする作業には向かないと……。

最もカルチャーショックだったのは、一緒に働いているメンバーが仕事中に大声でおしゃべりすることです。
話題は職場の人のうわさ話とそれぞれの家族の話。

それでもはじめのうちは何とかとけ込めている感じでした。
最初は職場の人のこともみんなの家族のことも知りません。
相槌を打ってたまにタイミングを合わせて笑っていればよかったのです。

慣れてくるにしたがって、私にも話が振られるようになってきました。
小学校に通う子供をもつママたちに、ヒキコモリの19歳の息子の話などするのは重すぎます。
コロナ禍でみんなは旦那さんの仕事が休みになったりしているので、公務員の夫の話もはばかられます。
ただでさえ私が入った頃からコロナのせいで仕事が減ってきたので、一人だけ派遣社員のママなどは、
私の代わりに自分がクビになるんじゃないかと怯えているのです。余計な反感は買いたくありません。

みんなは私を
(疎外感を感じないように、なんとか話に入れてあげないと……)
と、気を使ってくれているようなのです。

確かに。
みんな黙って仕事しているならいいけど、私だけ話に加われないとなれば今よりもっと居心地が悪いはずです。
私はもちろん、みんなも。

(いや、黙ってやろうよ。仕事中なんだからさ……)
とあきれながらも、
(きっと、いい人たちなんだ。しゃべりたくない私のほうが変人なんだ……)
とも思います。

私は集団の中ではよくこうした疎外感にかられます。どうせ
(Nさんが来る前は気兼ねなくおしゃべりできて楽しかったなー)
とか思ってるんだろうな、とひがんでみたり。

私はうまくしゃべれません。
まず、声が小さい。
相槌のタイミングが微妙にずれたりして相手が「えっ?」という顔になることもあります。
話したいことを思いついたので頭の中でどう話すか整理しているうちに、話題が違うほうに行ってしまって
(今さら持ち出す話でもないか……)
と思って諦めてしまったり、あきらめきれずに話してまた「えっ、今さら?」という顔をされたり。

彼らは心から会話を楽しんでいるのでしょうが、私にとってはただ、会話のための会話。
仕事自体は楽しいのですが、会話することがストレスになってきました。
たいして興味のないみんなの家族のことも、ちゃんと覚えておかないと
(この前も話したのに……)
と思われてしまいそうです。

でも考え方を変えました。

これは脳トレだ、と割り切ることにしたのです。

誰ともしゃべらずにいると老人はボケやすいと聞きます。
私はまだ老人というには早いかもしれませんが、家族以外の人と話さないことにかけては
そんじょそこらの老人に引けを取らない自信があります。

何の自慢だ?

とにかく私は、この倉庫で若い人とおしゃべりすることで脳トレをするのだ。
そのためにあえて苦手な場所で働いているのだ。
お金を払って脳トレする人も多いんだから、私はすごく得をしているのだ。そう思うことにしたのです。

翻訳者と翻訳家

2020-06-17 14:47:56 | 日記
コロナ禍で在宅勤務を余儀なくされた人は多いと思いますが、オンラインで働けるというのはヒキコモリにとっては朗報じゃないでしょうか。
誰とも会わずに済むなら私みたいな対人恐怖症でも働けます。まあヒキコモリの根っこがすべて対人恐怖とは限らないでしょうが……。

私は翻訳家を目指していますが、前は翻訳者をやっていました。

「翻訳家と翻訳者ってどう違うの?」
と思われるかもしれません。

私の感覚では、「翻訳家」は物書き、「翻訳者」は技術者です。

私がやっていたのは韓国ドラマやバラエティ番組に字幕を付ける仕事です。

エンターテインメントなのにと意外に思われるかもしれませんが、字幕ではあまり個性を出しません。
テレビで放送する場合はもちろんDVDにする場合でも、字幕の納期は短いので、一人で全部訳すことはまれなのです。

1話の映像ができたらAさんが訳して、その間に2話の映像ができたらBさんが訳して、
Aさんが1話を訳し終えた頃に3話の映像が来るといった具合です。

もっと納期が短い場合には3人とか4人で担当することもあります。
チームでの作業になるので、個性を出してしまうとドラマ全体のバランスが取れなくなる恐れがあるのです。

そしてなるべく意訳はしません。というのも回想シーンなどの場合は過去話から当該場面を探す必要があるからです。
例えば「トッポッキが食べたかった」というセリフを「おやつが食べたかった」などと訳してしまった場合、
「トッポッキ」というワードを検索して当該のシーンを捜し出そうとしてもヒットせず、最悪の場合過去話を全部見直すことにもなりかねないからです。

字幕が没個性でも、俳優の演技があるので作品は十分楽しめます。そういう意味で字幕翻訳家は完全なる裏方です。
必然性がない場合は方言も訳さないし、呼称も『揺れ』がないようにします。
主人公の一人称が、ある時は「俺」で、ある時は「僕」、またある時は「私」では困るのです。
「主人公の一人称は『俺』、ただし仕事中は『私』」というようにちゃんと統一して表にまとめ、関係者全員が閲覧しながら作業を進めます。

表記も同様で、「バカ」なのか「馬鹿」なのか、「ダメ」なのか「駄目」なのか、いちいち決めていきます。

ドラマの字幕は1秒に4文字くらいまでがストレスなく読み切れる分量だと言われています。
ぴったりの訳語が見つかっても、字数が合わないために言いかえる、場合によっては丸々割愛せざるを得ないこともあります。

「驚いた」では字数が足りない、でも「びっくりした」ではこの人物の役柄からすると軽すぎる。じゃあ「驚きを感じた」にしようか……
こんなパズルのような作業を日々繰り返すことによって「似た内容を様々に言いかえる」という言葉の引き出しは確実に増えたと思います。

役者が早口でしゃべると、全てを字幕に入れることはできません。しゃべっている内容の中で何を捨て、何を活かすかを判断することも大切です。
その場では不必要に見える情報でも、あとで重要な伏線になる場合も少なくないからです。

多くの場合は脚本だけ先に渡されますが、全部読んでから作業するほどの時間はとてもありません。
要するに字幕翻訳はかなりな自転車操業なのです。

『翻訳家』にはこういう制約が少ないんじゃないかと思います。別の難しさはあると思いますが……。

ヒキコモリにはうってつけの職業

2020-06-11 14:37:25 | 日記
息子が不登校になった時、私が最も心配したことの一つは
「この子は将来働けるのだろうか?」
ということでした。

何を隠そう私もかなりのヒキコモリ体質です。翻訳という仕事が好きだったのもそれが一つの理由です。

翻訳というのは実にヒキコモリにうってつけの仕事なのです。
十年にわたって仕事をいただいたコーディネーターのKさんとさえ、一度も顔を合わせたことがないくらいです。

不登校の息子を励まそうとして、
「お母さんみたいに、翻訳家になればいいじゃない」
と言ったこともあります。

けれどそもそも、人はみな働かなければならないのでしょうか。

仕事がない時、私はとても不安でした。
フリーの翻訳者には一定の量の仕事が常に供給されるとは限りません。
何カ月も仕事がない時もあれば、2年間で3日しか休みがなかった時もありました。

仕事がない時の焦燥感といったら耐えがたいものでした。
将来への不安はもちろん、夫だけに働かせているという罪悪感や劣等感。
子供たちから尊敬されなくなるのではないかという思い込み(多分、子供は働こうが働くまいが私を尊敬なんかしていないと思いますが)。

そういうものも、「働きたい人だけ働けばいい」となれば解消されるのではないでしょうか。

ベーシックインカムについて初めて聞いた時、私は半信半疑でした。
政府がすべての国民に最低限の生活を送れるだけのお金を支給するなんて、
「どこからそんなお金が湧いてくるの?」
と思ったのです。

今回のコロナ禍で分かったのは、みんなに平等にお金をばらまくのは簡単なことだということです。
その手間はおそらく、各家庭に2枚ずつマスクを配るよりも少ないのかもしれません。

みんなが取りに来たら感染が広がってしまうので、マスクの場合は誰かが各戸に届けなければいけません。
けれど十万円は口座に振り込むことができます。
もしも「年収いくら以下の人だけ」とか限定してしまったら、収入の計算だの何だのと事務的な手続きは膨大になったでしょうが、
一律に配るのは簡単なのでしょう。

ベーシックインカムが導入されたら、現在生活保護や年金事務に携わっている膨大な人手と賃金が不要になるのです。

その時、私は「働きたい」と思うでしょうか。
働いたことのある私はそうかもしれません。収入の問題を抜きにしても、働くこと自体が楽しい面もありましたから。
でも働いたことのない息子はどうでしょう。

誰も働かない社会がもうすぐ来るのかもしれません。その時、人間は何を目標に生きるのでしょう。

人間のしていた仕事を、AIがみんな代わりにやってくれるのか。何もできない人間ばかりが増えていき、そのうち文明社会は滅ぶのか。
AIが人間に取って代わるのか。それは誰にも分かりません。

そうなっても、『お金』というモノは機能するのでしょうか。
通帳に記載されているただの数字の羅列、誰も意味を知らない記号の羅列になっているのでしょうか……。