精神病院に連れていこうと、叔父は母の腕を取って無理に立たせようとしました。
「やめてよ、やめてよ」
母は金切り声を上げて逃れようとします。私はじっと座ってこぶしを握っていました。姉も困ったように黙っています。
「Mちゃん、手伝ってくれる」
叔父が振り向いて姉に言いました。
姉は叔父に促されるまま、母の左腕をおずおずと抱え込もうとします。
つられるように、私も立ち上がってしまい、母の後ろを意味もなくうろうろしました。
「やめて、やめて」
涙声で言ったのは祖母でした。叔父の動きが止まりました。
「そんなことしないで、かわいそう。この子は頭がいいんだから。昔から、しっかりしてるもの。
この子が大丈夫と言ったら、大丈夫、いつだってそうだったもの……」
泣き崩れる祖母を見て、叔父も姉も母から手を放しました。
母は急いで私たちから一歩離れると、
「ばかね、おばあちゃん、泣かないの。
みんなのほうがちょっとおかしいわよ、大騒ぎして。しばらくゆっくり休んでったら?」
と威厳を取り繕うように言いました。
それからしばらく、祖母は私たちと暮らしました。
母は薬を飲みながら週に一度通院して、様子を見ることになりました。
祖母にうるさく言われて薬も欠かさず飲んでいたためか、祖母がそばにいる安心感からか、母の病状も安定していました。
そのうち、祖母はまた仙台に帰ることになりました。今思えば、祖母のほうが介護を受ける年齢に差し掛かっていたのです。
私も姉も自分の仕事で忙しく、母が表面上はまともに見えるため、
自分たち姉妹が祖母の身の回りの世話をしなければならないとは思っていませんでした。
ですが実際は母は祖母の世話どころか自分の身の回りのこともろくにできない状態だったのです。
段差の多い古い家は、脚の悪い祖母にとって暮らしにくかったのでしょう。
たまにトイレに間に合わないこともあったようです。
祖母が行ってしまうと、母はだんだん薬を溜め込むようになりました。
飲み忘れるというより、「便秘になるから」と言って自分で量を減らして、私たちが注意しても聞きませんでした。
一時のようにひどくはないものの、妄想もぶり返し、一日中コタツで寝ているようになりました。
もっとも、母が一日中寝ているのには私たちも慣れていました。
妄想が始まる前から、母はいつの頃からかコタツで横になっていることが多くなっていたのです。
思えばその頃から母の「ビョーキ」は始まっていたのかもしれません。
私たち姉妹は仕事や付き合いに忙しく、母の生活ぶりはあまり気にしていませんでした。
私たちのこのような無関心には、母の病前性格も深くかかわっていました。
奇矯な行動が多く、自分のやることに口を出されるのを極度に嫌う母に対して、
私たちはいつしか距離を置いて接するようになっていたのです。
「やめてよ、やめてよ」
母は金切り声を上げて逃れようとします。私はじっと座ってこぶしを握っていました。姉も困ったように黙っています。
「Mちゃん、手伝ってくれる」
叔父が振り向いて姉に言いました。
姉は叔父に促されるまま、母の左腕をおずおずと抱え込もうとします。
つられるように、私も立ち上がってしまい、母の後ろを意味もなくうろうろしました。
「やめて、やめて」
涙声で言ったのは祖母でした。叔父の動きが止まりました。
「そんなことしないで、かわいそう。この子は頭がいいんだから。昔から、しっかりしてるもの。
この子が大丈夫と言ったら、大丈夫、いつだってそうだったもの……」
泣き崩れる祖母を見て、叔父も姉も母から手を放しました。
母は急いで私たちから一歩離れると、
「ばかね、おばあちゃん、泣かないの。
みんなのほうがちょっとおかしいわよ、大騒ぎして。しばらくゆっくり休んでったら?」
と威厳を取り繕うように言いました。
それからしばらく、祖母は私たちと暮らしました。
母は薬を飲みながら週に一度通院して、様子を見ることになりました。
祖母にうるさく言われて薬も欠かさず飲んでいたためか、祖母がそばにいる安心感からか、母の病状も安定していました。
そのうち、祖母はまた仙台に帰ることになりました。今思えば、祖母のほうが介護を受ける年齢に差し掛かっていたのです。
私も姉も自分の仕事で忙しく、母が表面上はまともに見えるため、
自分たち姉妹が祖母の身の回りの世話をしなければならないとは思っていませんでした。
ですが実際は母は祖母の世話どころか自分の身の回りのこともろくにできない状態だったのです。
段差の多い古い家は、脚の悪い祖母にとって暮らしにくかったのでしょう。
たまにトイレに間に合わないこともあったようです。
祖母が行ってしまうと、母はだんだん薬を溜め込むようになりました。
飲み忘れるというより、「便秘になるから」と言って自分で量を減らして、私たちが注意しても聞きませんでした。
一時のようにひどくはないものの、妄想もぶり返し、一日中コタツで寝ているようになりました。
もっとも、母が一日中寝ているのには私たちも慣れていました。
妄想が始まる前から、母はいつの頃からかコタツで横になっていることが多くなっていたのです。
思えばその頃から母の「ビョーキ」は始まっていたのかもしれません。
私たち姉妹は仕事や付き合いに忙しく、母の生活ぶりはあまり気にしていませんでした。
私たちのこのような無関心には、母の病前性格も深くかかわっていました。
奇矯な行動が多く、自分のやることに口を出されるのを極度に嫌う母に対して、
私たちはいつしか距離を置いて接するようになっていたのです。