不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

統合失調症の母の病前性格

2019-01-29 10:35:10 | 日記
精神病院に連れていこうと、叔父は母の腕を取って無理に立たせようとしました。

「やめてよ、やめてよ」
 母は金切り声を上げて逃れようとします。私はじっと座ってこぶしを握っていました。姉も困ったように黙っています。

「Mちゃん、手伝ってくれる」
 叔父が振り向いて姉に言いました。
姉は叔父に促されるまま、母の左腕をおずおずと抱え込もうとします。
つられるように、私も立ち上がってしまい、母の後ろを意味もなくうろうろしました。

「やめて、やめて」
 涙声で言ったのは祖母でした。叔父の動きが止まりました。

「そんなことしないで、かわいそう。この子は頭がいいんだから。昔から、しっかりしてるもの。
この子が大丈夫と言ったら、大丈夫、いつだってそうだったもの……」

泣き崩れる祖母を見て、叔父も姉も母から手を放しました。

母は急いで私たちから一歩離れると、
「ばかね、おばあちゃん、泣かないの。
みんなのほうがちょっとおかしいわよ、大騒ぎして。しばらくゆっくり休んでったら?」
と威厳を取り繕うように言いました。

 それからしばらく、祖母は私たちと暮らしました。

母は薬を飲みながら週に一度通院して、様子を見ることになりました。
祖母にうるさく言われて薬も欠かさず飲んでいたためか、祖母がそばにいる安心感からか、母の病状も安定していました。

そのうち、祖母はまた仙台に帰ることになりました。今思えば、祖母のほうが介護を受ける年齢に差し掛かっていたのです。

私も姉も自分の仕事で忙しく、母が表面上はまともに見えるため、
自分たち姉妹が祖母の身の回りの世話をしなければならないとは思っていませんでした。

ですが実際は母は祖母の世話どころか自分の身の回りのこともろくにできない状態だったのです。
段差の多い古い家は、脚の悪い祖母にとって暮らしにくかったのでしょう。
たまにトイレに間に合わないこともあったようです。

祖母が行ってしまうと、母はだんだん薬を溜め込むようになりました。

飲み忘れるというより、「便秘になるから」と言って自分で量を減らして、私たちが注意しても聞きませんでした。

一時のようにひどくはないものの、妄想もぶり返し、一日中コタツで寝ているようになりました。

もっとも、母が一日中寝ているのには私たちも慣れていました。
妄想が始まる前から、母はいつの頃からかコタツで横になっていることが多くなっていたのです。
思えばその頃から母の「ビョーキ」は始まっていたのかもしれません。

私たち姉妹は仕事や付き合いに忙しく、母の生活ぶりはあまり気にしていませんでした。

私たちのこのような無関心には、母の病前性格も深くかかわっていました。
奇矯な行動が多く、自分のやることに口を出されるのを極度に嫌う母に対して、
私たちはいつしか距離を置いて接するようになっていたのです。

変じゃない、と思ってるあたりが変なんです

2019-01-22 07:58:35 | 日記
寝ている間に母にどんぶりを頭にくくりつけられてしまうようになった私たち姉妹は、
思い余って仙台の祖母と叔父に来てもらいました。

気がふれているようには見えない母に、祖母は恐る恐る切り出しました。
「Nちゃんに聞いたんだけどね、なんか、寝るときに、頭に何か……つけるんだって?」

 母は今度は私をにらみました。
「余計なことを言って! おばあちゃんが心配するでしょうに」

 私は黙って首をすくめました。

「いや、お姉さん、心配するようなことだからこそ、Nちゃんも相談してくれたんでしょう」
 叔父がやんわりと割って入って、
「お義兄さんのこと(自殺)があって、神経が疲れてるんじゃないかと思うよ。
病院で気持ちを楽にする薬をくれるから、しばらくゆっくりと休んだらどうかな」
 うまく言いくるめようとします。

「イヤよ。人のこと気違いみたいに言わないで。もう帰って、私はどこもおかしくないから」

 祖母はあわてて、
「もちろん、あんたがおかしいなんて言ってないよ。
ただ頭にどんぶりっていうのはいくらなんでも、やり過ぎじゃないのかねえ」

「やり過ぎなんかじゃないの、やり過ぎなのはあいつらのほうなの」
 母は興奮してきました。

「あいつらって誰なの」
 医者の叔父は慣れた様子で、次の言葉を引き出します。

「知らないわよ、裏のアパートに住んでる組織の奴らなんだけど、人の耳を引っ張るのよ。
すごい勢いで、耳が取れそうなくらい」

 叔父は苦笑しました。
「お姉さん、それやっぱり変でしょ」

「変じゃないわよ」

「変じゃない、と思ってるあたりが変ってことで」
 叔父は独り言のように言い、母の手を取りました。
「とにかく行ってみましょう、タクシーですぐそこだから」

「行くってどこよ」
 母は叔父の手を払いのけました。
「子供たちを守ってやれるのは私だけなんだから、私がここにいなくちゃダメなの」

 祖母もなんだか半信半疑で、
「本人が大丈夫って言ってるんだし、無理に行かせなくても……。
どんぶり着けるのだけ、何とかしてやれないのかねえ……」
 誰にともなく、懇願するように言いました。

「おばあちゃん、どんぶりが問題なんじゃないの、お姉さんは病気なの。
病気が治ればどんぶりもやめます。とにかく僕の知ってる医者がいるから」
 叔父は母を無理に立たせようとしました。

統合失調症の母の病前性格

2019-01-15 08:06:16 | 日記
母がビョーキらしいと聞いて、仙台から祖母と叔父が駆けつけてきてくれました。

祖母は麻布の裕福な医者の末娘でしたが、京都の大きな呉服屋の次男と見合い結婚しました。
細菌の研究をしていた夫が軍医に志願して出征し、戦死。
戦火を避けて夫の実家に身を寄せていましたが、終戦とともに東京に戻り、死に物狂いで3人の子を大学までやりました。

祖母は10人兄弟の最後に生まれた唯一人の女の子で、とにかく甘やかされて育ちました。
おしゃべりで、底抜けに明るく、こうと思ったことはとことんやりぬく。口の悪い兄たちがつけたあだ名が「ライオン」。
体形も気性も、母とは正反対ですが、気の強さだけは親子でそっくりでした。

母と祖母は、昔からしょっちゅう電話で長話をしていましたが、最後はたいてい喧嘩になって、
母が一方的に切ってしまうのでした。
それでも二人は仲が良い、というか、結びつきの強さは人一倍でした。

 母の非常識ささえも、祖母にかかると武勇伝になります。

「R子(母のこと)から、麻布のおじちゃんのとこに急に電話がかかってきたんだって。
今銀座のワシントンて靴屋にいるからお金持ってすぐ来てって。
おじちゃんたち、わけもわからず、『本日休診』の札出して、とるものもとりあえず夫婦で駆け付けたらば……」

 ここで腕組みをして、ふんぞり返る真似をして
「R子が店の真ん中に椅子を出させてこうやって座って、『あれ見せて』『今度はこれ取って』って
店員をあごで使ってるんだって。
おじちゃんたち、どうなることかとおろおろして成り行きを見守ってたけど、とうとう小一時間もたってR子が
『今日は気に入ったのがないわね』って立ち上がったときには、二人とも腰が抜けたように座り込んじゃったって」

何度も聞いた話なのですが、祖母のたくみな話術でつい笑ってしまいます。

 隣で、母が、
「おばあちゃんたら、大げさなんだから」
と肩をすくめます。

 久しぶりに祖母に会って、母は喜んでいるようでした。
お茶を出したり、世間話をする様子は、とても頭が変な人には見えませんでした。

「あんた、少し具合が悪いんだって?」
 切り出した祖母の口調は、自信がなさそうでした。

祖母にとって母は、超難関と言われた東京芸大に一発合格した自慢の娘です。
少しくらい非常識なことをしても、
「この人は、芸術家だから……」
と、むしろ感服したように、笑って片付けてきた祖母でした。

「どこも悪くないわよ」
 母は取りつく島もなく、
「なんで?」
 急に疑い深そうな顔で叔父と祖母を眺めました。

もしかして……ビョーキ?

2019-01-08 10:40:02 | 日記
母が寝ている私の頭にくくりつけようとしていたのは、タイツにねじ込んだ二つのどんぶりでした。

「とにかくお母さんの言うことを聞いて耳につけなさい。
この裏のアパートに住んでる人がね、電波で耳を引っ張るの。ギーッてなってそりゃ痛いんだから。
あっちの家のそばに住んでる奴の仲間なの、それがわかったからママはおまえたちを守るために来たんだよ」

 母の声は震えていましたが、有無をいわせぬ気迫が込もっていました。

 初めて、母が冗談を言っているのではないらしいとわかりました。
とにかく逆らわないほうが良さそうだったので、私は黙ってどんぶりタイツを受け取りました。

 翌朝目覚めた姉は、耳にどんぶりがくくり付けてあるのに気づいてぷんぷん怒りました。
母は
「ごめんねえ」
とへらへら笑ってごまかしていましたが、夜になって姉がぐっすり眠ってしまうと、
またこっそりとどんぶりをくくり付けてしまうのでした。

姉は眠りが深いので、けっきょく毎朝珍妙な格好で眠っていた自分に気がついては母を怒鳴りちらす、ということを繰り返していました。

私は幼い頃から、「母に逆らっても無駄」という教訓が身に染み付いているので、
翌日から自分でどんぶりタイツを頭にくくり付けることにしました。
慣れてしまえば、そう寝心地が悪いということもありませんでした。

(でも、これって変だよね。まあ、昔から常識はずれな人だけど……)

 姉も、一週間もたつ頃には最初の腹立ちも収まったらしく、気味悪さのほうが勝ってきたようでした。
朝、どんぶりをくくりつけられた自分を発見しても、もう怒らず、二人で複雑な表情を見合わせる日々が続きました。

(もしかして……ビョー……キ?)

 姉と相談して、その頃仙台の叔父夫婦と同居を始めていた祖母に電話しました。
折り返し、叔父から連絡が来て、すぐ入院させたほうがいいから、時間を作って祖母と手伝いに来てくれると言います。
叔父は夫婦で医者をしていて、、こんな時は頼りになります。

「こういう患者さんは、自分は正気だと思ってるから、入院となると大体抵抗するから」
と言って、知り合いの医者にあらかじめ連絡を取っておいて、叔父が迎えに来てくれることになりました。

 でっぷりと太った祖母が、丸い顔をニコニコとほころばせてタクシーから降りてきた時、私は拝みたいような気持ちになりました。

右手を杖に、左手を叔父の手に預けてヨチヨチと歩いてくる祖母は、
この世でたった一人、頑迷な母に意見することのできる人物でしたから。