不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

ヒキコモリにはうってつけの職業

2020-06-11 14:37:25 | 日記
息子が不登校になった時、私が最も心配したことの一つは
「この子は将来働けるのだろうか?」
ということでした。

何を隠そう私もかなりのヒキコモリ体質です。翻訳という仕事が好きだったのもそれが一つの理由です。

翻訳というのは実にヒキコモリにうってつけの仕事なのです。
十年にわたって仕事をいただいたコーディネーターのKさんとさえ、一度も顔を合わせたことがないくらいです。

不登校の息子を励まそうとして、
「お母さんみたいに、翻訳家になればいいじゃない」
と言ったこともあります。

けれどそもそも、人はみな働かなければならないのでしょうか。

仕事がない時、私はとても不安でした。
フリーの翻訳者には一定の量の仕事が常に供給されるとは限りません。
何カ月も仕事がない時もあれば、2年間で3日しか休みがなかった時もありました。

仕事がない時の焦燥感といったら耐えがたいものでした。
将来への不安はもちろん、夫だけに働かせているという罪悪感や劣等感。
子供たちから尊敬されなくなるのではないかという思い込み(多分、子供は働こうが働くまいが私を尊敬なんかしていないと思いますが)。

そういうものも、「働きたい人だけ働けばいい」となれば解消されるのではないでしょうか。

ベーシックインカムについて初めて聞いた時、私は半信半疑でした。
政府がすべての国民に最低限の生活を送れるだけのお金を支給するなんて、
「どこからそんなお金が湧いてくるの?」
と思ったのです。

今回のコロナ禍で分かったのは、みんなに平等にお金をばらまくのは簡単なことだということです。
その手間はおそらく、各家庭に2枚ずつマスクを配るよりも少ないのかもしれません。

みんなが取りに来たら感染が広がってしまうので、マスクの場合は誰かが各戸に届けなければいけません。
けれど十万円は口座に振り込むことができます。
もしも「年収いくら以下の人だけ」とか限定してしまったら、収入の計算だの何だのと事務的な手続きは膨大になったでしょうが、
一律に配るのは簡単なのでしょう。

ベーシックインカムが導入されたら、現在生活保護や年金事務に携わっている膨大な人手と賃金が不要になるのです。

その時、私は「働きたい」と思うでしょうか。
働いたことのある私はそうかもしれません。収入の問題を抜きにしても、働くこと自体が楽しい面もありましたから。
でも働いたことのない息子はどうでしょう。

誰も働かない社会がもうすぐ来るのかもしれません。その時、人間は何を目標に生きるのでしょう。

人間のしていた仕事を、AIがみんな代わりにやってくれるのか。何もできない人間ばかりが増えていき、そのうち文明社会は滅ぶのか。
AIが人間に取って代わるのか。それは誰にも分かりません。

そうなっても、『お金』というモノは機能するのでしょうか。
通帳に記載されているただの数字の羅列、誰も意味を知らない記号の羅列になっているのでしょうか……。

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