不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

担任の心ない仕打ちが不登校の引き金だった

2018-05-30 08:58:32 | 日記
「クラス替えの時、Bの希望だけ聞いてくれなかったそうですね」

1年生の終わりごろ、息子がクラスの友達数人と、
Pという生徒と別のクラスにしてほしいと当時の担任に直訴したことがあったのです。

Pの取り巻きと息子たちのグループはクラスの中で対立していたようでした。
ただ、息子自身はおとなしいほうなので、Pを敬遠していただけで、
突っかかっていったのは周りの子だと思います。

息子は誰とでも分け隔てなく付き合うタイプでしたが、Pのことだけは苦手だったようです。

担任の答えは、
「クラス替えは公平にするもので、生徒の希望を入れることはできない」
でした。

でもふたを開けてみると、Pと同じクラスになったのは友達の中で息子だけでした。

偶然だったのかもしれませんが、結果的に息子は一人でPに立ち向かわなければならなくなったわけです。

息子によれば、Pの取り巻きも何人かも同じクラスになったとのこと。
一人対複数では、おとなしい息子が不太刀打ちできるはずはありません。

息子は1年の担任になついていました。クラス替えの結果を見た時、裏切られたと思ったのではないでしょうか。

あの頃、よく英語の時間に習ったというダニエル・パウターの「BadDay」をくちずさんで、
「今日はツイてなかっただけ」
とつぶやいていた息子の姿が忘れられません。

「うちの子だけがP君と同じクラスにされたと聞きました。
息子は言いませんが、いじめに近いことがあったんじゃないかと思ってます。

生徒がわざわざ頼みに行ったなら何かあると思うのが当然じゃないですか?
生徒の訴えを考慮しないのが公平ですか?

せめて一緒に頼みに行った友達の誰かと同じクラスにしてくれてもよかったんじゃないですか?」

私は一気呵成にまくしたてました。

「本当に、すみませんでした」

1年の時の担任はうなだれて、何度も何度も謝りました。3年の時の担任は息をのんで成り行きを見守っています。
あまり先生が謝るので、こっちが悪者のような気がしてきました。

大勢の生徒を抱えて、先生が激務だというのはわかります。全員の要求をのめるはずもない。
だから今まで黙ってきました。

もし黙って卒業証書だけ渡してくれたら、見送りにまでついてこなければ、言うつもりはありませんでした。

でも、最後まで善意の教員を演じ切ろうとするかのような態度にカッとなって、つい言葉が出てしまったのです。

校長の前で言わなかったのがせめてもの武士の情けです。
結果的に息子は学校から追い出され、友達も失い、希望した高校にも行けず、人生を狂わされているのですから……。

本人不在の卒業式

2018-05-23 07:12:08 | 日記
「よかったら式の日の午後にでも1人で卒業式をしませんか?」

卒業式はまだ終わっていなかったのです。
もしかしたら私を今日呼びだしたのは、これを言うためだったのかもしれません。

「いいえ、結構です。卒業証書は、私が暇な日に改めて取りに来ます」

息子に確かめもせずに私は断りました。
この一年半の間に、私の心には先生方に対する恨みがたまっていました。
息子も学校に関することは口にするのも忌まわしいようでした。

高3になった今もコンビニに買い物に行くことすら嫌がる息子を見るにつけ、
不登校がどんなに深い心の傷を息子に与えたのかわかります。
何に傷ついたか、息子は話してくれませんでしたが、
私が一番傷ついたのは周囲の憐れみと好奇の視線でした。

後日学校の事務室へ行き、卒業証書を受け取って
帰ろうとしたところで1年の時の担任に呼び止められました。

「校長が待ってますので、こちらへどうぞ」

電話を入れてから来ればすぐ用が済むだろうと思ったのが間違いでした。
どうやら待ち伏せされてしまったようです。
恨みもない校長に待ちぼうけをくわすのも気が引けて、私は誘われるままに校長室に入りました。

満面の笑顔で出迎えた校長が開口一番、
「この度はおめでとうございます」

どこがめでたいんじゃ、ボケ。と言いたいところですが私はかろうじて笑顔をつくりました。

「ありがとうございます」

「おかけになって、少しお話でも」

私と話してどうする気でしょう。学校側としては「かわいそうな生徒のために、
できるだけのことはした」みたいな形にしたいのかもしれませんが、
さすがにそこまで付き合う気になれません。

「いいえ、本人もいないので、証書だけ頂いて帰ります」

「そうですか、わかりました。このたびは誠におめでとうございました」

校長は生徒に授与する時みたいにうやうやしく両手で証書を持って差し出しました。
なんだこの茶番、と思いつつ、一応かしこまって証書を受け取ると、
「ありがとうございました。失礼します」
と校長室を出ました。

後ろから担任と1年の時の担任がついてきたので、何の用かと振り向くと、かわいそうな人を見るような表情で
「昇降口までお見送りします」
と言います。
結構です、と言いたいのをこらえて黙って階段を下りようとしましたが、
とうとう我慢ができなくなって振り向きました。

「クラス替えの時、Bの希望だけ聞いてくれなかったそうですね」

卒業アルバムなんか要らない

2018-05-16 08:18:51 | 日記
話は前後しますが、進学が決まり一安心していたところへ、中学の担任から電話が来ました。

「B君の成績物などを学校でお預かりしているんですが、お届けしましょうか。
お母さんがお見えになりますか?」

そう言えばもう卒業の時期です。卒業式には出席しないと予めお断りしてありました。

学校に足を運ぶのは気が重いのですが、届けてくださいと言うのも悪い気がして、
「では明日取りに行きます」
と答えました。どうせ中学校に行くのもこれで最後だと思えば気も楽でした。

「こちらは授業で使った材料で、全員に配ったものとかです。
これは保健のカドワキ先生が全員に配った成長の記録です」

前回学校に来た時、息子の身長と体重を聞かれたのはこれを作るためだったようです。
もちろん家で測定しているわけではないので、適当に答えたのですが、
保健の先生が手書きで書いてくれた成長の記録には少し心が温まりました。
学校を休んでいる間も、このグラフの傾きの分だけ息子は成長していたのです。

卒業アルバムに載せる写真を撮る日も、息子は学校に行きませんでした。

「写真館で撮った写真を持ってきていただければ、掲載しますよ」
と先生に言われたのですが、写真を撮りに行くことも息子は拒否しました。

「卒業アルバムなんか要らない」
と言って……。

へらへら笑いながらお金を盗んでいった友達が晴れがましく並んでいる写真を、
冷淡だった先生が写っているアルバムを、見たくないのも無理はありません。

というよりも、中学校というものから1ミリでも遠ざかりたい一心だったのでしょう。
私も同じ気持ちでした。

卒業アルバムを買わなかった息子にとって、不登校をした1年半は、
色画用紙をたたんだだけのこのペラペラの成長記録だけに収められていました。

つらい思い出だらけの中学校からこれで解放されたというのに、なぜか鼻の奥ガツンとしました。
それでも私はやっぱりちょっとだけ、卒業アルバムが欲しかったのです。
やっぱりちょっとだけ、卒業式に出席する息子の姿を見たかったのです。

「卒業証書はないんですか」
段ボール箱に納められた成績物を手に取りながら私は尋ねました。

「今日は卒業証書はまだ出てないんですけど、
よかったら式の日の午後にでも、1人で卒業式をしませんか?」

と先生。
3年の初めに登校できなかった時あたりから、もう中学校に通うことは諦めていたので、
行事予定を確認してくるのを忘れました。

なんと、卒業式はまだ終わっていなかったのです。


入学試験は面接だけ

2018-05-09 09:32:22 | 日記

どうにか志望校の決まった息子でしたが、まだ合格したわけではありません。

「まずは一度ご本人を連れて面接にいらしてください」

この面接というのが当時の息子には高いハードルでした。

登校していた中2の1学期までは成績の良かった息子です。いっそ学力テストを受けるほうが
まだプレッシャーが少なかったかもしれません。

当時はほとんど自分の内心については語ってくれませんでしたが、
「なぜ学校に行かなくなったか」と聞かれるのが一番心配だったようです。

なぜ学校に行かないのか、本人にもよく分からなかったのでしょう。
逆に、「なぜ学校に行くのか」よく分かっている子もほとんどいないと思いますが。

なんとかなだめすかして行った面接でしたが、前もって息子の状況などは学校に大体話してあったので、
聞かれたことは名前や年齢などの簡単に答えられる質問ばかりでした。

「では、あちらの部屋で写真を撮りましょう」

「えっ、写真?」

予め聞かされていなかったので、私たち夫婦も息子もちょっと戸惑いました。
中学の制服は着て来たものの、髪はずっと切っていなくてロン毛です。

とにかく言われるままに写真を撮ると、先生はにっこりしてこう言いました。
「ではこの写真を生徒証に載せますね。今日の面接で合格したことにさせていただきます」

キツネにつままれたような気分でしたが、
出かけたがらない息子のお尻を叩いてまた足を運ばずに済むことになってホッとしました。

息子の状況を間近で見ていた私は、ほぼ通学せずに済むクラスを希望しましたが、
先生や夫の意見も入れて普通のクラスに入れ、少しずつ学校にいる時間を増やしていこうということになりました。

息子も高校から社会復帰の足掛かりをつかみたいと思ったようで、不安そうではあったものの同意しました。
最初は週に3回1時間ずつパソコン検定のクラスに通うことになりました。

(今日までの苦労が報われた。きっとこの子は高校から普通の生活に戻れる)
そう信じた瞬間でした。現実には夏休み以降、また息子は登校しなくなるのですが……。

不登校の息子の心配症

2018-05-02 08:57:10 | 日記
日曜日、所用の帰りがけにふとスマホを開くと、我が家の電話番号から3件も着信が入っていました。
家にいるのは息子だけのはずです。電話なんかめったにかけてこない子だけに何事かと驚き、
慌てて電話しました。

「あ、お母さん?帰ってきて」

息子がすぐ受話器を取ったのにもびっくりしました。
家の電話は発信者が表示されないタイプなので、息子はいつも電話に出ないのです。

「うん、もう帰り道だけど、買い物していこうかと思って。すぐ帰ったほうがいい?」
「うん」
「わかった、買い物しないで帰るね。でもまだK駅のそばだから40分くらいかかる」
「わかった」
「どうしたの?」
「ちょっと。……あとで説明する」

ざっとでも説明してくれればいいのに、帰る道中気をもむ羽目になりました。息子はしゃべるのが下手なのです。

小学校低学年の頃、小さくなったTシャツを掃除に使おうと思って切ったら、あとで私のシャツを切ったことがありました。

「なんで切ったの?」
と怒ったら、
「お母さんも俺のシャツ切ったじゃん」

言葉で抗議することが、うまくできないのでしょう。そういうところも学校に適応できなかった原因かもしれません。

帰宅して玄関のドアを開けると、中で待ち構えていた息子がいきなり出てきて、駐めたばかりの車に乗り込みました。

「病院行く」

息子はよく病院に行きたがります。便秘の時も、薬や浣腸を試すという段階をすっ飛ばして病院に行きたがったし、
先日も歯が痛いと言うので、休日に無理やり頼み込んで診てもらいました。
結果的に大したことはなくて、(この程度で大騒ぎして、非常識な親だ)というような目で睨まれました。

私は心の中でお医者さんに謝りました。すみません……でも寡黙な息子が切羽詰まった調子で言うので、
私もついただ事ではないと思ってしまって。

何度か病院に駆け込んで分かったことは、息子が自分の体に関して極度に心配症だということです。
しかも毎日が日曜日のくせに、休日に病院に行きたがる。
病院が休みだからこそ、(もっと痛くなったらどうしよう!)と思うのでしょうか。

息子の気持ちも分かるのです。
私は過敏性腸症候群らしく、電車に乗ったり長時間トイレに行けない状況になると急にお腹が痛くなることがあります。
これも(お腹が痛くなったらどうしよう!)という心配のせいなのです。

対処できない状況に陥るのが怖いという不安の強さが、引きこもりにつながっているのかなとも思います。