不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

不登校の息子の昼夜逆転(2)

2017-11-29 09:10:12 | 日記
不登校になった自分のことを親しい友達が面白そうに噂しているのを聞いた翌日、
いつものようにプリントを持ってきてくれた彼に、息子は会おうとしませんでした。
「昨日、ユウト君が近所の子に言ってたこと、気にしてるの?」

私が用心深く探りを入れると、息子の顔がゆがみました。

「ユウト君は、悪気はなかったんだと思うよ」

でも息子は何も言わずかぶりを振るだけでした。

私は、元気そうなのに登校しない息子に腹を立てていた時期でもあり、
悪く言われるのも無理はないと思っていました。

子供同士、噂をすることもあるだろう。学校に行けないのは、事実なんだし。
言われるのがイヤなら登校すればいいのだ、と思いました。

「ごめんね。今は、学校の人に会うのもつらいみたいなの。
プリントは今度からお姉ちゃんに持って帰るように頼むね」

驚いたように私を見上げたユウト君は、
「あ、はい」
とだけ言うと、心なしかしょんぼりと帰っていきました。
親切で、気のいい子でした。

息子が休み始める直前の夏休み、近所の子供たちみんなで花火をしたことがありました。

アイスを食べながら楽しく花火をして、最後に線香花火をしている時、
ユウトくんが何かの話の流れで
「僕、誰からも嫌われたことないもん」
と言いました。

(自分で言うか?)
と思って少し可笑しかったのですが、確かにユウト君ならそうかもしれないなと思い、
「そうなんだ」
と私は相槌を打ちました。息子はもちろん私も、ユウト君が大好きだったのです。

ユウト君にとってはただの面白い噂話だったのかもしれませんが、
息子には受け止めきれないほどのダメージだったのでしょう。
息子の生活リズムは急速に乱れ始めました。今思うと、
友達が登下校する時間に居間にいるのが苦痛だったのかもしれません。

この頃のことは今思い出すのもつらいです。

息子は何日も徹夜をし、飲まず食わずでゲームをするようになりました。
風呂も入らず、だんだんに着替えも億劫がるようになり、
パンツ1枚でいることがほとんどでした。まるで廃人のようでした。

私の小言は、
「早く宿題を片付けて学校に行きなさい」
から、
「しばらく休んでいいから、生活のリズムは崩さないで」
に、さらに、
「もう学校は行かなくていいから、時々は寝なさい。ご飯も食べなさい」
に変わりました。

ゲームに疲れ果て、椅子に座ったまま眠り込んでいる姿を見て、私はゾッとしました。
私の知らない間に、私が寝ている間とか、目を離した隙に死んでいるのではないか。
本当にそんな恐怖を感じました。

まだ長くなりそうなので続きは今度書きます。

不登校の息子の昼夜逆転(1)

2017-11-22 10:01:19 | 日記
この前息子の拒食のことを書きましたが、
拒食と並んで心配だったことが睡眠です。

中学2年の夏休み明けから学校に行かなくなった息子は、
最初の頃は布団から出てこないとしても、
眠っているのではなく学校に行きたくないから
布団から出ないという感じだったと思います。

私もひどく混乱していた時期もあって
正確に覚えていないかもしれませんが、
覚えていることを書きます。

宿題が終わらなかったと言って休んだので、最初は私も

「宿題が終わるまでパソコンは1日2時間ね。
学校に行けるようになったら自由にやっていいから、
早く宿題を終わらせて学校に行くんだよ」
と言い、息子も宿題をやっているようでした。

でも宿題はそれから何日経っても進まなくなり、
いつしか机の隅でほこりをかぶっていきました。

とても翻訳の忙しい時期だったので、
私もつきっきりで見張っているわけにいかないし、
パソコンをやっていなくても
隠れてDSで遊ぶくらいはいくらでもできるので、
今思えばあまり意味のない「アメとムチ」です。

でもあの頃は子供を何かで縛っていなければ
どんどんタガが外れてしまうのではないかと不安でした。
私が子供を放任したせいで不登校になったとか、
指導力のない親だと周りに思われるのが怖かったのです。

ある日居間で息子とおやつを食べていると、
家の横の道を帰っていく子供たちの声が聞こえました。

うちは路地に面していて、
居間にいるとけっこう通行人の声が聞こえるのです。

「……まいっちゃうよ、学校行けないんだぜ」
それは息子の幼馴染のユウトくんの声でした。

「えー、本当?」
と、近所の女の子。

その時息子は気づいていないようなそぶりでしたが、
それから友達にも先生にも会いたがらなくなり、
居間にいることも少なくなり、
昼も夜もなくゲームに没頭するようになっていきました。

世間が不登校をどんな目で見ているか、
遅ればせながら思い知ったのでしょう。

というよりも、ついこの間まで自分が
不登校のクラスメイトをどんな目で見ていたかを、
思い出したのではないでしょうか。

落伍者だ、ああなったら人生おしまいだ、
物笑いの種だと……。

長文になりそうなので続きはまた今度書きます。

不登校児の拒食

2017-11-14 09:18:29 | 日記
不登校になってから、息子は様々な問題行動を起こしましたが、
母親として一番困ったのは拒食でした。

学校を休み始めても、最初は普通に一日三回食べていたのです。

「学校で給食を食べてくれればいちいち作らなくていいし、
栄養バランスも取れて楽なのに」

食べていた頃はそんな嫌味を言う余裕すらありました。

ゲームに没頭してろくに食べなくなると、
お菓子でも何でもいいから食べてほしくて私は必死でした。

飲まず食わず、たまに眠るのはゲームに疲れ果てて、
椅子に座ったまま寝落ちする時だけという有様でした。

椅子の上でひょろ長い手足を器用にたたみ、
弱々しい寝息を立てている息子を目にした時、
(この子は死ぬのではないか)
と私は怯えました。

この頃はウィダーインゼリーかカロリーメイトなら
かろうじて食べられる、という状態でした。
食べる量は少なくても栄養が入っているので、
こういう時はまだ安心でした。

甘いお菓子しか食べない時もあったし、手作りの料理がダメで
コンビニのおにぎりかサンドイッチという時期もありました。

「何か食べたい物ない?」
と聞くのが習慣のようになり、かなり元気になった今でも
出かける用があるたびに聞いてしまいます。

昼夜逆転していた時は、決まった時間に手料理を食べさせることはできませんし、
あとで食べるかと思って取っておいても、
勝手にカップラーメンなどを食べて、料理には手をつけないことも。

外に出ないので運動はしないし、健康に悪いことこの上ありません。
私の言うことは聞かないし、夫は我関せずなので、
気をもみながらも放っておくしかありませんでした。

「俺、病院でテキベンしてほしい」
長らく私を無視していた息子が、ある時珍しく声をかけてきました。

「テキベン?何それ」
ようやく声をかけてもらったうれしさで、私は意気込んで聞きました。
しかも外に出たがらない息子が自分から病院へ行きたいとは。
これはぜひかなえてやらねばと思いました。

「便を掻き出すこと」

「へっ?」

「肛門に指を突っ込んで、便を掻き出してもらいてえんだよ」
息子はヤケクソのように言いました。

生活の乱れから、ひどい便秘になったようです。

私は吹き出すのをこらえながら、
「まずはイチジク浣腸、してみよっか」
と言いました。

めでたくお通じがあったらしい息子は、翌日上機嫌で私の所に来て言いました。

「俺、筑前煮が食べたい」

渋いな、いきなり。

それ以来息子は徐々にバランスのとれた食事をとれるようになりました。

ゲーム好きと不登校

2017-11-08 08:06:40 | 日記
昨日は不登校の息子と午後中ゲームをやっていました。
7時間くらい。私はへとへとでしたが、
息子は午前中からやっていました。

ご多分に漏れず息子もゲームが大好きです。
先日『ドラクエ11』をやってドラクエにはまったようで、
父親と『ドラクエ8』を始めたと思ったら、
そっちが終わってもいないのに『7』も通販で買ってきました。

「似たような世界観だろうに、
一緒に進めてわけわかんなくならない?」

と聞きましたが、

「だって、お父さんは平日いないし、暇じゃん」
とのこと。

(勉強でもしろよ……)
と、心の中で突っ込みますが、私もちょうど仕事が途切れて暇なので
付き合うことにしました(私は家で翻訳をしているのです)。

『7』は昔やったことがあって、私のセーブデータが残っていたのですが、

「560時間って何なの?」
と息子があきれています。確かに。

『11』は、ザコ敵が目に見えていてよけられたり、
旅の目的を見失わないよう前回までのあらすじが見られたりと、
サクサク進められるようにできていました。
謎解きもあまりないそうです。今の子供は忙しいのでしょう。

「お母さん、よっぽどはまってたんだね」

「いや、ま、暇だったんじゃない?」
と私。

「俺みたいじゃん!あっ俺なんかと一緒にしてすみません」

「いや、ソックリだから。私たち」

どうも私は嗜癖に陥りやすい傾向があるようで、お酒も毎日飲みます。
ゲームばかりやっていた時期もありました。
不登校ではなく、結婚して仕事を辞めてからしばらく、
引きこもり主婦だった頃のことです。

仕事を辞めてからはアルバイトを手あたり次第やりましたが、
つくづく自分は集団の中でやっていけないことを思い知り、
在宅ワークに落ち着きました。

息子も私にソックリなので、
将来は家でできる仕事をしたほうがいいんじゃないかと思います。
ゲームの合間にプログラミングの勉強もしているようです。

こう言うとまるで物分かりのいい親みたいですが、
私は息子にゲームをさせるのがとてもイヤでした。

いや、今でもイヤです。できればスポーツとかやってほしかった。

でも我が子とは言えやりたいことをやめさせることはできないし、
やりたくないことをさせることもできないのだと、
不登校の3年間で骨身に染みました。

息子が理想どおりにならないのが憎くてつらくて、
いっそ死のうと毒を購入したことさえあります。

でもまだ私も息子も生きていて、
平日の昼間に並んでだらだらゲームなんかやっている。
これを幸せと言わずして何と言うべきでしょうか。

本音を言えば羽生結弦くんみたいな息子がよかったけれども。

羽生ファンの皆さん、愚息なんかと比較してごめんなさい。