月一回の神戸礼拝の日。
我が家に滋賀県からO牧師夫妻とスタッフのKさんの三人が、出張礼拝してくださる日です。
(礼拝の出前といわれるのですが・・・(笑))
出席者は 私ら三人の家族に 次女の友人とそのお母様。
ここ何年も こんな状態ですが・・・もうあきらめました。
昔は 色んな方が出たり入ったりとありましたが・・・。
時がくれば 神様が必要な方々を集めて下さると信じています。
人の心は 今すぐ!と焦りますが、神様の時が来なければ何も動かされない事が
イエスさまを信じて10年で やっと判ってきました。
私たちの教会は10年目現在も 会堂がありません。
流浪の民やな!・・・なんていって笑っていましたが、みんな心はチョット淋しかったですよね。
少しづつ 会堂建築費も積み立てていましたが、これかな!と思う物件がでてきても
神様のみこころではなかったのでしょう、見事に消えていきました。
最近は 牧師やみんなも 何となく諦めかけていた雰囲気でしたが
今回 駅前のマンションの一階にあった銀行が撤退することになり
そこを買い取る事になったようです。
それも 内装費やなんかが 積み立てた金額内でいけるかもしれないのです。
今の観測では100%ではないけど、そうなれば すごい!!ですよね。
大きな教会堂を無理して建てるよりも
等身大の夢を叶えさせて下さるかもしれませんね。
そうなれば・・・ハレルヤで~~すが、そうならなくても ハレルヤなんですよねホントハネ。
デモ 宗教関係はどうも・・・なんて考えていられる方も住民の中に居られる様で
牧師と住民の話し合いがもたれるようです。
私たちが心配しなくても 神様のみこころなら 決まるでしょうし
そうでなければ 又流れる・・・あたりまえのことなのですが
執着したり 人力でなんとかしようと無駄な抵抗を試みてしまう我々。
信仰とは 主にすべてゆだねる事なり・・・
それを 家庭の中でも 会堂についてでも学ばさせて頂いていますが
ともすれば ふわ~っと不安がよぎり 落ち込み、そっから又はいあがって・・・と
まあ、アップダウンの人生も面白いですが、相当なエネルギーが要り疲れますね。
心もすさみ、平安がなくなってきます。
それは イエス キリストが 私たちに与えてくださったものではないのです。
いつも喜んでいなさい、たえず 祈りなさい、全てのことに感謝しなさい
******************* ****** ********** ************************
そうすれば 主の平安が心に来る!と言われているのです。
********** ******************
不安をもっても すぐ、イエスさまにゆだねます・・・と祈るのです。
それは練習がいりますが できるようになるのだ!ってことも最近わかりました。
やはり 信仰は育ててくださるのですね。感謝です。
このみことばは 私の信仰の要であるように思います。