あんな事こんな事あったもん♪

心の中をイラストや写真付で発信。時折文章だけの時もあり文体は気分次第です。
お付き合いくだされば感謝です。

天の父なる神様 感謝します

2006-09-11 | 思ったことあったこと
   

 昨日の聖日礼拝は 何だか不思議(あくまでも私的です)な礼拝でした。

 讃美リーダーのミニストリー(奉仕)だったのですが
 何日か前から曲選びをしなくてはならないのに
 ギリギリまでやらなくて.....イヤ 讃美リーダーってことがピンときてなくて
 何も考えていなかった....っていったほうが正しかったのです。

 メッセージなさる執事のO氏から、メッセージ後の曲をリクエストされて
 はじめて、少しだけシャンとした!のですが-----
 おざなりな祈りをしたけど、兎に角最悪の曲選び。

 コードだけ合わせて、なんとなくエエ加減に選んだって感じでした。
 本当に神様に対して、真摯でない、申し訳ない讃美リーダーですよね。

 約束ってゆうか O氏とはいっさいの打ち合わせしてなくて
 メールでは 「はじめは無伴奏でうたい、後から奏楽が入ります」とあったので
 私か勝手に、みんなをリードし、一緒に歌うんだな~っと思い込んでいたから
 ぜんぜん練習もせず 本番に臨んだのです。

 みんなの前に立って 「使徒信条」の告白、「主の祈り」「詩篇23編」告白
 コリント13章の唱和・・・・(これも讃美リーダーの役目でリードします。)

 さあ讃美に入ろうって----いつもならすぐ讃美に入っていくのですが
 昨日は 「コリント13章」の中の
 「・・・その時には、私が完全に知られているのと同じように、
 私も完全に知ることになります」
との箇所が、いつも心に響くのですが
 「それをみんなに言おう」との想いがきました。

 「神様には私は完全にしられてるんだから、
 なんも心配せんと讃美だけしましょうね」

 と偉そうなことを言って、讃美に入っていった自分に、心は驚いていました。

 その時から 自分であって自分でなかったんですね・・・。
 不思議な感覚がその時から、あらわれていました。

 さて、メッセージも終わって、終わりの讃美の番がきたら
 O氏が 「K姉妹(アタシ)に無伴奏で歌っていただいて・・・・」
  「エ~~~~ッ!!独唱かい!!!!???」

 
 そんな~~ん!!なんて言う雰囲気でないし、歌わなしゃーないやん。
 
 前に出た途端 緊張しているわけでもなく あがっている訳でもないのに
 頭から 熱い何かが体の中に入っきた感じがしました。

 音をもらって 歌いだしましたが、
 何とも なんとも 甘い甘い旋律が私の口から出てくるのです・・・
 (しかし、これは 私だけが感じていることだと思いますが)

 私・・・こんな声やったかな~?っていう想いと、4番まで全部独唱かい??
 音が下がってきたんとちゃうかいな・・・とか奏楽のMさん、音下がったら
 入りにくいやろうな・・・とか、グチャグチャな感情が
 歌っている間中 沸いてくるんですが、
 感情なんてものとは 関係なく、霊的な心地よいものが 
 会堂全体に広がってきているのを肌で感じていました。

 私の頭の上にも 会堂のすべての上にも、主の御手がおかれ
 すべての悩みとか苦しみとかから、解放させられているという想いがしました。

 しかし、決してトランス状態ではなくて
 あくまでも、安らかな穏やかさに包まれていたのです。

 導かれる方々の頭に手を置いて祈られていた牧師の手が、思いがけず私の上に。
 感謝でした。
 いろいろな感情が動くなかで、主は 大いに大いに働いてくださっていました。
 
 この世の様々なことは 努力練習や想いいかんで成功不成功が決まるみたいに
 感じますが-------。
 ホントはそうではないんだ!って 改めて感じました。
 
 主にゆだねることによって
 主がすべてのことを成してくださるのですね。

 私たちは 陶器師(主なる神様)の手の中で陶器師の思うが侭に
 こねられる、土くれなのですね。

 本当に私にとっては 不思議な礼拝でしたが 神様からみたら
 不思議でもなんでもない、喜んでくださっている礼拝だったのでしょうね。
 本当に私みたいな エエ加減なものをも使ってくださること、感謝でした。