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昔、何かで読んだのか、聞いたのか忘れたけど、
心の隅っこの方でほこりをかぶっていたお話を思い出した。
天国と地獄での同じ食事風景。何もかもが同じ設定。
違うのは、そこに主(神様)が居られるか居られないかだけ
地獄では自分勝手に長いスプーンで食べようとするが
長すぎて、人に当たったりしてイライラして
最後には戦争のようになる。
しかし、天国では、
そのスプーンが届く場所に座っている人に食べさせる知恵を
主から頂く。
自分も誰かから食べさせてもらって、みんなが幸せになる
そんなお話を昨日の執事のIさんのメッセージで思わされた。
人間は愚かで、自己中な罪をみんな持っているから
肉の想いや感情だけでつながっていると
必ず 争いが起きる・・・
しかし、そこに主の愛が、油がしたたりおちるように
一人一人の頭に注がれた時、
その愛の油はゆっくりと 頭から首筋にながれ、襟に流れ落ち
まるで、朝に草花の上に優しくたまる露のようにたまってくるのだ。
主の愛の油、露によってその交わりは、大いなる喜びと楽しみになる。
と聖書の詩篇133篇をとうして
神様とつながっていない肉だけの交わりでは
なかなか 本当のつながりにはなれないんだ(私の解釈)
と主はIさんをとうして語られた。
土曜日に夫との会話が無い、という不満を記事にしたが
そのことに対して、主から一寸お叱りを受けた気がした
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わたしらは 曲がりなりにもクリスチャンなのに
吹き飛んでしまうような心もとない感情に振り回されていたな・・・と
反省いっぱいになった。
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暫らく来られていなかった方や初めてお見えになった方
又入院されていたけど 元気になられて久しぶりに来られたご夫妻。
大いなる喜びが溢れていた礼拝だった。
主がお喜びになられているんだ!ってとっても感じられた。感謝
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