あんな事こんな事あったもん♪

心の中をイラストや写真付で発信。時折文章だけの時もあり文体は気分次第です。
お付き合いくだされば感謝です。

雨が降り注ぐように

2012-08-26 | 思ったことあったこと
  
  私は長い間、新興宗教に凝っていました。
  信仰というものにいつも疑いを持っていた私が
  何故、そうなったのか、その時の心境は
  今、考えてもわかりません。

  確かに家族ともども私の実家に帰ってきてから
  私の祖母や母への不信感と不満とが
  溜り溜まっていたから・・・とも言えますが
  
  それだけでもなかった気がします。

  兎に角不満や疑念、子育てに苛立っていた自分でした。
  
  悪魔はそんな心のなかに喜んで住み続け
  それは23年という長い月日となりました。
 
  その間に悪いことばかりが重なり
  それは阪神大震災まで続き
  その年の5月ぐらいまで続いたのです。

  しかし、闇は突然開けました。
  私が長年会ったこともなかった従兄弟から
  私に福音が届けられました。

  ある牧師さんを通して、イエス様が大雨のように
  福音を降り注いで下さったのです。
  今思うと、不思議な事ばかりでしたし、
  瞬時に受け取った自分は、かつての自分ではありませんでした。

  今朝の礼拝のメッセージは
  「疑念と信仰は共存できるのか」でした。
  はっきりとはいえませんが私は共存できない!と思いました。

  疑念とは悪魔が思わせるものだからです。
  私はさっきも言ったように、宗教や信仰全般に疑念を持ち続けていました。
  
  そんな心の中に悪魔は住みやすかったに違いありません。
  あの地震がなかったら、今も私は安らぎを持てず
  死んでいたかもしれないからです。

  この世に「確かに正しいもの」は、見たいと思っても見ることはできません。
  裏切りや復讐や恨みばかりなこの世の中ですから・・・。

  しかし、偽物は、本物をしっかりと知っていないと分かることはできないのです。
  あの悪夢のような23年間はそれを確たるものにするための
  天のお父さんの教育だったと思います。

  今私は、はっきりと偽物と本物の区別がつくように
  してくださった主キリスト・イエスに感謝してもしきれないほどの
  喜びをもって感謝しています。

  か弱いものです。すぐに弱音を吐き、
  すぐにイエス様に文句を言ってしまう愚かな罪人たる自分です。

  しかし、聖書のみことばや賛美の歌詞やメッセージをとおして
  主はその都度、新しい素直なこころを与えてくださいます。

  疑念は人生の迷い道に向かわせますが
  真の信仰は正しい目標を定めてくれます。

  それは自分の努力ではなくじぶんがなにをした!というのでなく
  神様である主なるお方の定めた時がきたら
  与えられると思います。

  それには沢山の方々の真摯な祈りが必要になります。
  私の微々たる祈りでも、世界の何方かのお役に立っているかもしれないと
  信じることはおおいなる幸せとなっています。

  落ち込むこともありますが、主はいつも
  「わたしは、
あなたの信仰が無くならないように祈っています」

  といわれているのですから・・・・。