ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

思い通りにことは運ばない!

2019年06月08日 | 介護
世の中は思い通りにことは運ばない!
そもそも人生の大半を否定されて生きてきた。
何もかもダメダメと言われて生きてきた。
自由にならない世界で生きてきた。
我が家では母が絶対権力を持っている。
私は子供の頃からそれが嫌だった。
すべてを管理された生活が!
何もかも母に決められていた。
小学生の頃までは髪の毛がおかっぱだった。
それとて母に連れられてはじめは床屋だった。
そのうち美容院になってもおかっぱだった。
さすがに中学生ではおかっぱも?と、言うことで昔のやわらちゃんよろしく、邪魔な前髪をゴムで結んでいた。
小学生の頃は毎日の服装までも決められていた。
中学生になったら好みの服は着るが、それでも母に文句は言われていた。
毎日寝る時間を決められ、ほぼプライバシーの無い生活を強いられていた。
さすがにそんな生活は嫌だった。
休日に出掛けるのも誰とどこへ何しに行って何時に帰るかは言わなければならなかった。
それは高校を卒業しても続いた。
彼氏が出来たら出来たで、デートの約束を勝手にしてきただけで怒られた。
デートに行ったら行ったで、帰った来たらデートの内容を根掘り葉掘り聞かれる始末だった。
食べてきたものから会話の内容まで母は聞いてきた。
かなりの過干渉の母だったことは否めない。
母の辞書にありがとう!とごめんなさい!は無い。
父と喧嘩をしても謝罪はしない。
自宅では母の常識が通ると思っている。
私は子供の頃は学校で絶えずいじめに合い、これといった友達も出来ずに過ごした。
友達のいるような振りさえしたのだ。
私は母に学校で自分がいじめに合っていたことは一言も言わなかった。
母にその事を言っても解決するとは思えなかった。
不細工で勉強の出来なかった私は学校では格好のいじめの対象だったのだ。
いわゆるカツアゲとか、パシリとかはないにしろ、集団暴行と言うものに2度ほどあった。
世間で言うリンチだった。
勉強が出来ないと言うだけで、不細工と言うだけでいじめの対象なのだ。
みんなはそんな目にあったことがありますか?
時に人前で泣くのはバカだ!
と、言われていた私は夜中に布団を頭から被り声を殺して泣いた。
勉強が出来ない不細工はいじめの対象になるのだ。
そこに友達が出来たとしても、それは上部だけの友達でしか無いのだ。
友達の作り方がわからない。
作ってもどこまで相手に踏み込んでいいのかがわからない。