ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

買い物に行く!

2024年11月04日 | 介護
買い物に行く!
家を出たら近所のうるさいおばさんに遭遇した。
さすがに駅とは言えずにコープにお使いに行くと嘘を付いた。
コープへ行くふりをして途中で駅まで行った。
電車に乗った。
目的は大型書店だった。
毎年買っている九星暦を買う。
ところが発売がまだなのか売っていなかった。
その後はカルディやDAISOに行く。
途中の回転寿司でお昼も食べた。
無印良品でも買い物をした。
安価なものをあれこれ買い、駅横で見つけたシャトレーゼでも買い物をした。
旦那と一緒だとこんなには歩かない。
安価な物だけあれこれ買い求め、旦那のクリスマスプレゼントも買った。
1人と言うものは良い。
杖を突いた旦那とは旦那に転ばないように声掛けをする。
足並みを旦那に合わせる。
あの店この店と寄り道は出来ない。
自宅からは1万歩ちょっと歩いた。
買ったものは自宅で開けて仕分けをする。
DAISOではクリスマス用の箱も買った。この箱に日持ちのしそうなお菓子を詰める。
この次お会いする時にお持ちしますね。
あの人はことのほか肉巻きおにぎりがお気に入りです。
肉巻きおにぎりは当日しか作れません。
当日しか日持ちもしません。
お菓子なら日持ちはします。
みきやんのみかんもちも買いました。

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死にかけた命

2024年11月04日 | 介護
14歳の時に一度死にかけた。
学校の教室の窓から外へ足を投げ出して座った。
広告の裏のような紙に遺書まで書いた。
2階の窓だった。
怖くはなかった。
そその時だった。
クラスの女子が止めた。
あっけなく私の自殺願望は未遂に終わった。
母がクラスの担任から呼び出しをくらった。
母が学校に着たのを見た。
母は渡り廊下を通って家庭科室に入っていった。
その頃の担任の先生は体育の女性教師だった。
家庭科の先生と仲が良かった。
家庭科室なら誰にもわからず話が出来ると思ったのだろう?
母は担任と話したことは一言も言わなかった。
私は窓から飛び降りなかったことで自殺は未遂に終わった。
高校を卒業して社会人になるとそこでも陰湿ないじめに合い、死にたいと思った。
頭の悪い要領の悪いものは得てしていじめの対象になるなだ。
何度か生きていてもつまらないと…。
何度目かの職場では一緒に働いていた若い子が辞めた。
原因は職場の近所のおばさんたちにあるのだ。
皆さん新興宗教の熱心な信者でした。
お昼や休憩時間に盛んにその宗教の話をします。
毎回してきます。
若い子は耐えきれずに職場を辞めました。
私もさすがに耐えきれずに会社の上司に話をして職場を変えてもらうことを希望した。
私の代わりに新しい他人が他所から着た。
ところが彼女は嘘を付く。
忙しい日曜日に毎回嘘を付いて休むのだ。
私はしまいに新興宗教の話はどうでもよくなり、嘘を付いて休む彼女が嫌だった。
結局彼女が嫌で職場は変わった。
どこの職場でも大なり小なりいじめはあります。
32歳で結婚した相手は何も語らない。
友達もいない。
私は結婚した土地で友達を作ろうと…。
市の広報でやりたいことをあれこれ見つけて参加した。
そこで何とか友達を作った。
友達は出来たが、今となっては添えんです。
1人亡くなり、1人は施設に入所し、皆さん高齢者になり疎遠です。
主人は過去の多くを語りません。
友達もいません。
私も主人の過去は聞きません。
最初は好きでも嫌いでもなかった主人ですが、こんなに一緒に暮らしていれば愛情はお互いに生まれます。
その間にお互いに病気もしました。

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お見合いをした

2024年11月04日 | 介護
お見合いをした。
何人かの人とお見合いをした。
9月なのに洋服が無いのか?
ウールのジャケットで来た他人は好みでは無かったので断った。
断ったらその他人はやけ酒を飲みに行ったようです。
お見合いをした。
自営業の他人とお見合いをした。
勝手にデートの約束をしたら母に怒られた。
デートをした日に断った。
入ったファミレスで断った。
その他人はその後やけ酒を飲みに行ったようです。
やたらと高身長の高学歴の他人とお見合いをした。
母の友達の紹介です。
喫茶店の席に着くまで顔が見えなかった。
風呂屋の息子だと言う。
断られた。
母の知り合いの他人の息子さんともお見合いをした。
断られた。
職場の近所のおばさんが紹介してくれた他人ともお見合いをした。
デートも1度だけ行った。
別の職場の向かいのお兄さんとも付き合ったが京都の男性で高校中退で好みでは無かったので自然消滅した。
別の職場の近所のおばさんがお見合いを勧めてきた。
お見合いをした男性は自営業だった。
夜学の高校を出た男性だった。
性格が良くないので断った。
次に職場の近所の別のおばさんがお見合いの話をしてきた。
そのころ私は30歳を過ぎていた。
職場の隣のおばさんが私の手相を見て「30歳で話が着たら断らない方がいいわよ」と言われていたので、30過ぎてきたお見合いの話にお見合いをした。
2月にお見合いをして5月に結納を交わした。
10月末には結婚をした。
あれよあれよという間だった。
それが今の主人です。

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心の支え

2024年11月04日 | 介護
子供のころからいろいろありの人生だった。
父がんな時期に引っ越しをし、幼稚園も保育園も行かれなかった。
いきなり小学校だったので友達の作り方も分からなかった。
小学校では陰湿で悲惨ないじめにあった。
父の仕事の都合で4年生の夏休みに引っ越しをした。
引っ越しをして新しい学校に転校をした。
天候をしてもいじめは続いた。
他人に言えない親にも言えないいじめは続いた。
陰湿ないじめは続いた。
友達と呼べる他人がいなかった。
学校では休み時間の校庭でのドッチボールにも入れてもらえなかった。
容姿でいじめにあい、勉強が出来ないことでいじめにあった。
暗い陰気な子供だった。
登校拒否という言葉もないころだった。
病気以外では学校を休めなかったので、来る日も来る日も学校に行った。
たまに遊んでくれる同級生はいたが数合わせのようなものだった。
心の支えはテレビで見た芸能人だった。
東京オリンピックの年に父が白黒テレビを買ってきた。
そのテレビで初めて見た芸能人が歌手の島倉千代子さんだった。
それ以来、彼女のテレビを見て歌を聴いた。
小学校でのいじめは中学校でも続いた。
親友と呼べる友達もいず、行きたくもない学校に行く。
相変わらず勉強は苦手だった。
高校でもいじめにあった。
学校には相変わらず行きたくはなかった。
嫌がらせは後を絶たない。
高校3年で和裁の専門学校に行くことを希望したが、両親の反対にあい、泣く泣く就職をした。
最初に就職をした会社はすでに傾きかけていた。
半年で辞めた。
次の会社では陰湿ないじめが待っていた。
職場の店長がひどかった。
職場を替えてもらうも新しい職場でもひどかった。
再び会社にいい、職場を替えてもらう。
二十歳のころにある後援会の会報にある募集が出ていた。
親を拝み倒し、そこで働きたい旨の手紙をそこに出して、会社を辞めてそこで働くことになった。
なったはいいが、仕事は話とは違う仕事を強いられた。
早朝から夜遅くまでやったこともない仕事を強いられた。
今にして思えば不当労働行為だったと思う。
休みの無い仕事に残業手当も無い仕事だった。
さぼれば雇い主に見つかってこっぴどく怒られた。
こんなはずじゃあ無かったよと毎夜泣いた。
食事も残り物を食べるので痩せて行った。
途中で雇い主が1日休みをくれた。
実家に帰った。
両親の間に寝て泣いた。
次の日雇い主のところに帰った。
その後ある失敗をした。
その失敗を言えずに、ホームシックも手伝って、そこを辞めた。
わずか1か月と1週間だった。
もらった給料は8万円だった。
残業手当も無く、1か月と1週間のうちに休みは1日だけだった。
どこにいても一人だった。
実家に帰ってほぼ数か月家にいた。
前の会社に再び就職した。
就職してもいじめはあった。
弟が22歳で結婚をした。
私も結婚をしたいと相手もいないのに会社を辞めた。
クッキングスクールに通った。
週に1回のクッキングスクールも馴染めなかった。
途中で再び就職をする。
自宅に居れば家事を強いられるのだ。
家事をしたくない私はハローワークに行き、就職をした。
新しい会社でもいじめにあった。
職場は変わってもいじめにあった。
陰湿ないじめは後を絶たない。

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