子供のころからいろいろありの人生だった。
父がんな時期に引っ越しをし、幼稚園も保育園も行かれなかった。
いきなり小学校だったので友達の作り方も分からなかった。
小学校では陰湿で悲惨ないじめにあった。
父の仕事の都合で4年生の夏休みに引っ越しをした。
引っ越しをして新しい学校に転校をした。
天候をしてもいじめは続いた。
他人に言えない親にも言えないいじめは続いた。
陰湿ないじめは続いた。
友達と呼べる他人がいなかった。
学校では休み時間の校庭でのドッチボールにも入れてもらえなかった。
容姿でいじめにあい、勉強が出来ないことでいじめにあった。
暗い陰気な子供だった。
登校拒否という言葉もないころだった。
病気以外では学校を休めなかったので、来る日も来る日も学校に行った。
たまに遊んでくれる同級生はいたが数合わせのようなものだった。
心の支えはテレビで見た芸能人だった。
東京オリンピックの年に父が白黒テレビを買ってきた。
そのテレビで初めて見た芸能人が歌手の島倉千代子さんだった。
それ以来、彼女のテレビを見て歌を聴いた。
小学校でのいじめは中学校でも続いた。
親友と呼べる友達もいず、行きたくもない学校に行く。
相変わらず勉強は苦手だった。
高校でもいじめにあった。
学校には相変わらず行きたくはなかった。
嫌がらせは後を絶たない。
高校3年で和裁の専門学校に行くことを希望したが、両親の反対にあい、泣く泣く就職をした。
最初に就職をした会社はすでに傾きかけていた。
半年で辞めた。
次の会社では陰湿ないじめが待っていた。
職場の店長がひどかった。
職場を替えてもらうも新しい職場でもひどかった。
再び会社にいい、職場を替えてもらう。
二十歳のころにある後援会の会報にある募集が出ていた。
親を拝み倒し、そこで働きたい旨の手紙をそこに出して、会社を辞めてそこで働くことになった。
なったはいいが、仕事は話とは違う仕事を強いられた。
早朝から夜遅くまでやったこともない仕事を強いられた。
今にして思えば不当労働行為だったと思う。
休みの無い仕事に残業手当も無い仕事だった。
さぼれば雇い主に見つかってこっぴどく怒られた。
こんなはずじゃあ無かったよと毎夜泣いた。
食事も残り物を食べるので痩せて行った。
途中で雇い主が1日休みをくれた。
実家に帰った。
両親の間に寝て泣いた。
次の日雇い主のところに帰った。
その後ある失敗をした。
その失敗を言えずに、ホームシックも手伝って、そこを辞めた。
わずか1か月と1週間だった。
もらった給料は8万円だった。
残業手当も無く、1か月と1週間のうちに休みは1日だけだった。
どこにいても一人だった。
実家に帰ってほぼ数か月家にいた。
前の会社に再び就職した。
就職してもいじめはあった。
弟が22歳で結婚をした。
私も結婚をしたいと相手もいないのに会社を辞めた。
クッキングスクールに通った。
週に1回のクッキングスクールも馴染めなかった。
途中で再び就職をする。
自宅に居れば家事を強いられるのだ。
家事をしたくない私はハローワークに行き、就職をした。
新しい会社でもいじめにあった。
職場は変わってもいじめにあった。
陰湿ないじめは後を絶たない。