ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

思い返せば良い両親でしたね

2025年02月12日 | 介護
思い返せば良い両親でしたね。
酒とタバコとギャンブルが好きな父でした。
定職に就いてもすぐに辞めてしまう父でした。
自営業も上手くいかず、サラリーマンにも向かない父でした。
金持ちの家の末っ子でお坊ちゃんでした。
学歴はどこまでなのかはわかりませんが、博学で何でも出来て知っている父でした。
看板店にいたこともあるので字がきれいでした。
読書家です。
器用で何でも出来ました。
絵も描けます。
工作系も出来ます。
弟のために買ってきたプラモデルやグライダーは父が製作します。
折り紙も得意でした。
おばあちゃんの入院に何度も千羽鶴を折ったのは父です。
タバコの空き箱で傘を作ったのは父です。
私が買ってきた2000ピースのモナリザのジグソーパズルを父が全部やってしまいました。
男なのにそれなりに料理も出来ました。
もっとも蕎麦とうどんの店をつぶしてラーメン屋をつぶした経歴がありますからね。
とにかく家族サービス好きなんですよ。
遊園地に行く。
動物園に行く。
外食をする。
浅草に行く。
夏休みは旅行に行く。
羽振りがいいと父はグルメになります。
母といえば生活のためにいつもパートで働いてました。
でも洋裁と簡単な和裁は出来るので、私のワンピースや浴衣などは作ってくれました。
料理も美味しかったな。
そりゃあ何かの素を使うこともあったけどね。

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母のこと

2025年02月12日 | 介護
母は病院を退院して18日からロングショートスティに行きます。
ところがその間に3月15日と16日と19日と20日は自宅で私が介護をしなければなりません。
私が自宅で母を看るのです。
初めての経験です。
そもそも母が自宅にいたときは、自分の部屋からトイレまでは行けました。
ところが母は全く歩けなくなりました。
オムツをあてがわれています。
ましてや自宅のベッドは介護用ではありません。
母が元気な時に買った安価なベッドです。
そこで私がどこまで介護が出来るか?
今日はしまむらに母の下着やパジャマ等を買いに行きました。
特養から病院に入院して、特養から籍を抜いて、特養にあったものは自宅に持ち帰りましたが、大部分のものを処分してしまいました。
改めて幾つか買いました。
足りなければまた買い足します。
すっかり痩せ細った母です。
以前は何でも太っていてLサイズでした。
ガリガリに痩せた母はSサイズかも?
とにかく前あきのシャツを3枚と七分丈のズボン下を2枚と靴下を3足とパジャマを1枚買いました。
あとは自宅にあるもので小さいものを探して見たいと思います。
ヨーカドーの介護用品売場では下着のシャツも高額でした。
あきらめてしまむらに行きました。
そもそも介護用品売場は何でも高額です。
そこへ行くとしまむらは安価ですね。
明日は役所などにも行ってあれこれ手続きしたいと思います。
それから近いうちにもう1つ別の特養も電話して話を聞いて申し込みをしたいと思います。

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予定よりも53年も長く生きています

2025年02月12日 | 介護
予定よりも53年も長く生きています。
その間に見なくてもいいものを見て、知らなくてもいいものを知りました。
全ては想定外です。
そもそも結婚したのも想定外でした。
まさか私と結婚したいと言う他人が現れたのです。
私は三十路を過ぎていたし、職場の隣のおばさんが30歳過ぎて結婚の話が来たら断らない方がいいと言われて、32歳でお見合いをした主人と結婚しました。
何しろ二度と結婚出来なくなるそうです。
ですからお見合いをした主人に最初は愛も何もありませんでした。
とにかく1度は結婚したいと…。
結婚したら子供が欲しいと思いました。
子育てがしたかったんです。
ところが結婚はしたけど全てが想定外でした。
そもそも子供はすぐにでも出来るのだと思っていました。
子供を持つことは結婚して6年目に諦めました。
4年間の不妊治療の末の決断でした。
知らない土地です。
知り合いもいません。
何とか友達を作らなければと、市の広報で見たやりたいものをあれこれ応募して参加しました。
ところが興味があって習った手話講習会の後に地元の手話サークルに入ることになりました。
その後もあれこれ応募して参加しましたが、どうも友達を作ると言うことは苦手のようです。
結局入っていた手話サークルも夜の活動になり、その後同居した母が女性の夜の外出を嫌がることと、代表に選ばれそうになりやめちゃいました。
絵手紙のサークルも嫌な他人がいてやめちゃいました。
書道も硬筆も初心者募集なのに、行ってみたら出来る他人ばかりでした。
途中でパートで働きに行ったら、職場が激務で堪えられなくなりやめちゃいました。
40歳過ぎて、友達が近所に立ち上げた小規模作業所の賄いのおばちゃんを週に3日してました。
午前中は賄いの仕事をして午後から作業に加わります。
その後は40代の終わりに更年期から別の病気になり、仕事を辞めて心療内科に通っています。
母との同居が原因の1つだったのかも?
とにかく最早想定外で生きています。
まさかの母との同居やましての介護や主人の度重なる病気入院なども予想していなかったことです。
今現在は間近に迫った母のことがあり、遠出の外出は無理になりました。
とにかく今は母優先です。
そして主人優先です。
皆さんご理解くださいね。
現在は家族優先です。

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