ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

何でも母に反対されて育ちました

2023年10月21日 | 日記
私はなんでも母に反対されて育った。
子供のころから大人になっても結婚してからもそうだった。
結婚して10年間は自由だと思っていたが、実は自由では無かったのだ。
私の留守に来る。
電話も掛けずに来る。
いないと庭の草むしりをして帰るそうです。
出かけるときには「どこへ行くの?」「何しに行くの?」「何時に帰るの?」これらは母の定番の言葉でした。
帰ってきたら帰ってきたで「楽しかったかい?」「食事は何を食べたの?」果ては会話の内容まで聞かれる始末です。
茨城県の笠間の焼き物が好きで何度か行って工芸の丘で陶芸の体験をしてきたら怒られました。
2度と行かないように言われました。
あれ以来言ってはいません。
栃木の益子も行くことは行きましたが、結局陶芸体験もせず、何も買わずに帰ってきました。
自宅の食器棚に食器が増えるのを嫌がりました。
一度引き出物のお返しでもらったものや粗品でもらったものを処分したら「食器が無いと…」
仕方なく壊れても悲しくない最低限の食器だけにしました。
連日同じ食器が並ぶ食卓になったのは言うまでもありません。
我が家は家が古いので食品庫がありません。
仕方なく茶棚にしまうのですが、それさえ嫌がりました。
非常食品に缶詰めにインスタント食品にカップ麺の類や調味料の類も茶棚です。
お菓子も茶棚です。
それも嫌がりました。
どこへしまえばいいのでしょう?
鍋も蒸し器もフライパンもいろいろ要らないそうです。
鍋は大小一つづつでいいようです。
フライパンも同じです。
蒸し器も一つです。
圧力鍋も喜びません。
私は圧力鍋は便利であるので使います。
フードプロセッサーやミキサーも嫌がります。
ホームベーカリーもありますが喜びませんね。
とにかく「昔はそんなもの無かったよ」が口癖でした。
作ったおかずに文句を言い、買ってきたものに文句を言います。
その母がせん妄がひどくなり入院しています。
病院から次はどこに行くのか?
特養に入るのか?老健に入るのか?
後どれくらい生きるのか?
こればかりは神のみぞ知るですね。


最新の画像もっと見る