パンドラの箱を開けるとちむがいた

書くスピード早いですが、誤字脱字多し。

21冊目

2006-06-11 01:04:12 | Weblog
○21「違法な経営はおやめなさい」久保利英明、2003、東洋経済新報社



感想:
人気弁護士の久保利さんの本です。ニッポン放送の社外取締役の方です。
最近の企業不祥事は、過去はリクルートの江副さんのように直接トップが
違法行為を行って辞任しましたが、最近は、末端社員のタレこみ情報で
社長の首が飛ぶので、コンプライアンスをしっかりしなくてはいけません
という内容でした。

少々、筆がすべっていましたが、具体例が挙げられており、楽しく読めました。
筆者は社内弁護士が必要と言っていますが、企業規模や業種にもよりますし、
そもそも、何の利益も生み出さない弁護士は、必要なときだけ依頼すれば十分です。
ソニーとかトヨタとかは海外にも進出していますし、エンドユーザーが一般顧客なので
常駐が必要かもしれません。

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20冊目

2006-06-08 22:50:35 | Weblog
○21「実力主義という幻想」前田良行、2000、時事通信社


感想:
筆者は横浜銀行からスイス銀行、ABNアムロ証券で働いた人で、ABNでは総支配人でした。
一貫して主張しているのは、
1.外資の中でも高級取りなのはごく一部で、あとはノンエリートの社員
2.外資の弱点は、ボスが変わると方針ががらっと変わり、雇用も安定しないこと
3.邦銀の行員は世界でも優秀で、経営者はダメ
最近ではよく知られていることですが、2000年にこれだけのことを書いたというのは
すごいと思います。

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中国人留学生

2006-06-08 00:57:07 | Weblog
思い出したことを。
中国に仕事で行ったときに、現地企業に優秀な通訳の人がいました。
彼はたまたま私と同じ年でしたが、日本語が非常に上手で「日本に留学にしてた?」
と日本語で聞いたところ、「まだ、日本には一度も行ったことがない。ぼくは中学から
日本語を勉強している。数年前に、日本に留学しようと思って申請を出したが、
年齢が高いという理由で(ビザが?)却下になった」と言った。

また、別の中国人に聞いたところ
「中国人は日本で差別されるから、アメリカの大学に留学する人が多い」という。

日本の某短大のように、外国人の受け入れ窓口になって、実態は何も機能していない
悪事例の背後に、まじめで意欲と野望をもった中国人を、みすみす外国に
取られているようなケースもたくさんあるのではないだろうか。

中国のTVでは、よく私立中学校のコマーシャルが流れており、英語やIT、日本語の
プログラムがあることをアピールしていた。せっかく日本に目を向けているのだから、
その人材を囲い込む必要があると思います。

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欽ちゃん球団

2006-06-06 23:30:03 | Weblog
「あれ、欽ちゃん久しぶりにスポットライト浴びてわ」
と思われた老若男女も多いに違いないムラカミさんの会見。
静・ムラカミは新聞でみたことありますが、
動・ムラカミは初めてTVでみたのでぼくも危うく騙されるところでした。

当然話している内容は、球団でもなく、欽ちゃんの芸人魂の話でもなく、
ファンドの話し、しかも「インサイダー取引やっちゃった」という自白会見。
インサイダーといえば聞こえもカッコイイし、知的犯罪みたいですが、
実態は「詐欺」です。

ぼくは、ムラカミさんが銭パワーを見せ付けるかのごとく、
ヤメ検とか裁判官出身とかの最強の弁護団を結成し、よく言えば法律を駆使して、
普通に言えば、詭弁とレトリックを駆使して戦ってくれると期待していたのに
残念です。

※金ちゃん→欽ちゃんの間違いでした。お詫びして訂正します。
※オチ検→ヤメ検の間違いでした。お詫びして訂正します。


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19冊目

2006-06-05 23:29:58 | Weblog
おまけ△19「簡単に断れない」土屋賢二、2004、文藝春秋

感想:
正直言って、土屋さんでなかったら、×を付けていました。
エッセイ集ですが、5話に1話くらいは面白いですが、あとはイマイチ。
ヒマなときに、何も考えないで読むには最適な本かも知れません。

さて、このブログを立ち上げるきっかけにもなった
商社マンの独り言  http://blog.goo.ne.jp/sublimenofx
さんのところで、お勧め本が出ています。商社マンさんとぼくは同い年で、
彼は商社にお勤めで、欧州を飛び回っていて、奥さんが中国人ミュージシャン(CDも出している)で
1年に150冊も本読んで、文章もイヤミがなくて、英語の本も日本の本と同じように読んで、
パンクロックもやっているという人で、同じ年でもここまで差が出るかーと毎回羨望の
まなざしで読んでいます。

この商社マンさんが激賞するのが「Never Let Me Go」Kazuo Ishiguro
洋書か…。アマゾンで調べると1600円くらいで売っている。迷う。非常に迷う。
一層5000円なら買わないと即決できたのに。1日1ページで200日ぐらいか。
しかも、もうすぐ翻訳本が売り出される予定もあるみたいだし。
今まで英語で小説など読んだことないし。





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新人さんに出会う

2006-06-04 22:15:32 | Weblog
車のエンジンオイルを交換しに行った。
交換が終わってオイルの交換チェックの時に、担当していた整備士が、
「バッテリーはいつごろ交換されました?」と聞いてきた。

2年前に買った中古車なので、「まあ、2年は交換してない」というと、レシート
みたいなのを持ってきて、「電圧が弱くなっていて、要交換となっています。
これから夏でクーラーをつけるとバッテリーがあがり易くなります」と言う。
態度は明らかに交換して欲しそうな態度だった。

バッテリーとクーラーの関係も知らないクルマ音痴だけど、なんだか、交換しないと
何時止まるかわからないような感じなのと、その担当者がまだ20歳くらいで胸に
初心者マークを付けていて、「整備学校を出たばかりで慣れていないけど、
一生懸命やってます」みたいな感じがして、「いきつけ」ではないこの店で交換する気になった。
2、3質問したけど、わからないことは、すぐに先輩に聞きに行って、
正確なことを伝えようとした態度も良かった。「まじめ」なのである。

振り返って自分も入社2、3年目は、夏に汗水たらして、お客さんのところに行って
お願いしたり、説得したり、必死になって営業をしていたことを思い出した。
当時はそれが当然だと思っていたが、先輩からは、「お前ら若いやつらの特権は若さ
という武器だ。まだ大学出たての若者が、必死になって売り込みに来たら、まあ、
買ってやるかという気になるものだ。商品を通して自分を売ることが営業なんだ。
僕らの年だと、若さは使えないからつらいよ」と言っていた。

当時はピンと来なかったが、今日の整備士の青年はそんな昔の自分を見ているような
気がして、あのときの先輩の気持ちが理解できた。と同時にあの先輩の年齢
(34歳くらい)に近づいてきているのだなと思った。

今は、営業ではないので、外に出る機会は全くないけど、営業は決して嫌いでは
なかっただけに懐かしく思った。でも今度は若さではなく、商品知識やスピードなど、
自分の売りも変わって来るだろうから、また必死になるだろうなと容易に想像できた。


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18冊目

2006-06-02 00:34:38 | Weblog
◎18「ツチヤ教授の哲学講義」土屋賢二、2005、岩波書店


感想:
日経の朝刊に、面白い文章を書いている人がいると思い、その関連本として
本書を手に取りましたが、いい意味で期待はずれでした。本書はお茶の水女子大学の
講義をそのままライブのような語り口で、1、2年の初学者にも分かりやすように
哲学を説明してあります。ただ、内容は硬派で、語り口も軽妙な語り口ではありません。
頻繁にでてくるH教授がだれか非常に気になりました。

哲学を全く知らない人は、本書が必ずしもスタンダードの考え方ではないので
注意が必要です(筆者が本書のなかで言っています)。
本書では、形而上学としてのプラトンの流れに対して
土屋さんがとる立場の言語哲学の代表、ウィトゲンシュタインが、最後に、
これまでの哲学を全否定する形で終わっています。

私は昔少しだけ哲学をかじったことがあります。ウィトゲンシュタインは
難解そうな感じがして、また変人であることから、名前ぐらいは知っているけど
深く知ろうと思いませんでした。
しかし、本書では、ウィトゲンシュタインの言語ゲームという考え方を知ることで、
これまで私が、形而上学(=イデア)的な哲学書を読んでいて、
疑問に思っていたことが解消されました。
(要は哲学は言語ゲームであり、そのすべてはナンセンスであるという考え)

哲学本を読むにあたり、いつも気になっていたのが言語です。
哲学でも、文学でも伝えるためには、言語や文字が必要ですが、
それが古代ギリシアから、中世から、同じ言語体であるわけがないのに、
なぜ同じように語られるのか不思議に思っていました。

言語体系はそのまま思考体系にも直結すると思うので、例えば、ドイツで哲学が発達
したのはドイツ語が西洋的分析哲学に合っていたからだろうし、
一方で日本の哲学(西田幾多郎とか)が西洋人に理解できるとは到底思えません。
言語を抜きにして、哲学は語れないですし、さらには、言語の発音と書き方の
関係まで分析しないと、哲学は語れないと思っていました。

そんなこんなで、全部哲学書を原典で読もうと思ったら、英語、仏語、独語、ラテン語
とか、さらにその言語の古典の読み方も勉強しなくてはだめだと思い、
「やーめた」とさっさとあきらめたのでした。

この本で、疑問に思ったのは、
①哲学は別に西洋哲学だけではなく、東洋もインド哲学もあるということが書いていない
②哲学が否定されたあとに、何が哲学として呼べるのかほとんど書いていない
 (筆者も模索中?)
③ウィトゲンシュタインの考え方を真に理解すれば判明するかもしれませんが、
 例えば、産まれたときから耳・目が不自由な人は、哲学を語れないのかという問題
について、疑問に思いました。

数年ぶりに哲学書でも読むかという気にさせてくれた大変良い本でした。



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