おはようございます、こんちゃんです😃
ワタシは津山市にある津山城(鶴山公園)入口にいます😊
森家4代、松平家9代にわたる藩主の居城であった津山城は、明治7、8年の取り壊しを経て城跡になった現在も、国指定の史跡として津山のまちを見守っているそうです😌
建物こそ残っていないそうですが、ほぼ全ての敷地が保存されている城跡は非常に貴重で、歴史的価値が大きいそうです😌
また、往時の姿をよくとどめた石垣が見事なものらしく、とても楽しみです😃
それでは始めましょう😊
第118回こんちゃんのお城めぐり「津山城跡」です😌
目の前に見えてきたのは三の丸の石垣のようです😃
確かに見事な石垣が立派に残っています😊
石垣の前には「史跡 津山城跡」の石碑と「忘れ去られた石」がありました😊
いい場所に建っている石碑ですねぇ😌
はっ😲
シュタッ🐾(石碑から忘れ去られた石に跳び移った足音😅)
この石、すごい矢穴跡が残っています❗
平成10年の台風10号通過後、津山市大谷の石山登山道近くの谷川で、津山城築城時に切り出されたと思われるこの石が見つかったそうです😌
石の重さは約2.3t、近くにある「津山城石切り場跡」にある矢穴と同じ大きさのものが石の上下に計9ヶ所残っているそうです😃
平成16年3月に谷川から引き上げられ、5月の津山城築城400年記念事業「津山歴史時代絵巻~築城大石曳き~」で市内中心部を約400m曳かれた後、津山城跡近くに届けられここに今あるみたいです😊
そうですか、そのような物語がこの石にはあったのですね😌
周りを見上げてみると
矢穴跡のある石垣が沢山見えています😃これらの石も同じ場所から運ばれていたのでしょうか😌
築城当時の様子が思い浮かびます😌
入口近くに森忠政公の銅像がありました😊
本能寺の変で非運の最期を遂げた森蘭丸の弟で、美濃金山城で生まれたそうです😌
天正12年(1584年)兄長可の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えて金山7万石を与えられたそうです😌
のち徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)信濃 川中島13万7千石、同8年美作国一円18万6500石を与えられ津山に入封、翌9年より津山城の築城に着手、また城下の町づくりを始め、現在の津山の基をなした人物なんだそうです😌
表門の冠木門手前にも立派な「史跡 津山城跡」の石碑がありました😊
大きくてトップに立てないのが残念です😌
表門を入った所にある曲輪です😊
2方向に石段がありました😊
まずは正面の石段を上がってゆきます😌
石段を上がり振り返ると、お城全体が見えてきました😲
石垣が何段にも積み重ねられているように見えます😃
津山城はこんなに立派な石垣が残っているお城だったのですね😊
知りませんでした😌
勉強不足ですみません💦
こちらは櫓台の石垣みたいです😊
玉櫓でしょうか😌
三の丸から本丸方面を見上げています😃
二の丸の石垣、本丸の石垣が見えています😊
ステキです😌
二の丸へは表中門から上がってゆくのですが、すごく幅の広い石段です😃
今は門は残っていませんが、さぞかし立派な門が建っていたのでしょうね😊
三の丸にあった津山城(鶴山公園)の看板の前で記念撮影しました😊
春には約千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人がお花見に訪れるそうですよ😌
ピースくん「いいねお花見🌸🍶✨
きっと屋台出るよね~😋」
ぺろちゃん「いいでしゅね~😋」
ピース氏もぺろ氏もお城めぐりに集中していただきたいものです😒
表中門右手の石垣は複雑ですねぇ😊
右手に上がってみましょう😌
見付櫓のあった場所からの眺めです😊
本丸に復元された「備中櫓」が見えました😌
辰巳櫓の石垣だと思います😊
この反りかっこいいですね😃
表中門から左に曲がって二の丸へゆきます😊
「備中櫓」がよく見えますね😃
本丸から南に張り出した石垣上に建てられた櫓であり、城下からの景観も含め、城内で天守に次ぐシンボル性の高い建造物であったと推定されているそうです😌
四足門がここにあったそうです😌
大手の二の丸の入口にあった門で、廃城後の明治7年に中山神社の神門として移築されたそうです😊
四足門を過ぎて二の丸に入るとUターンするように180度向きを変えて本丸を目指します😌
今は石垣だけですが、櫓や門、塀などで迷路のようであったでしょうね😅
お城めぐりはまだまだ続きますよ😃