こんにちはこんちゃんです😊
2023年最初のお城めぐりは井原市にある高越城址をお送りします😌
標高172.6mの高越山に築かれた山城なんだそうです😊
ここは北条早雲生誕の地なんですね😃
北条早雲とゆえば、ワタシのお城めぐり第1回の「小田原城」や第77回の「韮山城跡」第79回の「興国寺城跡」などゆかりのあるお城がたくさんありますね😊
その生誕の地がここ、岡山にあるなんて知りませんでした😌
是非めぐってみましょう😊
それでは第120回こんちゃんのお城めぐり「高越城址」を始めましょう😃
駐車場のあった場所から少し歩いてゆくと、市道平井尾部線から分かれて登ってゆく道がありました😊
冠門と北条早雲 生誕の地の幟です😌
舗装された道を登ってゆくと四の郭に着きました😊
舗装された道を登ってゆくと四の郭に着きました😊
四の郭は一の郭の南西に配置されているそうです😌
ここからは南に旧山陽道の国道486号線と小田川がよく見えました😊
ここからは南に旧山陽道の国道486号線と小田川がよく見えました😊
街道をバッチリ押さえてるんですね😌
さすがです😃
後ろを振り返ると一の郭が見えました😊
後ろを振り返ると一の郭が見えました😊
この感じ、韮山城跡をめぐった時に少し似ている気がしました😌
一の郭(早雲ひろば)です😊
一の郭(早雲ひろば)です😊
石碑が建つ土檀の一部に石組みが残っているらしいのですが、ちょっとはっきりとは見つけられませんでした😌
高越城は鎌倉時代末、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に命じて作らせたと伝えているそうです😌
戦国時代には京都伊勢氏の一族の備中伊勢氏が那須氏に代わって、荏原庄を治め、この高越城を居城にしていたそうです😌
「北條早雲生誕之地 高越城址」の大きな石碑が建ってました😊
「北條早雲生誕之地 高越城址」の大きな石碑が建ってました😊
後の北条早雲である伊勢新九郎盛時は備中伊勢氏の出身で、永享4年(1432年)父伊勢盛定の子としてこの地に生まれたそうです😌
「史蹟 高越城址」の石碑もありました😊
「戦国の名将 北条早雲生誕の地」の大きな幟です😃
その土台は北条家家紋「三つ鱗」になっていました😃
高越城址を整備した方々のセンスに感嘆です😌
四阿に高越城址顕彰会が、高越城址やゆかりの地の案内の資料を準備しておいてくれてるのもうれしかったです😃
一の郭から四の郭へ下りて、五の郭を見に行ってみましょう😌
五の郭から先は山を下りていってしまうようです😊
四の郭の下を通って一の郭下にある二の郭へゆきました😌
四阿に高越城址顕彰会が、高越城址やゆかりの地の案内の資料を準備しておいてくれてるのもうれしかったです😃
一の郭から四の郭へ下りて、五の郭を見に行ってみましょう😌
五の郭から先は山を下りていってしまうようです😊
四の郭の下を通って一の郭下にある二の郭へゆきました😌
一の郭の南東に配置された郭です😊
二の郭の下には帯郭のようなものが見えました😌
二の郭から一気に一の郭へ登る道がありました😊
二の郭の下には帯郭のようなものが見えました😌
二の郭から一気に一の郭へ登る道がありました😊
かなり急でびっくりしました😅
一の郭へ1度戻ってから、北西に配置された三の郭へ下りてゆく道をゆきました😊
そしてそのまま堀切に向かって下りていったのですが、これがまたすごい坂道で、地面が砂と枯れ葉で滑りまくりました💦
一の郭へ1度戻ってから、北西に配置された三の郭へ下りてゆく道をゆきました😊
そしてそのまま堀切に向かって下りていったのですが、これがまたすごい坂道で、地面が砂と枯れ葉で滑りまくりました💦
ワタシは大丈夫でしたが、他の方々は滑って転んで散々な目に合っていましたね😅
堀切にきました😊
ここで行きに歩いた舗装された道と合流しました😌
堀切にきました😊
ここで行きに歩いた舗装された道と合流しました😌
ここまでで高越城址のお城めぐりは終わりになります😊
高越城址をめぐった後、井原鉄道、早雲の里荏原駅の駅前へ移動してきました😊
高越城址をめぐった後、井原鉄道、早雲の里荏原駅の駅前へ移動してきました😊
ここに北条早雲戦国の魁 石像が建っていました😊
北条早雲はここ荏原庄から京都、伊勢、駿河へと移って行ったのですね😌
今回のお城めぐりは北条早雲の生誕の地を訪ね、北条五代の歴史の始まりを感じることが出来てとてもよかったです😊
今回のお城めぐりは北条早雲の生誕の地を訪ね、北条五代の歴史の始まりを感じることが出来てとてもよかったです😊
いつかまた、北条のお城を訪ねた時に思い出す事でしょう😌
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌