2019年2月26日(火)
おはようございます、こんちゃんです😊
徳島旅行3日目は、こんちゃんのお城めぐりから始まります😌
訪れたお城は、徳島中央公園にある徳島城跡です😃
下乗橋近くにあった案内板によると、
「徳島城は、天正13年(1585年)に阿波国(17万6千石)の領主となった蜂須賀家政(1558〜1638年)によって建設されました。
築城にあたっては、天下人豊臣秀吉の命により伊予の小早川隆景や土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶が協力しました。
徳島城は標高約61mの城山と、北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城でした。
徳島城の構造は、山上の本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸、南麓の御殿(一部は現徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城でした。」と説明がありました😊
現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなっているそうです😌
それでは始めましょう😊
こんちゃんのお城めぐり第146回「徳島城跡」です😃
写真は、「国史跡 徳島城跡」の立派な石碑で、鷲の門の前に建っていました😃
平成18年に国指定史跡に指定されたそうです😊
モビちゃんを北東にある駐車場に停めて、南東の鷲の門へ向かいました😊
見えてきたのは、堀川に架かる数寄屋橋です😌
徳島城の鬼門(北東)にあたる門が、旗櫓の下にあった数寄屋門だったそうです😊
不明門とも呼ばれ、凶事の際以外には開かれることのない門だったみたいです😌
その東側の数寄屋橋は、長さ12m、幅3.5mの太鼓橋だったそうで、現在は往時をしのばせる木製の橋が架けられていました😃
石垣と堀川です😊
徳島城の東を守るために設けられた人工の堀で、徳島城の内堀となっているそうです😌
助任川から導水しており、黒鯛(チヌ)、ボラ、ウナギ、エビなどの姿をみることができるそうです😊
内堀と石垣がよく残っていて、素晴らしいです😃
鷲の門に来ました😊
徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見附のこの門は、造りが脇戸付の薬医門で、幕府に鷲を飼うからと申し立て建造したことからその名があると伝えられているそうです😌
昭和20年の徳島大空襲によって焼失してしまったそうですが、平成元年に復元寄贈されたそうです😊
鷲の門を入った先に、下乗橋があります😊
御殿への正面出入口にあたり、この橋を渡ると枡形が設けられ石垣や門によって厳重に守られていたそうです😌
橋の名前は、橋の前で駕籠、馬などの乗り物から降りて歩いて渡ったことに由来しているみたいです😊
以前は木製の太鼓橋でしたが、1869年に花崗岩製となり、1908年現在のように水平の橋に改造されたそうです😌
下乗橋を渡ってゆくと、枡形の石垣が迫ってきます😃
ここに、櫓門などがあったのでしょうね😊
想像してみましょう😌
矢穴跡のある巨大な石もありました😃
カッコいいですねぇ😌
枡形の立派な石垣が残っていましたね😌
感動です😃
枡形を抜けると、徳島中央公園お花見広場です😊
お城だった時は表御殿が建っていた場所になります😌
その奥に、徳島市立徳島城博物館がありました😊
ぺろ氏が、スタンプを押しに行っていましたね😌
旅行で訪れていたので、ゆっくり見学することが出来ず、残念でした😞
その代わりとゆってはなんですが、隣にあった、「旧徳島城表御殿庭園」は見学してゆきましょう😊
国指定の名勝であるこの公園は、もと徳島藩主蜂須賀公の居間や表書院の庭として作られたみたいです😌
上田主水(宗箇)の作庭と伝えられる桃山様式の名園なんだそうです😊
枯山水庭と築山泉水庭の二庭からなり、廻遊式で園内の散策が楽しめるらしいですよ😃
「名勝 旧徳島城表御殿庭園」のパンフレットに見所が載っていたので、そちらを見学してきました😊
こちらは、南側に位置した枯山水庭園です😊
「枯池に架かる自然石の橋」が奥に見えます😊
初代藩主蜂須賀至鎮公(義伝公)踏割の伝説のある長さ10.5m、重さ約13㌧の自然石橋(緑泥片岩)なんだそうです😃
義伝の踏割石、地団駄橋といわれているらしいです😌
とてもきれいな色の石で、その大きさに圧倒されました😲
「枯山水庭園の切石橋」です😊
御影石(花崗岩)を加工した、長さ6mの豪華な切石橋が架かっていました😌
桃山様式の庭園であったため、橋が多用されているそうです😊
「東部築山の陰陽石」です😊
子孫の繁栄を祈る祈願石で、この巨石は、また髑髏にも見立てられ、穴の内側に耳を寄せると、地獄の釜のたぎる音が聞こえるともいわれているそうです😅
「花崗岩のくりぬき井戸」です😌
旧藩時代の井戸なんだそうです😊
下部は緑泥片岩積みとなっていて、当時いかにして水を吸い上げたかは不明らしいです😌
「観音堂跡」です😊
藩主がくらした御殿の「鬼門」(東北)にあたるため観音堂を設け、観音を祀ったとされているそうです😌
「御祠堂跡」です😊
儒教方式の藩主墓所「万年山」(徳島市佐古山町)と連動し、安永9年(1780年)に設けられた先祖の祀堂があった場所みたいです😌
「心字池」です😊
草書体の心という字形に作られているそうです😌
水は自然湧出水で大体足りていましたが、地下樋道(現在は不通)により内堀と連結し、潮の干満とともに水位が変わるので藩主は居間に居ながらにして潮の満ちひきがわかったそうです😲
お殿様ってすごいですねぇ😅
「御影石をくり抜いた井戸」です😊
飲み水等の確保のため、城内にはいくつもの井戸が掘られたみたいです😌
こちらは他国産(阿波国外)の御影石をくり抜いて作った豪華な井筒なんだそうですよ😃
次は、本丸のある
標高約61mの城山を登ります😊