おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

岡山城・1(2023年1月)

2023年01月30日 | こんちゃんのお城めぐり
おはようございます、こんちゃんです😊
ワタシは岡山市を流れる旭川沿いの道を歩いています😌
奥に見えているのが岡山城天守閣です😊
岡山城は何度か来ていますが、何故かいつもお天気の悪い時に当たってしまっていました😅
ですので今回は万全を期して、晴天の日の朝にやってきました😊
こんちゃんのお城めぐりは、2019年12月に訪れた時に、第44回「岡山城」をやっていますね😌
なので今回は番外編でお送りします😊
お城めぐりは何度しても新しい発見があるものですからね😌
それでは、こんちゃんのお城めぐり「岡山城」を始めましょう😃

さっそく新たな発見です😊
現在の岡山城内堀の西側に、「宇喜多氏築城以前 岡山城本丸址」の石碑がありました😌
今の岡山城付近には旭川の流域に岡山、石山、天神山という3つの丘があったそうです😊
その石山にあった城を手に入れて本拠地としたのが、宇喜多直家だったそうです😌
元々はここがお城の本丸だったのですね😊
今回初めて知りました😃
石山にあったのですからお城の名称も石山城とゆったのでしょうか?😌

本丸の南西側に来ました😊
内堀と石垣がすてきです😌

今回は目安橋から入ってゆきます😊
ここから本丸に入るのは、ワタシは初めてです😌
チラリ😒
(ピースくん「きゃぁ~こんちゃんに睨まれたぁ~💦聞こえないふりしとこ😓」)

目安橋を渡った所に「烏城公園」の大きな石碑が建っていました😊

内下馬門付近の石垣は巨石だらけで、素晴らしいですね😃
最大で高さ4.1m、幅3.4mで厚みのない板石を立てたものなんだそうです😊
発掘調査により池田家が城主になった頃に築かれたと考えられているそうです😌

内下馬門跡を過ぎると下の段です😊
目の前には中の段の石垣が現れました😃

中の段の石垣から本段の石垣まで見ることが出来ます😃
上に見えているのは不明門です😊
本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門なんだそうです😌
門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されたそうです😊

ここから中の段に上がります😊
石段をそのまま残し、新しく上りやすい階段を設置しているのは良いアイデアですね😌

石段を上った所は鉄門跡です😊
下の段の南側から中の段の表書院(政治の場)へ通じる櫓門だったそうです😌
現在は石垣だけ残っていて、Uターンする感じで不明門があります😊

中の段にある大納戸櫓跡です😊
本丸の大手を守る要となる、三重四階建ての城内最大の櫓だったそうです😌
宇喜多直家の整備した亀山城(沼城)から移築したとの伝承もあるそうです😊

不明門をくぐって本段にゆきましょう😊
本段には藩主が暮らす御殿があり、限られた人しか入れなかったので、普段門は閉ざされていたことから不明門と呼ばれていたようです😌
江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われたそうです😌 

本段にきました😊
1番奥に天守閣が見えます😃
右手にあるのは六十一雁木上門です😊
城の裏手に通じる門みたいです😌 

六十一雁木上門の前に並んでいるのは、天守の礎石です😊
焼失前の天守の柱を支えていた礎石はここに移され、元どおりに並んでいるそうです😌
昭和の再建時にこのような残し方をしていたなんて、感動しました😃

天守は昭和20年(1945年)6月に戦災で焼失し、昭和41年(1966年)に元の位置に再建されたそうです😌
明治大正と現存していた天守が焼失してしまったのはとても残念です😢

岡山城天守閣は昭和の再建、平成の改修、そして2022年11月3日、令和の大改修が完了したばかりなんです😃
青空に映えてピカピカしています😌

展示監修は岡山ゆかりの磯田先生です😊
とっても楽しみです😃

次へ続きます😌

福石PA(下)のスタンプ(2023年1月)

2023年01月29日 | ぺろちゃんのスタンプだいすき
ぺろちゃんでしゅ😊
備前市からの帰りも山陽自動車道に乗って帰りまちたよ~😃
それも備前市にある福石パーキングエリア下りに寄るために、1度県境を越えて兵庫県の赤穂インターチェンジから乗ってきまちた~😊
てへっ😜

スタンプありまちたよ~😊

ペタコ~ン❗❗

備前焼でしゅ😌
有名でしゅね~😊

ハイウェイ記念スタンプ用紙もきれいにペタコンできまちた😊


三石城跡・2(2023年1月)

2023年01月29日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんが三石城跡からお送りします😊
三の丸跡から二の丸跡へきました😌

二の丸跡の1段上に本丸跡があります😌
行きましょう😃

本丸跡の立札がたっていました😊

三石城址保存会の看板です😌

復元図もありました😌

本丸跡にも土塁跡のような土の盛り上がった場所がありましたね😊

二の丸跡とは反対の方向へ下りてゆく道があります😊
こちらへゆくと、堀切と鴬丸跡とゆう出丸があるそうです😌
行きましょう😃
ワタシに付いてきて下さい❗タッタッタッ🐾

急な坂を下りてゆくと堀切がありました😊
見事に尾根筋が切られてました😃

そして反対側の鴬丸跡へきました😊

ここから北へは遊歩道が整備され、林道終点の駐車場があるそうです😌
ワタシ達は元の登山口へ戻りますので、ここでUターンします😊

鴬丸跡と本丸跡の間にある堀切は道にもなっていました😌
「間道(谷底道)」の立札がありました😊
今度はこちらを歩いてゆきます😌

少しゆくと「大手門はここから左に少し登って下さい」と案内されてました😌
この看板がなかったら、谷底道をさらに行ってしまっていたことでしょう😅

道案内にしたがってゆくと石垣が見えてきましたよ😃
ワタシ達は出丸の鴬丸跡から来たので裏側から着いてしまいました😌

表側はこちらです😃
大手門跡です😊
よく残っていますねぇ😌

大手門跡を入ってまっすぐゆく道はワタシ達が来た堀切へ続く道ですが、右へゆくと馬場跡があるようです😊
行ってみましょう😃

馬場跡です😊
ここの左側1段上が三の丸跡になるみたいです😌
これで1周しましたね😊

馬場跡から三の丸跡へ上がり同じ道で帰るのもなんですので、ここはせっかくですから大手門を出て帰りたいと思います😌

大手門跡から第一見張所と本丸跡への近道の分岐点まで戻り、来た道を下山してゆきました😌
途中、千貫井戸へも行ってみようとしたのですが、道が滑りやすくて不安に思ったので引き返してきました😅
お城めぐりは安全第一ですからね😌

そして無事登山口まで戻りました😊
以上で今回のお城めぐりは終わります😌
三石城は享禄4年(1531年)に廃城になったそうですが遺構の残りもよかったですね😊
三石城の栞には、「廃城となった後も織田氏・宇喜多氏によって城番が置かれた可能性が高い」とありましたが、石垣の遺構等をみると、そうだったのかもと思いました😌
色々思いめぐらす事のできるお城めぐりでしたね😌
とても楽しかったです😊
以上こんちゃんでした😊

三石城跡・1(2023年1月)

2023年01月29日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
ワタシは備前市にある山陽本線三石駅近くの西国街道へ来ています😌
西国街道沿いに今回お城めぐりをする「岡山県指定史蹟 三石城址登山口」の看板を見つけました😊
ここから登ってゆくのですね😌
それでは始めましょう😃
第121回こんちゃんのお城めぐりは「三石城跡」です😊

看板があった場所の路地を入っていき、民家の横の階段を上がってゆきます😊
通っていいのかしらと思うくらいなんですが、三石城址案内図の大きな看板が掲げられているので大丈夫みたいです😌
案内図近くには地元の方による「三石城の栞」が用意されていたので頂いてきました😊
三石城のことがよくわかってとても参考になりました😌

階段を上りきるとすぐ山道に入りました😊
三石城登山口の看板があります😌
三石城跡は標高291mの天王山山頂に構築された中世の山城跡なんだそうですね😌
鎌倉末期の元弘3年(1333年)に、地頭の伊東大和二郎が築いたとされているそうです😌

山道を登ってゆきます😊
道は整備されているので安心です😌

5分ほど上ってゆくと、第二見張所に着きました😊

「岡山県指定史跡 三石城跡」の石碑が建っていました😃
まるで頂上に着いたようです😌

ここから街道を見張っていたのでしょうか😌

山城のある頂上はまだまだ先ですよ❗
急坂ですけど頑張りましょう😃
ではワタシに付いてきて下さい❗シュタッ、タッタッタッ🐾

第二見張所から約10分登って行った道の途中に「息つぎ井戸」とゆう看板がありました😊
昔の人もここで一息ついたのでしょうか😌

息つぎ井戸からさらに10分位で第一見張所と本丸跡への近道の分岐点に着きました😊
まずは左の第一見張所へ行ってみます😃

分岐点から少し下る感じで、第一見張所がありました😊

先程の第二見張所より高い所から見張ることが出来たのですね😊

振り返ると山頂が見えました😌
あと少しです😊

分岐点まで戻ってきて先へゆきます😊
ワタシ達は本丸跡への近道を選んで登ってゆきました😌

少し登ると何か見えてきましたよ😃

突然石垣が現れました😊
これは麓で貰った三石城の栞の概要の中にあった「三の丸の先端下に矢倉台がある」と書かれていたものではないでしょうか😌

矢倉台の脇を抜けて曲輪に着いたみたいです😊
ワタシの立っている場所は土塁跡みたいに見えました😌
ここが三の丸跡だったようです😊

それでは今度は二の丸跡へ向かいましょう😃
ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾

次回へ続きます😌