おはようございます、こんちゃんです😊
ワタシは岡山市を流れる旭川沿いの道を歩いています😌
奥に見えているのが岡山城天守閣です😊
岡山城は何度か来ていますが、何故かいつもお天気の悪い時に当たってしまっていました😅
ですので今回は万全を期して、晴天の日の朝にやってきました😊
こんちゃんのお城めぐりは、2019年12月に訪れた時に、第44回「岡山城」をやっていますね😌
なので今回は番外編でお送りします😊
お城めぐりは何度しても新しい発見があるものですからね😌
それでは、こんちゃんのお城めぐり「岡山城」を始めましょう😃

さっそく新たな発見です😊
現在の岡山城内堀の西側に、「宇喜多氏築城以前 岡山城本丸址」の石碑がありました😌
今の岡山城付近には旭川の流域に岡山、石山、天神山という3つの丘があったそうです😊
その石山にあった城を手に入れて本拠地としたのが、宇喜多直家だったそうです😌
元々はここがお城の本丸だったのですね😊
今回初めて知りました😃
石山にあったのですからお城の名称も石山城とゆったのでしょうか?😌

本丸の南西側に来ました😊

本丸の南西側に来ました😊
内堀と石垣がすてきです😌

今回は目安橋から入ってゆきます😊

今回は目安橋から入ってゆきます😊
ここから本丸に入るのは、ワタシは初めてです😌
チラリ😒
(ピースくん「きゃぁ~こんちゃんに睨まれたぁ~💦聞こえないふりしとこ😓」)

目安橋を渡った所に「烏城公園」の大きな石碑が建っていました😊

内下馬門付近の石垣は巨石だらけで、素晴らしいですね😃

目安橋を渡った所に「烏城公園」の大きな石碑が建っていました😊

内下馬門付近の石垣は巨石だらけで、素晴らしいですね😃
最大で高さ4.1m、幅3.4mで厚みのない板石を立てたものなんだそうです😊
発掘調査により池田家が城主になった頃に築かれたと考えられているそうです😌

内下馬門跡を過ぎると下の段です😊

内下馬門跡を過ぎると下の段です😊
目の前には中の段の石垣が現れました😃

中の段の石垣から本段の石垣まで見ることが出来ます😃
上に見えているのは不明門です😊
本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門なんだそうです😌
門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されたそうです😊

ここから中の段に上がります😊
石段をそのまま残し、新しく上りやすい階段を設置しているのは良いアイデアですね😌

石段を上った所は鉄門跡です😊

石段を上った所は鉄門跡です😊
下の段の南側から中の段の表書院(政治の場)へ通じる櫓門だったそうです😌
現在は石垣だけ残っていて、Uターンする感じで不明門があります😊

中の段にある大納戸櫓跡です😊
本丸の大手を守る要となる、三重四階建ての城内最大の櫓だったそうです😌
宇喜多直家の整備した亀山城(沼城)から移築したとの伝承もあるそうです😊

不明門をくぐって本段にゆきましょう😊
本段には藩主が暮らす御殿があり、限られた人しか入れなかったので、普段門は閉ざされていたことから不明門と呼ばれていたようです😌
江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われたそうです😌

本段にきました😊
1番奥に天守閣が見えます😃
右手にあるのは六十一雁木上門です😊
城の裏手に通じる門みたいです😌

六十一雁木上門の前に並んでいるのは、天守の礎石です😊
焼失前の天守の柱を支えていた礎石はここに移され、元どおりに並んでいるそうです😌
昭和の再建時にこのような残し方をしていたなんて、感動しました😃

天守は昭和20年(1945年)6月に戦災で焼失し、昭和41年(1966年)に元の位置に再建されたそうです😌
明治大正と現存していた天守が焼失してしまったのはとても残念です😢

岡山城天守閣は昭和の再建、平成の改修、そして2022年11月3日、令和の大改修が完了したばかりなんです😃

岡山城天守閣は昭和の再建、平成の改修、そして2022年11月3日、令和の大改修が完了したばかりなんです😃
青空に映えてピカピカしています😌

展示監修は岡山ゆかりの磯田先生です😊

展示監修は岡山ゆかりの磯田先生です😊
とっても楽しみです😃

次へ続きます😌

次へ続きます😌