ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

「赤い実」7  手作りのムルギムチ

2025-03-12 23:05:01 | 学び・韓国語
「赤い実」7です。

年が明け、私の髪はベリーショートから肩までのセミロングになり、ハーモニカぐらいだった父の背丈は、バイオリンぐらいに伸びた。その頃になると、私は木になった父との暮らしにすっかり慣れ、父もやはり、木として生きることに馴染んできた。もちろん、私たちはたまに口喧嘩をすることもあり、いっそのことバッサリ切ってしまおうかと思うこともあったけれど、普段は仲良く過ごしていた。
 体が大きくなってくると、父はベランダだけで過ごすことに飽きるようになった。初めのうちは、ベランダの窓{韓国のマンションは室内にベランダが付いている構造になっている}を開け、風に当ててあげたり、景色が見られるようにしてあげると、カササギやハトを見たり、防虫網にひっついた蛾を見たりして喜んでいたが、それもすぐ飽きるようになった。そうこうしている内、日差しのまばゆいある春の日、ついに死にそうな声で、「ユジン、出よう、出たい!」、というので、鉢から抜いてくれという意味かと聞くと、「そうじゃない、ただ外出したいだけなんだ」という。「よいしょ」と、鉢を抱えて持ち上げてみると、思ったほど重くはなかったが、かといって、ひょいひょいと抱いて歩けるほどの重さでもないので、「父さん、重過ぎる。無理よ」と言って下ろすと、父はがっかりして葉っぱをだらりと垂らした。

そのまましばらく何も言わないので、掃除機をかけてしまおうと部屋に戻り、ついでに洗濯もした。ベランダで洗濯物をパッパッとはたいて干していると、急に父が話しはじめた。「昔のことだがなぁ、覚えてるか? 五歳のとき、溺れていたおまえは自分だけ生きようと だな、あの小さな体で、俺の頭を水に……」

おいしくできたムルギムチ
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「赤い実」6

2025-03-05 20:54:23 | 韓国文学 読書
「赤い実」翻訳つづき、中盤です。 


私はフランス語の小説や雑文の翻訳をする、言わばフリーランスなので、いつも家で仕事をしていたのだが、それすらたまにしかなく、まったく何もしないで過ごす日も多かった。最近翻訳しているのは、ある無名作家の「りんご」という小説で、自分をりんごだと信じている、あるフランス人女性が主人公の話だ。その女は、物心ついた頃から自分をりんごだと思っていたため、歩く代わりに転がって移動し、化粧する代わりに皮膚に艶を出し、ひたすらきれいな水だけを口にして生きていた。ある日、その女は、街で搾りたての果物ジュースを売っている屋台を見て、その恐ろしい光景に気絶してしまうのだが、意識が戻ったとき、転んだ衝撃で半分にぱっくり割れた状態で病院のベッドを二つ使って横たわっている自分を目にする。子房と種をあらわにした自分の姿に羞恥心を覚えたのも束の間、女はたちまち極度の精神的混乱に陥る。体が割れた瞬間に、魂も二つに裂かれた気がして、自分の意図や意識、意思がいったいどっちの側にあるのか、自分でも分からなくなってしまったのだった。手厚い治療の甲斐もなく、女はだんだん腐っていき、仕舞いには病院のベッドで命を終える。臨終の瞬間、医師に向かって何かをつぶやいたが、医師がまったく理解できず聞き返しているとき、女は息絶えてしまう。女の最後の言葉はカルテに、適当に並べたアルファベットで処理されているのだが、医師は、あれはたぶんりんごの言葉だったのだろうと思い、悲しむ――。ここまで翻訳し終えて、あり得ない、りんごの言葉だなんて、と苦笑するしかなかった。父は木になってからも、窓を開けろ、コーラを買ってこい、などと、人間の言葉を達者に喋っているのに……。

とにかく私は、こんなでたらめな話を、休憩を入れながら翻訳し、たまに気が向いたときは集中して働いた。私が仕事をしている間の父は、というと、洗濯機の上でひたすら日光浴をし、日当たりが悪くなると、「やぁ、ユジン、ソ ユジン!」と大声で呼ぶ。私はフランス語の辞書を伏せてベランダに出、父を日の当たるところに動かす。すると父は静かになり、私はまた仕事に戻る。
もう父を看病しなくてもよくなって時間の増えた私は、仕事も速くなり、前より少し多めの収入を得られるようになった。翻訳の報酬を受け取るたびに、ワンピースを一着買ったり、牛カルビを買ってきて熟成させたりした。なので、父に知らん振りするのも心苦しくて植木用の黄色い活力剤を買ってきて挿してあげると、父は「これを飲むと若返った気がするんだ」と、喜んだ。父の若かりし頃というのは、赤ん坊のときのことなのか、種のときのことなのかと、私も二つに割れそうなほど頭がこんがらがるので、考えないことにした。私と父は、こんな感じでしばらく平穏に過ごした。

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「赤い実」5   梅の花がやっと

2025-02-28 21:56:39 | 翻訳
父はその後もぐんぐん育ち、二度も大きい鉢に植え替えなければならなかった。水もコップ一杯では足りないくらいたくさん飲んだ。育つほどに葉が生い茂り、茎も太くなり、今はもう、立派な一本の木になった。小枝や枯れた葉を取り除くと見栄え良くなるのに、話を切り出すだけで悲鳴を上げ大げさに怖がるので、仕方なくぼうぼうになるまで放っておくしかなかった。初めからこうなると分かっていたら、もう少し小さくてかわいい苗木を買えばよかったと、ときどき後悔することもあったが、何はともあれ、父はだいたいご機嫌で、水と光さえあればいいので、生前の父よりはうんと扱いやすかった。
それでも父は父なので、時折変なことをするのは以前と変わりなかった。いったいどのように見ているのか、それとも聞いているだけなのかは分からないが、とにかくテレビの前に連れていってくれと言っては、「韓国グルメ旅行」という番組を、一日中見ているとか、どうも根っこに虫がいるようだから一度抜いて確認してくれ、と言ったこともある。爪の間に土が入るのが嫌で、あとで、と言うと、まだ覚えているのか、あのときのプールでの事件を、また吹っ掛ける。「昔だな、俺が人間だったときに、だな。おまえが、プールで水玉模様の水泳帽を被って……」「もう分かった、分かったから。」結局ビニール手袋をはめ、父を鉢からぽこっと引き抜き、根っこに目を通すのだが、もちろんそこには何もなかった。


春告げ花と言われる梅の花、今年はこの寒さでどこも一カ月近く遅いそうですね。最低気温6~9度が一カ月ほど続いた当地。わが家の梅もやっとほころびはじめました。
4年前の写真と比べると違いが歴然です。

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翻訳小説「赤い実」4  

2025-02-21 22:21:19 | 韓国文学 読書
「赤い実」連載4回目です。これで三分の一弱です。

 すでに父はこの世の人ではないが、流し台の上にぽつねんと置かれた骨壷を見るたびに、あのときと同じ気分になる。けれど、生前の父とは違って無視してしまえばそれまでなので、さほど気にはならなかった。でもって、いつか良(ヤン)才(ジェ)洞(ドン)に用事で行くついでに花き市場に寄ればいいやと思いながら、骨壷をベランダに移したものの、すぐさまそのことを忘れた。なのに、なぜかあくる日になると、まるで予定でもしていたかのように、朝食のあと軽く化粧までして才洞行きのバスに乗り、少し居眠りしたあと、(あっ、してやられた)と、気づいた。

 結局その日は、園芸用の土一袋と 貧弱な細い苗木を一本買って帰ったのだが、土はともかくこの木といったら、分厚い葉っぱが何枚かポツポツとついているだけで、見るほどにみすぼらしかった。花き市場の立派な店の中をしきりに覗いていたとき、太った店主のおじさんが出てきて、何を探しているのかと聞くので、父の遺骨に植える木を探しているとは言えずに口ごもると、おじさんが、じゃ、これは、と、プラスチックの鉢に植えられた、よろよろした木を勧めるのだった。名前は聞いたがすぐ忘れてしまい、言われるまま五千ウォンを渡して店を出ると、それで用は足りた。
 家に帰り、リビングに新聞紙を敷き、骨壷を取ってきた。中身を新聞紙の上に空け、熱したキリで壷の底に水はけ用の穴を開けた後、土と混ぜて壺に戻すことにした。父の遺骨はほんのわずかで、さほどきれいな灰になっていなく、ところどころに爪ほどの丸みを帯びた骨の一部が混じっていた。怖くて触りたくない反面、一度指先で転がしてみたくもあり、結局、後者の気持ちが勝ち、その中でいちばん大きい欠片(かけら)をつまみ上げて転がしたあと、透かして見たり、この骨は父さんのどこだったのだろうかと考えてみたりした。そうこうしているうち夕方になってしまい、やっと土と骨を混ぜ、今では植木鉢と呼ばれている、元は骨壷だったその器に木を植えなおした。そして、植物を初めて植えたあと誰もがするように、水をたっぷり与えた後、ベランダにもたれかかって、鉢の底からすーっと流れ出る黒い水を見つめた。
 お湯で手を洗い終えると急に疲れを覚え、その日はいつもより早く寝たのだが、あくる日にはすっかり鉢のことを忘れてしまい、その後一度も覗いてみなかった。その間にも、最初みすぼらしかった木は、勝手にすくすく育ち、梢にはツヤツヤした薄緑色の若葉が芽吹き、茎も太くなっていった。ある日、私がリビングに座って洗濯物を畳んでいるとき、急にベランダから父の声がした。
「水!」
私は、ドキッとしてしばらくぼーっとしていたが、「何よ、これって、生きているときと同じじゃない!」と、ぶつくさ言いながら、コップに水を半分汲んで鉢に注いだ。すると父は、満足げに、ゆっくり上下に葉っぱを揺らしながら水を飲んだ。
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「赤い実」3  作家紹介

2025-02-15 21:29:35 | 韓国文学 読書
簡単な作者紹介
イユリさん
2020年、30歳のとき、「パルガン ヨルメ(赤い実)」が「京郷新聞」の新春文芸に当選し、作家デビュー。
ファンタジーな小説が持ち味。

韓国の小説、特にこの小説はひとつの段落が長いのですが、翻訳者は勝手に段落を変えてはいけないそうなので、その点、ご了承ください。

「赤い実」つづき

 ところで、父も決して与(くみ)し易い人ではないので、私がヒステリーを起こすたびに突き出す、いわば秘蔵のカードを持っていて、事あるごとにうまく使った。あれは、私が五歳のとき、父が私をプールに連れていってくれた、ある夏の日のことだった。私は膝まで浸かる小児用プールで、父は大人用プールでそれぞれ泳いでいたのだが、小児用プールにすぐ飽きてしまった私は大人のプールに行き、足を滑らせ溺れてしまった。平日の午前のプールには、私と父しかいなかった。

 私は、三十歳を過ぎた今も、あの瞬間のすべてを記憶している。天井にはめこまれた四角いガラスの縁が、全て乾いた土埃にまみれていたこととか、塩素の臭う水が体中の細胞から入り込み、血管を服従させて私を支配しようとする感覚とか、いつもの床を踏む感覚を求めて全神経を集中し、下へ下へとあてどなく伸ばした足の感覚……。それらすべてを、鮮明に覚えている。そのうえ、あの日のことを思い浮かべるとき、私は、水に溺れている当事者でありながらもプールの天井から見下ろす観察者の視線で、もがき苦しむ自分の姿を眺めることも出来るが、それはそれなりに、やはり鮮明だ。赤い水玉模様のスイムキャップを被った、ぶさいくな女の子がゆっくり溺死していく過程を、スノーボールを覗き込むように、はっきり見ることができるのだ。

 ところがその日のことで、たった一つ覚えていないことがある。ほかでもない、父が私を救う場面だ。それは父のみぞ知る唯一のことなのだが、溺れている私を見るやいなや泳いできて救ってくれたという。父の秘蔵のカードとは、まさにそのことだった。父は、私がイライラしたり頼みを聞いてあげなかったりしたときに、毎度この日の話を切り出した。娘の柔らかい身体が自分の首にぎゅうぎゅうしがみついてきたことや、息をするために必死に父の頭をぐいぐい押さえ込んだ、とかという話をしながら、必ず最後に、あのとき俺がいなかったらおまえは溺死していただろうなと、仰々しく話すのだった。もちろん私も、一方的にやられてばかりはいられないので、父親として娘を助けたことが、そんなに自慢することなのか、と言い返すのだが、不思議とそれ以上は何も言えなくなり、身体が重くなるのだ。結局は、ココナッツウォーターとやらを買いに夜中にコンビニに行ったり、製造元に電話をかけ、扇風機の羽はなぜ左にしか回らないのかと尋ねたりした。


我が家のネコと保護している仔猫たちです。









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韓国の小説「赤い実」2

2025-02-11 15:21:27 | 韓国文学 読書

翻訳作品を読んでいただき、ありがとうございます。
パソコンに眠っていた自作の翻訳が読めていただけるようになり、
とってもうれしいです。
物語をお楽しみくださいね。



骨壷を見つけたのは、それから季節が二度も変わったあとのことだった。食器棚の奥の方にしまっていたそれを、はったい粉と勘違いしてスプーンに山盛りすくい、クンクン匂いまで嗅いだのだ。もともと保存食を入れるための普通の食器棚なのだが、いったい、なぜそこに入っていたのかは分からなかったけれど、食べなくてよかった、とほっとして蓋をしたあと、流し台の上に置いておいた。ところがそこは場所が良くなかった。というのも、ガスレンジの換気扇の下に立ってタバコを吸うたびに、その骨壷が目に障ったからだ。ゆったりとしたある朝、たばこを吸いながらじっくり見ているうちに、磁器だと思っていたその壷が、本当は加工されたプラスチックだったことに気づいた。同時に、なぜか、とんでもなかった父の頼みが思い出され、だったら叶えてあげようか、難しいことでもあるまいし、と思った。
生前、父は荒唐無形なことをたびたび言う人だったが、病気になってからは時に、ただ私を苦しめるためにわざと言っているに違いない、と思えるほど、一層ひどくなっていった。
急にアシハラガニの炒め物が食べたいと、私を西海岸まで行って来させたり、「朝(アチ)の(ム)広場(マダン)」にどうしてイ グミアナウンサーが出ていないのだ。KBS に行って聞いてこい、と言ったりした。また、テレビで、旧日本式の建物をそのまま真似て作った居酒屋を見たときは、こっそり夜中に火をつけてこいと言ったこともあった。私が捕まったら、誰が父さんの面倒を見るの? ひとりでトイレにも行けないのに、とつっけんどんに口答えすると、父はくるりと背を向けて寝たまま、半日近くひと言もしゃべらず、夕方になってやっと、ところでだな、パプリカのことだが、赤いのと黄色いのとでは、何が違うのかと訊いてきた。私は皿を洗う手を止め、洗剤のついた手でスマホ検索をして教えてあげた。赤は骨粗鬆症に、黄色は高血圧に良いということを。
もちろん私も毎日いい顔ばかりはできず、時には癇癪を起こすこともあった。ある日、金魚を十匹だけ買ってこい、と布団の下からしわくちゃに折った二万ウォンを取り出して握らせるので、文句を言いたくもなく、黙って二千ウォンで金魚を十匹飼ってきたことがあった。すると、それを抱えて洗面所に連れて行ってくれと言い、そのあといつまで経っても出てこない。何をしているのだろうとそっと入ってみると、バスタブに水を溜めて金魚を放ち、一匹ずつ手のひらに載せては、なでたりいじったりしながら覗き込んでいるではないか。「父さん、何してるの。おかしいんじゃない!」 カッとなって声を上げると、父は素気無く振り向いて言った。「魚は人の手が触れると火傷するというが、本当か、気になって試してるんだ」。私は手洗い場に立ちつくし、もう一度叫んだ。「ほんとに、いろいろやらかすね。まったく!」 


おまけ
畑でできた、小さな、小さな大根です。



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以前、私が訳した韓国の短編小説です

2025-02-08 20:30:55 | 韓国文学 読書
ここ数年続けてきたコンクールの応募
何度も何度も諦めずに良くも続けてきたものだとわれながら感心します。
その間、表現を学ぶため意識的に読書もしました。
挑戦を止めて一年経ちました。
今読んでみると、未熟だったところもよくわかります。
深刻な内容の小説が多かったですが、その中で、ユーモアのある小説を載せようと思います。長いので
どこまでできるかわかりませんが、今日はほんのさわりだけを。

赤い実

 父は生前、自分を火葬したあとは遺骨で植木鉢を作ってくれと言っていた。それは本当に、とんでもない話だった。とはいえ、父は普段からその類の、愚にもつかないことをたびたび言う人だったので、私はついうっかり、そうするね、と答えてしまい、あれ、これっておかしい、と気づいたときは、すでに骨壷を膝に載せて家に向かうバスの中だった。

バスには斎場の前の停留所で一緒に乗ってきた人が何人かいたのだが、皆、泣いたあとか、泣いているか、今にも泣きそうな人
たちだった。それに比べると私は、弁当の入ったカバンを抱いてピクニックにでも行く人みたいだ-そう思えたとき、本当にこのまま出かけるのも悪くないほど天気はとっても良くて、風も爽やかだった。おまけに、家の近くの公園と、公園の前にあるサンドイッチ屋さんが浮かび、急に空腹まで覚えたのだ。私は、もともと降りる予定だったバス停より一つ先の、公園前のバス停で降りることにし、路線図を見た。ところがそのとき、後部座席のどこかで誰かが大声ですすり泣きを始めたせいで気分を損ね、公園には行かなかった。

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ノーベル文学賞受賞者の本のこと

2024-10-11 22:25:37 | 韓国文学 読書
またまた間が空きました。その間、書きたいことはいろいろあったのですが。

最近の話では、保護猫活動。今4匹の猫のお世話をしています。やっとスマホデビューしたこと。家庭菜園と鹿の被害を書いたエッセイが、今週水曜日に毎日新聞の地方版に掲載されたことなど。

昨日、韓国の作家はん・がんのノーベル文学賞受賞のニュースに接しました。
昨日のニュースでは詳細がわからないので、今日、 KBS の午後9時のニュースを見ました。
本屋に買い求める人が殺到しているそうです。日本でも東京のチェッコリという本屋に注文が殺到しているそうですね。

代表的な「菜食主義者」、「少年が来る」の翻訳本は数年前に読みましたが、「別れを告げない」という本も代表作だということは知りませんでした。

「少年が来る」は1980年に光州であったことをもとに書かれた本で、読んでいるとき怖かったことを覚えています。今日のニュースで主人公の元になった人の名前を知りました。「別れを告げない」も済州島であった悲惨な実際の話をもとにしているそうなので、読めそうにありません。

けれど、「ギリシャ語の時間」という本は読みやすく面白かったです。そして「すべての白いものたち」は原文を読みましたが、とても詩的で美しい文章でした。彼女は詩人でもあるそうです。

今日はこれくらいにします






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「ようこそヒュナム洞書店へ」読みました

2024-06-09 12:12:54 | 韓国文学 読書
久々に韓国の小説を読みました。本屋大賞翻訳部門の賞を取った作品だということ、翻訳者が牧野美香さんだということで図書館にリクエスト。
牧野さんは、第1回の翻訳コンクールで最優秀賞を受賞後、精力的に翻訳活動をされている方です。

350ページほどの長編で、ほぼ町の本屋を舞台にした物語。展開も緩やかなこともありゆっくり読んでいましたが、中盤くらいから主人公のヨンジュの過去が明らかになり、そのあとは一気に読み進めました。この小説は韓国で25万部以上のベストセラーで、すでに版権が世界20ヶ国以上の国に輸出されているとのこと。

主人公ヨンジュは30代の女性。会社を辞め本屋を立ち上げた。何らかの事情を抱える青年、主婦、高校生らが書店に集い交流を深めていく話。エッセイストだった作家の淡々とした筆致。対話を通じた心理描写に重きを置いた小説に思えた。

今月末、オンラインでこの小説の読書会があるようなので、参加してみようと思っています。

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一夜にしてイノシシに

2024-05-15 21:58:45 | 家庭菜園
今朝、庭に出てショック……。

花も咲き、収穫を楽しみにしていたじゃがいもが全部掘られていました。庭の隅にある小さな畑の3カ所に、孫に植えてもらったじゃがいも。

ネットで囲いもしているのに入り、じゃがいもだけ掘り起こしていました。にんにくと玉ねぎは無事。

何ヵ月も鹿の被害に見舞われ、最近、やっと落ち着いたと思っていた矢先の出来事です。
庭に残された足跡が鹿の足跡と違います。

ほくほくの新じゃがを食べる楽しみを奪われ、がっかりの朝でした。








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