長い間、ドラマを見てきたが、最近初めてこの表現に出会った。
長生きの話になった時、ハルモニ役の人が벽에 뭘 칠할 때까지 살다 と言う
表現を使った時、今でも使うんだとぎょぎょ!
オモニがシオモニの話をしてくれたとき、よくこの行動をしていたときいていたからだ。
(뭘の部分は대소변의 대를 가리킨 단어인데 고유어를 쓴다)
オモニが亡くなって十一年になろうとしているが、良くオモニから聞いていた単語や
表現がドラマにでてくる度に、オモニが傍に居るような感じになる。
これは最近読んだ本、연탄길 に出てきた 빼꼼이 という単語を見て、これもよくいってたなと、懐かしくなった。
それと、これも最近ドラマに出てきたのですが、本当に面白いなーと思って書き留めて置いたことわざです。
도깨비도 낯짝이 있고 빈대도 콧잔등이 있지(さしづめ、ずうずうしいにもほどがあるという意味になるでしょう)
長生きの話になった時、ハルモニ役の人が벽에 뭘 칠할 때까지 살다 と言う
表現を使った時、今でも使うんだとぎょぎょ!
オモニがシオモニの話をしてくれたとき、よくこの行動をしていたときいていたからだ。
(뭘の部分は대소변의 대를 가리킨 단어인데 고유어를 쓴다)
オモニが亡くなって十一年になろうとしているが、良くオモニから聞いていた単語や
表現がドラマにでてくる度に、オモニが傍に居るような感じになる。
これは最近読んだ本、연탄길 に出てきた 빼꼼이 という単語を見て、これもよくいってたなと、懐かしくなった。
それと、これも最近ドラマに出てきたのですが、本当に面白いなーと思って書き留めて置いたことわざです。
도깨비도 낯짝이 있고 빈대도 콧잔등이 있지(さしづめ、ずうずうしいにもほどがあるという意味になるでしょう)