ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

翻訳小説「赤い実」4  

2025-02-21 22:21:19 | 韓国文学 読書
「赤い実」連載4回目です。これで三分の一弱です。

 すでに父はこの世の人ではないが、流し台の上にぽつねんと置かれた骨壷を見るたびに、あのときと同じ気分になる。けれど、生前の父とは違って無視してしまえばそれまでなので、さほど気にはならなかった。でもって、いつか良(ヤン)才(ジェ)洞(ドン)に用事で行くついでに花き市場に寄ればいいやと思いながら、骨壷をベランダに移したものの、すぐさまそのことを忘れた。なのに、なぜかあくる日になると、まるで予定でもしていたかのように、朝食のあと軽く化粧までして才洞行きのバスに乗り、少し居眠りしたあと、(あっ、してやられた)と、気づいた。

 結局その日は、園芸用の土一袋と 貧弱な細い苗木を一本買って帰ったのだが、土はともかくこの木といったら、分厚い葉っぱが何枚かポツポツとついているだけで、見るほどにみすぼらしかった。花き市場の立派な店の中をしきりに覗いていたとき、太った店主のおじさんが出てきて、何を探しているのかと聞くので、父の遺骨に植える木を探しているとは言えずに口ごもると、おじさんが、じゃ、これは、と、プラスチックの鉢に植えられた、よろよろした木を勧めるのだった。名前は聞いたがすぐ忘れてしまい、言われるまま五千ウォンを渡して店を出ると、それで用は足りた。
 家に帰り、リビングに新聞紙を敷き、骨壷を取ってきた。中身を新聞紙の上に空け、熱したキリで壷の底に水はけ用の穴を開けた後、土と混ぜて壺に戻すことにした。父の遺骨はほんのわずかで、さほどきれいな灰になっていなく、ところどころに爪ほどの丸みを帯びた骨の一部が混じっていた。怖くて触りたくない反面、一度指先で転がしてみたくもあり、結局、後者の気持ちが勝ち、その中でいちばん大きい欠片(かけら)をつまみ上げて転がしたあと、透かして見たり、この骨は父さんのどこだったのだろうかと考えてみたりした。そうこうしているうち夕方になってしまい、やっと土と骨を混ぜ、今では植木鉢と呼ばれている、元は骨壷だったその器に木を植えなおした。そして、植物を初めて植えたあと誰もがするように、水をたっぷり与えた後、ベランダにもたれかかって、鉢の底からすーっと流れ出る黒い水を見つめた。
 お湯で手を洗い終えると急に疲れを覚え、その日はいつもより早く寝たのだが、あくる日にはすっかり鉢のことを忘れてしまい、その後一度も覗いてみなかった。その間にも、最初みすぼらしかった木は、勝手にすくすく育ち、梢にはツヤツヤした薄緑色の若葉が芽吹き、茎も太くなっていった。ある日、私がリビングに座って洗濯物を畳んでいるとき、急にベランダから父の声がした。
「水!」
私は、ドキッとしてしばらくぼーっとしていたが、「何よ、これって、生きているときと同じじゃない!」と、ぶつくさ言いながら、コップに水を半分汲んで鉢に注いだ。すると父は、満足げに、ゆっくり上下に葉っぱを揺らしながら水を飲んだ。

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