葉室麟 作品集 「風渡る」 4
筑前黒田藩の藩祖黒田官兵衛がイエズス会日本布教宣教師ジョアン( ➀1579年イエズス会55人の名簿 日本人イルマン・ジョアン 28,9歳。イエズス会士としてすでに9年か10年。ポルトガル語をきわめて上手に話し、日本語で説教する。現在口之津在住。 ②この小説では、大友宗麟が父で、母はポルトガル人と中国人の混血として描かれている。 )との関わりを通じて描かれている。
スケールのおおきな小説で、戦国時代の末期から安土・桃山時代にかけての物語である。
この小説は、秀吉の天下となり、秀吉が朝鮮と明に対し野望をいだいて乗り出そうといるあたりで終わっている。
天文18年(1549)7月 ポルトガルのイエズス会の活動の波及で、フラシスコ・ザビエル他の宣教師が鹿児島に到着。
本能寺の変(1582年6月2日)が、伝わり、黒田官兵衛は秀吉に、次のように言ったと伝えられている。
「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘なりたり」
1582年6月13日山崎の合戦で。秀吉、光秀を破る。
黒田官兵衛は、天正11年4月、賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いの後、キリシタンの洗礼を受ける。
天正14年(1586)10月、豊前 小倉城で、黒田官兵衛とジョアンと面談。秀吉の九州征伐の軍監となり小倉滞在中。
1587年4月21日、島津義久、秀吉の弟秀永に降伏。これにより、ほぼ全国統一、小田原の北条氏のみが
秀吉になびかず。
1587年 5月2日 大友宗麟、津久見で、死去。死の直前宗麟が、ジョアンに自分が父親と告白する。
1587年6月19日 秀吉、伴天連追放令発する。
◎年表など
永禄11年(1568)信長、足利義昭を擁して上洛果たす。
1569年、フロイス神父、信長に面会。
1570年、第3代日本布教長カブラル神父派遣(初代ザビエル、第2代トルレス)。
信長の前で宗教論争、ロレンソは仏僧朝山日乗(あさひやまにちじょう)を巧みに論破。
1571年 黒田官兵衛 26歳、小野寺家の家老。
1571年9月 信長、比叡山焼き討ち。
1572年1月、カブラル、フロイス、ロレンソ(日本人修道士)、ジョアン信長に拝謁。
天正元年(1573)7月 信長、義昭追放、室町幕府滅亡。
1573年5月 長篠の戦い。火縄銃の連射戦術(射撃方法)、西洋より50年先駆けて信長用いる。
1573年7月 黒田官兵衛、秀吉に伴われ信長に拝謁。
1577年10月 秀吉4千、播州入り、黒田官兵衛は居城の姫路城を秀吉に提供。
1577年12月 日向伊東氏、島津氏に攻め込まれ、豊後大友氏を頼る。
1578年3月 大友氏、3万の兵を率い日向へ出兵、4月日向の中央を流れる耳川(みみかわ)以北支配においた。
1578年7月25日 大友宗麟、臼杵の教会でカブラル神父から洗礼を受けた。洗礼名は、宗麟が尊敬するフランコ・ザビエルにあやかって、ドン・フロンシスコである。
1578年11月12日 耳川の戦い、大友氏、島津氏に敗れる。
1578年11月 黒田官兵衛、荒木村重の有岡城の土牢に閉じこまれる。
1579年11月19日 黒田官兵衛救出される。有岡城が降伏開城した日に。これに先立つ5ヶ月前、竹中半兵衛が播州平井山の陣営で病死していた。黒田官兵衛の長男松寿丸は竹中半兵衛が信長から守り、生存。
1579年7月2日 イエズス会ヴァリニャーノ巡察師来日、ポルトガル船で島原半島の口之津港に降り立つ。
1580年1月17日 羽柴勢が囲んでいた三木城、降伏、開城。
1580年 スペイン、ボルトガル併合、スペイン王がポルトガル王を兼ねる。
1581年2月 ヴァリニャーノ巡察師、安土で信長に謁見。
1582年 ジョアン32歳、長崎在住。
1582年1月ローマ教皇への少年使節、正使千々石ミゲル、伊東マンショ、副使原マルティーノ、中浦ジュリアン、ヴァリニャーノ巡察師に伴われ、長崎出発。
1582年 信長甲斐から凱旋。
1582年5月7日 信長、三男神戸信孝に四国征討を命じた。
1582年5月29日 信長、安土出て京に向かう。
6月2日 未明七つ(午前4時)、明智勢、本能寺を囲む。六つ半(午前7時)本能寺炎上、信長自決。
明智勢、引き続き二条御所を包囲、信忠自決。
1585年8月 黒田官兵衛、豊臣勢13万の軍監として四国入り、長宗我部元親降伏。
天正10年(1582)までに日本のキリシタン信者は、10万人に達した。アジア諸国では例を見ない成功であった。
黒田官兵衛は、如水(じょすい)(「水の如く自在に生きよう」)という号を用いた。
「信長が目指したのはポルトガルのような「海洋帝国」だった。」
金平糖はポルトガルの菓子。
堺は、河内、和泉、摂津の境に位置することから、地名になったという。
宣教師は、堺をイタリアの自治都市にちなんで、東洋のヴェネツィアと呼んでいた。36人の会合衆(えごうしゅう)にろる自治。
黒色火薬、木炭、硫黄、硝石を混ぜて作る。
塩飽水軍(しわくすいぐん)、黒田官兵衛の配下となる。
大村純忠、イエズス会に長崎6町を知行地として与えること申し出て、ヴァリニャーノ巡察師はこれを受け入れる。
キリシタン大名 大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、高山右近・・・。