スナップ:車窓からのカプリ島
イタリア南部カプリ島に遊ぶ(ナポリ港から約30分)。
カプリ島の青の洞窟が売りで、午前中に狭い洞窟に入る。
この写真は、見つからず。
どこかに仕舞い込んでいる。
その後、島巡り、昼食を摂る。
次が、島巡りのアルバムのURLです。
http://www.digibook.net/q/LAjYjAg3kZCaxR8Q/
スナップ:さつきの郷からの湯河原
湯の里 杉菜(スギナ)(杉並区保養施設)(湯河原町宮上637)泊
ほぼ、3ヶ月毎の家族旅行の行き先は、湯河原温泉へ。
5/29、小雨の中、11:00自宅西東京市出発。
厚木で、雨が止んだ。この後、晴れになるよう祈る。晴れ男になるのだ!!
この願望は、大磯でかなえられ、太陽が顔を出しカンカン照りだ。
R-1の風景は、1階建ての和風家屋がゆったり並んでおり、なんとなく素晴らしい。
江戸時代の杉並木が残されている。
小田原市内で、R-135に入り、海沿いを走る。
広々とした海を久し振り眺め、そのよさを味わう。
湯河原の千歳橋を目標にし、その橋に着く、右折、ここから3km川沿いに進めば、杉菜に着くはずと一安心した。
川は意外と小さく、右の建物に注意しながら低速で進む。妻が、杉菜を見つけたので、止まろうとしたが、止まれず進むと、丁度よく玄関に着くことが出来た。
16:20到着、実走行時間4時間ばかりだ。この間妻が1時間少々運転した。
マルチーズ2匹(雪、花)をつれての旅行なので、駐車後、車から降ろし、車の中にオシッコマットを引き車の中で休ませるようにする。
その後、受付、何時ものように、やや緊張、宿泊名等を記入、宿泊案内を聞く。
パンフに赤蛍光ペンで主要な箇所をマークしながら説明された。
予め、92歳の母を連れて行くので、エレベーターに近い場所をお願いしていたところ、2階の10号室、御風呂にも食堂にも均等で10mばかりの距離となっている部屋となっていた。
夕食の時間があまりにも早く感じた。18:00からだ。我が家は20:30前後なので、2時間少々早い。
このため、直ぐ風呂に入った。身体を洗い、露天風呂を使う。入浴客は2人のみで、露天は私1人で独占、貸切風呂だ!!
夕食開始の18:00が過ぎ、食事に出向かず、電話で1回、部屋に1回督促があったので、分かりましたと返答し、30分ばかり遅れ席に着いた。
日本間に座椅子方式とテーブル方式があったが、我が家は座椅子方式を妻が選んでいた。
旅行で、夕食が一番楽しみだ。今日は、あじのお刺身が美味だ。焼肉セット等15品前後を写真に収めたが、品数は数えなかった。
朝食は8品であった。
ご飯の味は、自宅のご飯より、落ち気味。ビールに地酒少々飲む。
4~5人の男性客が酒を飲み、声が高い。やはり、酒を飲むと、自然と声が高くなるものだ。自分自身に問い掛け、気をつけよう、自分が飲んだとき。
食事が終わり、部屋に帰ると、疲れが出て、布団をしき、家族で一番早く寝てしまう。
途中、目が醒め「妻が、蛍が飛んでいた。」といっているのを聞いた。
今日は、デジカメを2台携行しているので、写真に撮りたいが、起き上がるのが面倒で聞き流し、また眠りに着く。
5時間ばかり寝て、目を覚ましたところ、朝日で「田原さんの朝生テレビ」をやっていた。30分ぐらい聞き耳を立てた。
色々論客が言っていたが、「他力本願にならざるを得ない。アメリカと中国に期待せざるを得ない。」というふに聞こえた。
5/30、5時前、目を覚まし、朝風呂と思い、廊下ロビーで待ったが、5時半からなので残念し、また眠りにつき、7時まで寝てしまい合計、9時間半寝てしまった。
朝風呂を露天ですまし、朝食の席に着く。
鯵の干物がメインで、いかの御刺身もある。なんとなく、他の旅館と比較し、あまりおいしくないとイメージしてしまう。
これがいけないのかもしれない。
南房総の「南海荘」の夕・朝のバイキング料理がちらつく。
92歳の母、「つまらんかった。」との寸評。
もう1回、露天で入浴、今回は3回の入浴だ。
3月でかけた群馬の猿ヶ京温泉「シャトウ猿ヶ京」では谷川岳を見ながら5回入浴したことを思えば少なかった。
宿泊料、何時も母もち、お金を貰い、フロントで清算4人分3万5千ばかり支払う。
城山公園に立ち寄ろうと思い、説明を受けるがハイキングコースとのこと、真鶴半島確認、あまり良くないとのこと、さつきの郷を選択し行きかたを教えてもらう。
宿から湯河原駅までマイクロが運行されていた。
さつきの郷に行く前、御土産を買う、妻のマージャン友だちへ。
一旦、駅方向に行き、目的の店見つからず、引き返す、細長い細長い温泉地だと驚く。ようやくお店をみつけ、きび餅を妻が購入。
湯河原駅前を通過したが、結構人が多くいてにぎわっていた。
宿でもらったマップを頼りするが、分からず。
みかん売り場に立ち寄り、そこのご主人に聞く。
結果的には、行きすぎ、相当引き返し、登ること、登ること。やや心配。妻が盛んに、右に曲がらなかったかと責める。
しかし、そのまま登り、さつきの郷に着く。
まだ咲いていない所もあり、花が寂しい。案内人や路面に進行方向の矢印がある。駐車場に着くが、駐車場から咲いている場所までやや遠く、みな歩く気はないので、下りにかかる。なんとなく気抜けする。満開のときであれば良いかもしれないが、評判とは裏腹だ。
途中、海岸線や海がきれいに見えるところで、デジカメに収める。
R-135に戻り、美しい海岸線を走る。
湯河原方面行きの道路は、車がじゅずつなぎで込んでいる。
少し行き、休憩。湯河原町周辺の案内板がある海岸で、眺めが良いので思わず写真を撮る。
小田原市内で、R-255に進み、酒匂川を渡る。
松田町で東名の大井松田ICに乗る。
初めて、ETCレーンを使い、緊張気味、速度を20km以下にするようにブレーキを踏みつつ、後続車を確認、それなりに間隔があり安心。前の開閉バーが開き、無事通過。これまで、一旦停車、チケットを取り、あるいは料金を支払っていたのとは違い、非常に便利になった。
海老名SCで昼食、焼きそば、お好み焼き、おむすび、サンドイッチやアイスクリームを食べる。
東京ICで再びETCを使う。2回目なので、スピードを早めに20km以下に。
環状8号を高井戸まで、ここを左折、都道R-7井の頭通りへ、吉祥寺を通り、自宅西東京市へ。
16:16に無事到着、実走行時間4時間ばかり。
昨日朝方、雨にたたられたが、その後、晴れ、くもりであった。
今回も天気にはつきがあったことを証明した家族旅行であった。
スナップ:眼下の大菩薩峠と介山荘
< 日時 > 平成17年10月8日(土)~9日(日) 曇り、時々太陽、小雨
< コース >
10月8日(土)
*電車 JR中央線 東京駅 06:38⇒新宿駅 06:58⇒八王子駅 07:52⇒高尾着 07:59
(乗換、2分)普通 高尾発 08:01⇒塩山 09:15
*バス 塩山駅 09:25⇒大菩薩峠入口 10:00
*コース 大菩薩峠入口 10:14⇒(25分)⇒丸川峠・上日川峠分岐(10:38-10:45)⇒(65分)⇒ 大休止・昼食(12:10-12:45)⇒(50分)⇒丸川峠(13:45-13:55)⇒(95分)⇒大菩薩嶺(15:50-16:00)⇒(55分)⇒大菩薩峠介山荘 17:00
10月9日(日)
*コース 大菩薩峠介山荘 07:20⇒(30分)⇒石丸峠(07:50-08:00)⇒(70分)⇒榧ノ尾山(09:15-09:30)⇒(55分)⇒大ダワ(10:45-10:55)⇒(45分)⇒モロクボ平・昼食(11:40-12:00)⇒(35分)⇒小菅の湯 12:45 入浴及び休憩 13:00~15:15
*村営バス 小菅の湯 15:33⇒田元橋 15:38
*西東京バス 田元橋 15:46⇒(53分)⇒奥多摩駅 16:33
*電車 JR奥多摩線 ホリデー快速おくたま6号 奥多摩駅 16:52⇒新宿 18:22
<実歩程>10/8 : 4時間50分(計画4時間40分)、10/9 : 3時間55分(計画5時間)
<経費> 11,720円(JR新宿からJR塩山1,890、JR奥多摩からJR新宿まで1,050。バス塩山から100、小菅の湯から100、田元橋から880。一泊2食6,600。昼食弁当600。入浴500。)
<1日目:10/8;曇り、時々太陽>
JR高尾駅で落ち合う。天候を気にしつつ一路塩山に向かう。旅行団体客や山行グループでにぎやかな車内であった。塩山駅南口に降り立ち、バスを待つ。「大菩薩峠登山口」行きのバスに乗車、車中で土地の老人とおしゃべりをする。塩山は青梅街道の終点、昔でも戦後、塩山から奥多摩へバス2便また奥多摩から塩山へ2便が出ていたとのこと。
バスは大菩薩峠温泉で多くの乗客を降ろし、まもなく終点の大菩薩峠登山口に着く。
終点には「番屋茶屋」があり、早速今夜の楽しみの日本酒を購入、そのうち茶屋のおばあさんから「よもぎもち」をすすめられ、お茶と瓜付けでおいしく食べた。
茶屋のお嬢さんのシャッターで、記念撮影、その際茶屋をバックにして撮って欲しいとのこと、追加撮影。なんとなく、最初からゆったり気分、いつ大菩薩嶺につけるか心配なムード・・・。
舗装道、武田氏ゆかりのお寺等を眺めつつ丸川峠・上日川峠分岐に向かった。分岐で小休止、各人ごとの簡単な体操、着変え、その後林道を約15分進み、登山道へ。
急登、急登・・、休止5分が、たちまち10分に、先が思いやられる状況であった。しかし、Fさんが今日は泊まるので遅くなっても心配がいらないと、元気づけられた。
ようやく草原に出て、丸川峠に到着、丸川荘のテーブルを借り休憩を取る。
峠の出発後、太陽がさんさんと輝き、Fさんが雲取山等の山座同定を行った。
雨はなく、林間から幻想的な太陽光線、思わずスナップを撮る。
また樹間をジグザグで急登、一刻も早く大菩薩嶺につくことを祈りつつ一歩一歩前に進む。ようやく、大菩薩嶺へ、2057mの標柱、登山の無事を喜び記念撮影。
計画より約1時間遅れのため、介山荘へ電話しようとしたがかからなかった。しかし、Fさんの携帯がようやくつながり介山荘へ17:00前後の到着を伝える。雷岩を過ぎ、ガスの切れ間に素晴らしい下界の風景が見え、上日川ダム等を遠望した。
介山荘着、大広間で寛ぐ。男女3人組み、女性2人組みが同宿組みのようだ。女性2人組み、バスで一緒だったので、登山経路等でおしゃべりする。
無事到着を記念し、簡単な乾杯。今日の山小屋では、40名のキャンセルがあったとのこと、どのようにとったらよいのか一瞬迷ったが、自分に都合の良い方にとればよいとの考えに落ち着いた。
夕食の豪華さ、本格的なサラダ、うど等の副食、うどん、特別サービスのワイン、冷凍ぶどうが出てきた。今夏の徳本峠小屋の夕食と比較しつつ、驚いてしまった。
豪華な夕食とお酒も程よく回り、5人のおしゃべりはとどめなく続いた。
私には、お酒のつまみにうどの漬物が特においしかった。
寝間に入り、また驚き、部屋はきれいで6畳間を男3人でゆったり使用出来た。
本日泊り客が少ないので、こんな部屋に泊まれるのだと、天候の悪さを喜んだ。
寝間でのおしゃべりはつづかず、熟睡する。
<2日目:10/9;小雨>
6時起床、天気が気にかかったが、霧雨であった。朝食も豪華で、生たまご、やまめの寒露煮、れんこん等が付いていた。生たまごで、ごはん2杯をいただく。
小屋から「記念品(大菩薩峠介山荘のサイン入りのボールペン)」「東アルプス楽集団スタンプラリーのカード(東アルプス楽集団とは、秩父多摩甲斐国立公園内の山岳地域で営業している一部の山小屋で構成した仮想国の名称です。範囲は秩父多摩甲斐国立公園を4地域に分けて各州とし、平成15年3月27日に建国されました。雲取・両神州、大菩薩・笠取州、甲武信・雁坂州、金峰、瑞牆州)」をいただく。これに加え「小菅の湯の割引券 普通600円のところ500円」もいただく。
山小屋前の大菩薩峠の標識前で記念撮影。山小屋前のベンチで、昨日のバスで一緒だった男性が休憩していたので互いになごやかに挨拶した。福ちゃん荘から登って来たとのこと。
山小屋の若主人に見送られ、計画より5分遅れの07:20出発した。
山小屋から15分ばかり登り熊沢山へ、ここから急斜面を降り石丸峠着。
霧雨が無ければ素晴らしい眺望であろうとなげきながら、Oさんが「リベンジで再登山」との言葉が印象に残った。
石丸峠で休憩中、介山荘で休んでいた男性が追いつき、情報交換を行う。男性は、福ちゃん荘を定宿としているとのこと、キスリングのバックを背負いこに、ベテラン、70才ぐらいであった。
ここからKさんが先頭、素晴らしく調子よく、牽引機関車のごとく。昨日の様子とは一変、小菅の湯に着いてみれば、計画より50分早い12:45に到着した。
榧ノ尾山到着、コーヒーブレイクおいしいコーヒーをFさんからいただく。この時、小菅の方からの男性登山者1名に会う。結果的に遭遇した登山者は、この1名のみであった。牛ノ寝通りはどこかなと言いつつ、大ダワ分岐に到着。小さなトタン屋根の雨よけがあった。
紅葉していないもみじの樹間をとおり、モロクボ平到着、大休止昼食。介山荘の弁当、おむすびをいただいた。雨のため大休止とはならず、20分の短時間で切り上げた。
途中、江戸時代末期、慶応年間設置の「馬頭観音」を眺めつつ、この山道が青梅から塩山への幹線道路であったことに気づく。
里から、下山した山並みが霧間に眺められ幻想的できれいであった。
やや小高いところに小菅の湯があり、大きな施設であった。一般のお客さんに悪いと思いながら、玄関で汚い靴を脱がせてもらった。
カウンターで受付を終え、貸し出しタオル入れバッグを受け取り入浴。強いアルカリ性温泉で肌に良いとのこと。
いろいろな湯船、釜、桶、露天、打たせ湯等で、ゆったり2日間の疲れを癒す。
大広間で寛ぎ、生ビール、澤の井の冷酒、そば、わさび漬け等を賞味する。
大広間で1時間少々を過ごしたが、やや時間が足りなかったと思いつつ腰を上げた。
赤い、レトロの村営バスで田元まで、ここで西東京バスに乗り換え、旧青梅街道を、小菅川、奥多摩湖沿いに奥多摩駅へ。
バスは、われわれグループの専用のようであった。
計画通り、奥多摩駅16:52発ホリデー快速おくたま6号に乗車し帰宅した。
<参加者コメント>
Kさん : 賽の河原付近、霧の切れ間からのぞいた山脈が見事でした。
Oさん : 介山荘の夕食はとってもおいしかった。
Hさん : 名峰大菩薩嶺へ登った。きつかった。介山荘へ登った。
下り小菅へ、良い道だった。
Fさん : 屋根がある! 重いフトン! おいしいワイン! すばらしい仲間!
ありがとう!
Kさん : 初日ちょっぴりの太陽、2日目降雨、雨降り男になり大反省中。
小菅の湯で疲労がとれ少々安堵。皆さんのお陰で無事終了でき大安堵。
介山荘のもてなしから大菩薩峠には何回来ても良いとの印象を持てた。
スナップ:キタダケソウ、北岳のみの花
<日時>平成19年7月27日(金)快晴、28日(土)快晴・曇り・雨、29日(日)曇り
<コース> 7/27 JR新宿袋駅(特あずさ1号7:00)―甲府駅(8:29~TAX8:35)―広河原案内所(11:00~11:10)・・【5】・・広河原山荘(11:05~11:20)・・【20】・・大樺沢分岐(11:40~昼食~ 12:05)・・【95】・・市営白根御池小屋(14:20)
7/28 市営白根御池小屋(5:10)・・【100】・・小太郎尾根分岐(7:30~7:40)・・【40】・・肩ノ小屋(8:20~8:35)・・【60】・・北岳山頂(9:35~中食~9:55)・・【70】・・県営北岳山荘(11:05~12:00)・・【75】・・北岳山頂(13:35~13:50)・・【25】・・肩ノ小屋(14:20)
7/29 肩ノ小屋・・【 20 】・・ 小太郎尾根分岐・・【 90 】・・二俣・・【 70 】・・広河原山荘
<実歩程> 7/27【 2時間 】 7/28【 6時間10分 】 7/29 【 3時間 】
7/27
Kさんと新宿駅6番線で落ち合う。特急あずさ1号で快適な滑り出し。甲府駅前で、KさんがTAX相乗り交渉、うまく3名ゲット、2名は夜叉神峠入口、あと1名は同じ行き先の広河原まで。夜叉神峠入口でストップ、交通規制のため、10:30のオープン・ゲイトを待つ。
夜叉神峠入口から深い谷を左手に眺め、広河原案内所着、登山届提出、つり橋を渡り市営(旧芦安村)広河原山荘前でストレッチ、登山開始。大きなブナ等の林から徐徐に高度をあげ、
大樺沢分岐で昼食、右に道をとり白根御池小屋を目指す。急登の連続で約1時間超(1,500m⇒2,200m)、その後左にトラバースし山荘へ、森が急に開け、突然山荘に到着した。
山荘前の広場では既に早着したおおぜいの人たちでにぎわい、生ビールの乾杯などが見られた。快晴のもと夕日に映えた北岳を背に、前方に鳳凰三山が遠望できた。
小屋は昨年新築、素晴らしい建物、部屋は、5号室ミヤマハナシノブとなっており、北岳の名花とのこと、その偶然の一致に、部屋の前で記念撮影を行った。暑い寝苦しい夜を過ごした。
7/28
雲一つない青空、天気につきまっくている感じだ。山荘出発5:10、急登直後の5:20薬師岳山頂からの日の出を眺め、約1時間40分で2千9百の小太郎尾根分岐に到着した。
途中、富士を眺めることが出来、ここらあたりから黄色の花弁のキンポウゲの広い広いお花畑が続いた。
分岐から鳳凰三山の左手奥に甲斐駒ヶ岳等を眺め、なだらかな峰を経て3千mの肩ノ小屋着。
小屋から192m高低差の北岳山頂へ、1箇所の鎖場のみで簡単に登頂できた。
頂上は意外と広く、360度のパノラマを楽しめた。
日本で二番目に高い山・百名山登頂で嬉しかった。
誰かが滑落したのではないかと山頂付近で山小屋の人たちが捜索にあたっていた。県警ヘリも飛来しが見つからず帰投した。結果は人騒がせで、66歳の夫婦で主人が写真を撮っている際、妻がドンドン降りてしまい広河原まで行っていたとのこと。
頂上から北岳山荘へ、この稜線上に間ノ岳、濃鳥岳が見えた。
山荘で一旦宿泊手続きをしたが、八本歯コルのコースは雪渓のためアイゼンが無いと危険とのアドバイスを受け、肩ノ小屋まで引き返した。
北岳山頂前で、キタダケソウの自生地を教えて貰い10枚前後の白い花弁をつけた可憐な花を愛でた。
雲が涌き、ガスがかかって来て頂上視界なし。2回も登頂したとの感慨のもと、肩ノ小屋へ、小屋直前にポツリ、ポツリと雨が。宿泊手続きOK、部屋割りを待つ間1時間ばかりどしゃ降り。昨日より更に悪条件の寝床で身体を寄せ合い寝込んだ。
7/29
一昨日の峰道を通る。前方に甲斐駒ヶ岳、左方に仙丈岳、右手に鳳凰三山を見て進む。
小太郎尾根分岐から、急坂を下りる、キンポウゲの大きな大きな御花畑中を。
途中から、右俣コースへ、二俣到着。この周辺には、可憐な紫色のミヤマシノブが沢山見えた。
ここから、八本歯ノコルを眺める。八本歯ノコルから二俣にかけ、雪渓が谷を埋めていた。この雪渓を降りてくる人がいたが、2人を見たのみであった。
大樺沢沿いの道を降りる、所どころに雪渓が残っており、雪の感触を楽しむ。
この道は、崩落や増水で痛んでいたが、このコースを登ってくる人は多くいた。
3時間ばかりかけ、広河原山荘到着。
山荘前の休憩所で、無事下山のこともあり、ゆっくりゆで玉子を味わう。
その後、広河原山荘のシャワーを使い、着替え等もし、さっぱりとした。
帰りは、広河原から、山梨交通のバスで甲府へ。
甲府駅に着き、KさんはJRで、私は高速バスで新宿へ。
スナップ:雲取山頂看板(埼玉県設置)
何かも初めて、1泊2日の山行であった。しかし、かけがえの無い経験を味わった。
(コース)
西東京市・西武線田無駅ー拝島駅乗換ーJR奥多摩駅・乗換・西東京バス=鴨沢・・・ブナ坂分岐・・・奥多摩小屋・・・小雲取山・・・雲取山・・・雲取山荘(泊)・・・小雲取山・・・七つ石山・・・鷹巣山・・・将門馬場・・・六石山分岐・・・JR奥多摩駅・・・往路に同じ。
(一日目)
単独山行で、初めて1泊2日のプランで、山小屋に泊まった。
鴨沢バス停に降り立った。数名の男女、皆ベテランの様に感じた。
バス停から、集落の中の急坂を進む、ブナ坂までに、若い女性の登山客と前後して登ったことを思い出す。
この女性はテント携行で奥多摩小屋のテント場に宿泊していた。
もう一人は、後で分かるが、雲取山荘の人であり、ブナ坂直前の急坂で私をスイスイ追い抜いていった人である。
山荘の夕食時、声をかけてくれて、ブナ坂で会ったということが分かった。
ブナ坂から防火帯の中の登山道を進む。
この登山道は、開放的な感じがし、雲取山までのだらだら坂を楽しみながら登った。
途中、奥多摩小屋に寄る。
私は、てっきり雲取山荘と思い立ち寄った。初めて、山小屋の内部を見た。シンプルというか、みすぼらしいというか、こんなところに泊まるのかと感じた。
この小屋は東京都が、国体の登山競技のため建てたとの、予備知識を得ていたが、中の様子を伺い、すばらしい建物のイメージがあったので、驚いた。
テント場の傍には、ヘリポートもあった。
雲取山頂上の直前は、やや急な坂でジグザクの登山道、ここを登りきり、岩場に腰を掛け、今登ってきた道を眺めつつ、30分くらい、満ち足りた気分と登山の余韻を楽しみながらすごしした。
雲取山は、東京、埼玉、山梨の境となり、それどれが山の標識を建てている。
雲取山から、雲取山荘に急な下り坂を進む。この際、老人夫婦に同道していて、この御夫婦百名山を踏破されたとのこと、この思い出話を聞く。
途中、木に引っかき傷を指し、これは、ごく最近熊が出たことを示すものだと教えてもらった。
今、思い出すと、恐いことだが、二日目、鷹巣山を過ぎ、昼食をとり30分ばかり午睡を取ったが、全く無防備で、熊のことはすっかり忘れていた。
宿到着直前、明日迷うことがないよう、明日の帰り道を確認した。
宿で、若い従業員の人の受付を終え、1Fの奥の部屋に8畳の間か、案内された。
既に、私と同じ年代の人が休んでいた。その後、親子連れ何人かが、同部屋となった。1人1畳も無かった。
山小屋は大変素晴らしい建物で、水洗のトイレを備えていた。小屋前の広場には、休憩所、水場があり、自炊者が食事を摂っていた。
夕食の内容はよく覚えていない。印象深いのは夜空の星で、すごく綺麗で、間じかにせまって、手に取るように見えたことだ。
(二日目)
ご来光を仰ぐ。まん丸な大きな太陽だ。雲ひとつない青空に。
朝食をとり、早々と宿を発つ。
昨日、同じ部屋の人と同道、最初その人が左周りの巻き道を選ぼうとしていたので、昨日確認していた右周りの巻き道へ導いた。
この人のペースがはやく、10分少々で先に行っていただく。
笹道を進む。
雲取山を迂回し、小雲取山に出て、富士山をはるかかなたに見る。
ブナ坂までは同じ道。それから、七つ石山を経て鷹巣山へ。
鷹巣山避難小屋で休憩、水場で水補給、避難小屋の中を見学する。
ここから急登、鷹巣山頂上で休んだが、ここからも下山できるとも思った。
しかし、JR奥多摩駅まで歩こうと決断する。疲れ軽減のため、巻き道を進むことにした。
雲取山避難小屋に宿泊した人と一時話したが、ここで初めて避難小屋に泊まれることが分かった。
将門馬場前で、若い人3人に追い抜かれた。
奥多摩駅から、鷹巣山や雲取山に向かう人は、ごく少数で、確か4~5人だったと記憶する。
六石山分岐に着たが、山には登らす通過した。
JR奥多摩駅直前は、足が疲れが出て、エアーサロンパスを吹きかける。これで急場を凌ぎ、ようやく奥多摩駅に着いた。
今、思えば、恐いもの知らずの登山、よく歩いたものだと、我ながら感心する。
ある一面からは、6年または5年前の暴挙かもしれない!!
スナップ: 上左; 槍の肩(3千m)で槍ヶ岳バックに
中央のトンガリ、小槍ヶ岳
上中; 霞んだ頂上(3,180m)
上右; そそり立つ頂上
下左; 頂上6人で登頂制覇万歳
下右; 頂上1人で記念写真
平成20年、大塚山歩会こまくさ創立15周年記念誌への寄稿文より
・・・・槍 ヶ 岳 回 想・・・・
初めての高山、3,180mの槍ヶ岳を目指して。
上高地は、涼しくてとても気持ちがよい。ここまでは既に散策済みである。
このため早く槍ヶ岳を見てみたいと・・・・・。
1泊目(16.7.25(日))の槍沢ロッジを過ぎ、林の間に初めて槍ヶ岳を見た。やはりとんがり帽子のようだ。
入会二年目(平成16年)、K先輩におだてられ、この山行に参加し怖いもの知らずとはこのことか。
天候にはめぐまれ、槍の頂上を極めた。
頂上は結構広く、祠があった。多分、その際参拝しなかったように思われる。
万歳を叫び、記念スナップを撮ってもらう。
はしごを登り、頂上への第一歩を踏み出す際、恐ろしく感じた。しかし、下がってくる際は、あまり怖く感じなかった。
無事登頂を記念し、生ビールで乾杯、多分大変おいしかったのではないかと思われる。
山小屋に二泊したが、食事の内容は記憶が薄れてしまった。しかし、2泊目(16.7.26(月))の槍ヶ岳山荘で焼酎のお湯割りの白湯を貰ったところ、150円と言われ一瞬と惑ったことはよく記憶している。
何故150円・・・・水・お湯は貴重、3千メートルの高さを失念していました。
天候に恵まれたといったが、槍ヶ岳山荘での真夜中、これまで経験したことがない、ものすごい雷のもと激しい雨が過ぎ去った。
三日目、槍ヶ岳山荘から来た道を下山するため朝4時過ぎ山荘を出発、ここで初めてヘッドランプを使用した。下山途中モルゲンロード現象での赤い山々、もちろん槍ヶ岳、常念等を見上げ、その美しさに感動した。
槍ヶ岳を開山した播竜上人の洞窟跡付近だと記憶しているが、雪渓が残っており、雪の上での歩行をほんの少し経験するとともに楽しんだ。
下山にあたっては、バスの時間に間に合うか気がかりで、飛ばしに飛ばした。このため、早めにかっぱ橋に到着、無事を祝い記念撮影、その後温泉で一風呂浴び疲れを癒した。
上高地バス停には多くの人たちが集まっており北アルプスの人気の高さを実感した。
Kリーダーのもと、Tサブリーダー、Kさん、女性二人の計六人が無事に帰りのバスに乗れ、一路新宿を目指した。
この登山でよい経験を積ませていただいた。
この登山をきっかに、年一回、北又は南アルプスを目指したいと誓った。
三年目(平成17年)は、北アルプスの徳本小屋に二泊し、霞沢に出かけた。
四年目(平成18年)は、北アルプスの大キレットを目指したが雨により延期となったため、行けなかった。
五年目(平成19年)は、南アルプスの北岳に二回登頂した。
六年目(平成20年)の今年も、Kリーダ―に誘われ、甲斐駒及び仙丈を予定しましたが、甲斐駒のみになってしまいました。
南北アルプスには素晴らしい山々がそびえており、毎年行きたいと思っております。
こんな素晴らしい機会をあたえていただいた会長をはじめ先輩会員の皆様に大変感謝しております。
今後も素晴らしい登山の機会を与えいただくとともにお返しを考えていかなければと心に誓っております。
最後に会員の皆様が楽しく、安全な登山になるように祈念し、筆をおきます。
スナップ:駒津峰からの甲斐駒ヶ岳
甲斐駒ヶ岳へ無事登頂・下山、大先輩Kさんに、山行プランや山小屋への宿泊予約等、大変御世話になりました。
(一日目)
新宿駅(7:00)― 立川(7:21)― 八王子( 8:29)- 甲府駅(8:28 乗換 9:00)=【バス 約2時間】= 広河原(10:56 昼食・乗換 12:20)=【バス 25分】= 北沢峠(12:45~13:00)・・○34・・仙水小屋(13:34)
Kさんのリダーのもと、甲斐駒ヶ岳と仙丈岳を目指し、7/25JR新宿駅から甲府駅に向かう。
甲府駅南口に降り立ち、速やかに山梨交通のバス停に向かい列に並ぶ。
結構多くの人が並んでおり、座れるか心配したが、多くなれば、バスの増発があるとのこと、胸をなでおろす。
多くなり、2台の大型バスが甲府駅をたち、南アルプス市の広河原へ向かった。
一昨年の19年は、Kさんの交渉で、5人でTAXを利用、夜叉神峠登山口まで3人、私たち2人は広河原へ。
夜叉神峠登山口以降は南アルプス林道で、交通時間の規制があり、TAXの場合早く着きすぎ、待たされた。
広河原に到着、バス停から市営の無料休憩所に向かう。
途中バラック建てのものがあり、ちょこっと寄り道、一昨年の19年にあった鉄筋の建てのものが、全く無くなっていた。案外、新しい建物で、良い無料休憩所であったが、建て替えのために壊したとのこと。
そこの広場には、南アルプス登山の先駆者のレリーフ記念碑があり、山開きのモニュメントが立っていた。
一年ぶりに北岳を眺める。何枚も立て続けに、山の姿をデジカメに納める。
Tさんと北岳を背景に、記念撮影。
一昨年、同じくTさんと2人で、2泊3日の行程で北岳に登頂、無事下山したことを思い出しつつ・・・。
広河原の市営バス停裏の河原が見える木陰で、昼食を摂る。
広河原から、北沢峠に向かう。南アルプス林道を行くが、当初左手、途中から右手に深い、深い谷を見ながら進む。落ちてしまえば、一貫の終わりだ。
25分の行程だが、非常に長く感じた。
北沢峠着、おおくの人が、ごった返している。甲斐駒ヶ岳、仙丈岳から降りてくる人、登る人の起点でもあり、また山小屋長衛荘もある。
伊那市営バスが長野県からの、南アルプス市営バスが山梨県からの登山客をマイクロバスで運んでくる。
大きな看板を挟んでTさんとツウショット。早速、仙水小屋に向かう。一旦断られているのだが、時間が早いので行って、宿泊を頼んでみようと計画変更。
宿泊を頼んでいる駒仙小屋を素通りし、仙水小屋へ向かった。
北沢沿いを進み、沢からやや高めの場所に、仙水小屋があった。
13:42着、心配したが女将さんから、宿泊OKを貰い、屋外の休憩所で、小屋の本を読む等、ゆっくりとくつろいだ。
沢から引かれた水が貯め枡に、豊富に流されており驚いた。
約50名の宿泊客が次次と到着、16:30~17:00夕食、なんと、なんと、驚くなかれ、いかの御刺身が出て来た。
宿のご主人が、毎日里に降り、運んで来るとのこと。
明日の登山を考え、皆さん早々と眠りにつかれた。
(二日目) 起床 3:00~食事(3:30~4:00)~仙水小屋(4:16)・・○30・・仙水峠(4:46~ 5:00 )・・○50・・駒津峰(6:51~7:00 )・・○120・・甲斐駒ヶ岳頂上(8:58~9:20)・・○50・・魔利支天頂上(10:10~10:20)・・○80・・駒津峰(11:42~11:50)・・○40・・双児山(12:30~昼食~12:50)・・○70・・北沢峠(14:00~バス待ちで大休止~15:30)= 【バス 25分】= 広河原(15:55 乗換 16:00)=【バス 約2時間】=甲府駅(18:00 乗換 KさんJR特急、私普通列車乗車で帰宅)
実歩程 7時間20分
小さな山小屋のため、一斉に起こされ、全員で朝食を摂る。
朝食は味噌汁もあり結構なものが出て来た。一泊二食で、¥6,500円は、大変安く感じた。
おだやかな女将さんと宿のご主人に見送られ、一番最初に宿を発つ。
ヘッドランプで足元を照らしながら、ゆっくり進む。
後続の人たちが、六根清浄(ロッコン ショウジョウ)の歌を歌いながら、追いかけて来る。
30分で、仙水峠に到着。ご来光を仰ぐ。
はるか向うの雲海に太陽がじょじょに出てくる。
このチャンスを逃がすまいと、何枚も撮りまくる。
ご来光で山頂が逆光となっている甲斐駒ヶ岳を写真に収める。
逆の背中には、ご来光で一杯の光を浴びた仙丈岳が遠望され、また、右手にはオベリスク(地蔵仏)に象徴される白鳳三山が見られた。
同じ仙水小屋に宿泊していたご夫婦が到着、御二人の記念撮影買って出る。
ここから60分、林の中を急登し駒津峰へ、南に視界が開けたところで、白峰三山の北岳や仙丈岳を眺め、うっとりする。
高山での眺望の素晴らしさを満喫するとともにスナップに収める。
駒津峰に立つ。眺めが素晴らしい。ここで、私が気に入った甲斐駒ヶ岳の雄姿をスナップを納めることが出来た。
峰に立つ人の向うに甲斐駒ヶ岳が撮れているものだ!!
この写真で、21年の賀状の裏面を飾った。
これから峰を進み、直登コースとなだらかコースの分岐に到着、2人はためらうことなく直登コースを採る。
最初が、最大の難関だった。おおきな岩が立ちはだかっており(地図の「巨大な岩石 六万石」か)、やもりのようにへばり着く。縦に長く、ひらべったく、約180cmの背の高い私でも、右足をなかなか掛けることが出来ず、一瞬転落するかと思って、恐怖を感じた。続いて、大きめの岩石があったが、これもクリア、安心、安心。
直登コースなので、早く着くかと思ったが、駒津峰から2時間かかってしまった。
2,967m甲斐駒ヶ岳の山頂制覇。
大塚山歩会のフラッグを2人で持ち、Kさんとのツウショット。
ここの眺めもまた素晴らしい、良く晴れ渡った空のもとの白峰三山、白鳳三山、仙丈岳を遠望しつつ、デジカメに収める。
まだ、時間もはやく魔利支天に向かう。
ここは、殆んどの人が向かわず、パスしていた。
花崗岩の砂礫のなか、頂上に向かう。頂上には槍や剣が備えられていた。
魔利支天から、本来のコースに戻り、駒津峰に帰着。休憩後、双児山に向かう、視界も良い、瓦礫のだらだら坂だ。
降りが終わり、登りになると普通の登山道になった。早く、早く双児山に着かないかと思うが、足が思うように進まない。疲れが出だした。
12:30双児山到着、昼ご飯を終え、出発。
その後の休憩の時、なんとなく足が痛く、疲れが出たので、もう仙丈岳は中止し、来年に登ろうということになった。
なんとなく2人の意見が一致し、今日下山することとなった。
ここから、北沢峠まで、長く長く感じた。多分疲れのためと思う。
14:00北沢峠到着、下山バス時刻確認、90分待たざるを得なかった。
山小屋長衛荘の水貯め枡を借り、肌の手入れをする。冷たい水が大変心地よい。
Kさんは、山小屋でコーヒー等、私はバスの待合テントで、ゆで玉子をよく噛み締めて、ゆっくりと食べた。
黄みに食卓塩をかけておいしくいただく。幸せ、幸せ。下山で気持ちも一段落し、ゆったりする。
心地よい、午後の一時を、テントの中で過ごした。
下山途中、仙丈岳に行っておけば、良かったかなあと・・・思うこともあったが、帰宅できるのでホットしてしまう。
今思えば、仙丈岳へ昨年行っておけば、今年(21年)は他の百名山を狙えたと思うと・・・・残念であった。
昨20年、残念した仙丈岳登山のプランを4月から5月にかけ練りました。5/20大塚山歩会の委員会で検討し最終案を決定しました。過去2年の経験がありましたので、大いに助かりました。
19年 北岳(3,192.4m、山梨県南アルプス市)
2泊3日 天気よし、しかし一時驟雨肩ノ小屋で雨宿り。
1泊目 白根御池小屋 夕日に染まる北岳、逆光の鳳凰三山を見ながら冷た
い 缶ビールを味わう。
2泊目 プラン北岳山荘(山梨県営)、結果北岳肩ノ小屋。
小屋前に、小さな雪渓が残っていたので、足を踏み入れ、雪渓を味
わう。
その傍に、「キタダケソウ(北岳しかない花とのこと)」が咲いており、デ
ジカメでパチリ。
3日目のコース、八本歯ノコルから左俣コースを、山小屋の人に確認したと
ころ、雪のためアイゼン必要とのこと。急遽、コース変更、来た道を引き返
し、二度北岳に登頂し、肩ノ小屋に宿泊する。
北岳山荘の宿泊場所に一旦荷物を置きホットしたが、また引き返しだ。
北岳山荘泊の小パーテイが、バッグを置き、間ノ岳(アイノダケ、3,189m)
に出かけていた。
私も行きたいなと感じたが、行けず残念であった。
20年 甲斐駒ヶ岳(2,967m、山梨県南アルプス市と長野県伊那市との境界上)
プラン2泊3日
結果1泊2日 天気よし、暑い暑い二日。高い山でも、だんだん暑くなるよう
に感じた。温暖化の影響か。
1泊 仙水小屋 標高2千m超だが、暑く感じた。登山客一番乗り。小屋
の野外の休憩所兼食堂でゆっくり休む。
小屋横に、豊富な引き水がどんどん流されていた。こんな小屋は
初めてであり、豊富な水源があるものだと驚いた。
なんと、なんと、夕飯にいかの御刺身が出てきました。御刺身の出
る山小屋として有名だそうです。
翌朝3:30、宿泊客全員起床、その後朝食、私たち2人まだ暗い
4:00山小屋出発、ヘッドランプを使う。
4:30ごろ、仙水峠着、幻想的な雲間のご来光を仰ぐ。
21年 仙丈岳(3,032.6m、山梨県南アルプス市と長野県伊那市との境界上)
プラン1泊2日 当初、大平山荘でしたが馬ノ背ヒュッテに変更する。
昨年と同じ日となる。
<日時>平成21年 7月 25日(土)~26日(日)
<集合> JR新宿駅 10番線 7:00 特急「スーパーあずさ1号」5号車自由席(4~6号車自由席)
<コース>
一日目 新宿駅(7:00)― 立川(7:21)― 八王子( 8:29)- 甲府駅(8:28 乗換 9:00)=【バス 約2時間】= 広河原(10:56 昼食・乗換 12:20)=【バス 25分】= 北沢峠(12:45~13:00)・・○60×2・・大滝頭(15:10~15:20)・・○60・・馬ノ背ヒュッテ(16:30)
<泊>馬ノ背ヒュッテ:長野県伊那市長谷黒河内2681の二 0265-98-2523
ダケカンバの林に囲まれた、明るい雰囲気が漂う収容100人の山小屋
二日目 起床 4:00~ご来光・食事 4:30~馬ノ背ヒュッテ(5:00)・・○90・・仙丈岳(6:50~7:10)・・○40・・小仙丈岳(7:50~8:00)・・○40・・大滝頭(8:40~8:50)・・○80・・北沢峠(10:20~大休止・昼食~
12:55)= 【バス 25分】= 広河原(13:20 乗換 13:30 )=【バス 約2時間】=甲府駅( 15:26 乗換 16:02 特急「あずさ22号」)― 八王子(16:58)-立川(17:09)-新宿駅( 17:34 )
<実歩程> 一日目【 3 時間 】、二日目【 4 時間 10分 】
<地 図> 昭文社「 北岳 甲斐駒 」1/50,000
<費 用> 新宿3,510×2、バス (2,000+750)×2、泊7,500、弁当1,000、
計21,020
<持ち物> 日帰りハイキングセット一式、ヘッドランプ必携
天候の安定する日にちを選んでいるが、好天を願う!!
小屋には8名の予約、晴れ男・晴れ女の参加を乞う!!
外秩父七峰縦走ハイキング大会 その14 スナップ:野球帽・完歩賞状・外秩父ハイク小冊子
第24回 外秩父七峰縦走ハイキング大会 21.4.19(日)
バスで白石集落到着・スタート09:13⇒白石峠10:06⇒定峰峠10:46⇒旧定峰峠11:22⇒大霧山11:56⇒登谷高原牧場12:40⇒二本木峠13:15⇒皇鈴山13:45(25分休憩)⇒登谷山14:30⇒日本水(やまとみず)接待所14:57⇒中間平15:30⇒ゴール鉢形城歴史館16:52
実歩程:6時間9分 休憩時間:1時間30分
交通費:池袋ー小川町、寄居ー池袋 電車1,800円、小川町=白石車庫 バス600円
晴れ渡り暑い暑い夏のような天候のもと、長い長いコースに挑みました。
昨年は、東武竹沢駅から白石峠までの19.9km挑戦、今年はその後半22.1kmとなりました(トータル42.0km)。
受付からバスに乗り白石集落に向かう。年を経るごとに参加者が増え、今年の参加賞は手袋で、だんだん悪くなる感じがする。バスの終点白石集落は、葉桜になっており、昨年の桜万開にくらべ寂しい感じがした。
定峰峠までは、白石峠の170段の木段を除けば、快調に飛ばす。
定峰峠で、トイレ後オムスビを口に入れ、5分ばかり休む。
大塚山歩会のFさん、Tさんの先行を知らず、急ぎに急いだ、この調子なら来年は1日で完歩できると甘い算段をしていた。
しかし、旧定峰峠を過ぎ、少しづつ身体に疲れがたまり大霧山直前の急登ではノロノロとなり、多くの人に抜かれてしまった。
だが、一昨年よりは早い908番目に到着した。
頂上で一休み、5分ばかりで腰をあげ先を急ぐ。
粥新田峠からは舗装道路となった。
登谷高原牧場につき、今年はアイスを食べ、糖分の補給を目論だ。しかし、その効果は現れず、太もものしびれが少しくる。
二本木峠に着く、そうすると両腕を丸めて合図を送るおしゃれな野球帽・サングラスの人物あり、最初誰に送られているのか分からず、眺め続けて、そうだTさんだと、ようやく気づいた。
想像外であり大いに驚く、立ち話、記念写真をお互いに撮る。
そして、私は皇鈴山へ向かった。下山かと思ったTさんは皇鈴山で私を追い抜き、16:02鉢形城歴史館に到着していた。
Fさんは、白石峠でTさんと別れ、堂平方面を散策されたとのこと。
皇鈴山へのだらだら坂で一昨年と同じくガス切れで、足に痺れが来てしまった。
どうにか、峠につき、痺れと疲れのため大きく尻餅をついてしまい、直ぐエネルギー補給のためサプリメントをがぶ飲みし、次の登谷山に備えた。
靴下の交換や疲れのため25分も休んでしまった。
その後、登谷山への登りは、サプリメントのおかげで凌いだが、頂上で休み、眼下の寄居町方面の景色の良さに感動した。
釜伏峠では日本水(やまとみず)と漬物の接待を受け、やや元気を取り戻し中間平に到着、ここの東屋で最後の休憩を取り、オムスビをいただく。
中間平から約70分、長い長い舗装道路をテクテクと歩く。
足裏が痛いが、がまんがまんで周囲の風景で気分を紛らわせながらゴールの鉢形城歴史館に向かった。なかには、ランニングの人も見られ、すごいなあと驚く。
当初はすごく調子がよく、1日で完歩できるかと思ったこともあったが、見当違いであった。
しかし、ようやくゴールに到着し野球帽等を手にしたとき、大きな喜びが涌いた。
このため、また来年もこりず、参加しようかと思ってしまった。
外秩父七峰縦走ハイキング大会 その13 スナップ:ゴール風景、鉢形城歴史館広場
中間平を5分ばかり降ると、分岐、一昨年ゴールへ向かった左手の道路、昨年からコース変更で右手に曲がる。
下りが秋山集落まで続き、その後平坦な道で、田園風景の中を進む。
一部畑が見られ、桑畑が残っていたが、その木には、蚕葉(カイコハ)は無く、坊主であった。
桑の木は、畑の中で黒い拳(コブシ)の様に見えた。
桑の木とは、なかなか分からないと思い、その写真をとり、知人のTさんにクイズとしてメールで送った。
スポーツドリンクのアクエリアス(コカコーラの製品)を30分ごとに、2~3口飲みながら、足の痺れを防ぐ。
なかなか、JR八高線(八王子~高崎を結ぶ鉄道)の踏切を通過できず、遠く遠く感じる。
民家の庭先に素晴らしい藤の花が見え、パチリ。
鯉のぼりを見ることが出来、これもパチリ。登谷高原牧場で見られなかった鯉のぼりを見て、その良さを噛み締めた。風を吸い込み、ゆったりと泳ぐ鯉のぼり。
ゴールに急ぐ、参加者。道路の片側、歩道をほぼ1列でえんえんと続く。
早く、早くゴールに着け着けと心の中で叫ぶ。
中間平から70分、ようやくゴール近くに到着。
ゴール直前、コースを左手に折れ、100mばかり進むと右手に鉢形城歴史館の大きな広場に着きました。
次々にゴールに到着し、参加カードの下にある署名欄に名前を書き、それと引き換えに完歩賞を受け取っていた。
私は、予め名前を書いていたので、直ちに完歩賞の引き換え場所の行列に並んだ。
賞品の中、「野球帽とウェストポーチ」は、どちらかを選択することとなる。
私は、迷わず野球帽(グリーン基調に「七峰縦走とNanamineJyuso」の竹色の刺繍入)を選択した。
2年間の苦闘が報われた一瞬だった。
外秩父七峰縦走ハイキング大会 その12 スナップ:中間平からの展望
ここからの展望も素晴らしいものだ!!
登谷山山頂に劣らない眺めである。
眼下には、荒川を真ん中にし、左手に寄居町(最終ゴール地点鉢形城歴史館のある町)、右手奥に熊谷市、荒川の延長線上に太田市や桐生市が遠望出来る地点である。
15:30到着、プランより1時間早く着く。
ここで最後の休憩を取る。
舗装道路は既に登谷山山頂から続いているが、これからゴールまで長い長い舗装道路となり、時間的なプランでは65分歩かなければならない。
外秩父七峰縦走ハイキング大会 その11 スナップ:釜伏峠無料接待所
本当にありがとうございます。接待所にはおいしい日本水(ヤマトミズ:名水百選の一つ)や多くのグレープフルーツ、漬物三種きゅうり、奈良漬け、梅干が並べてありました。
私は、おいしい日本水を口に含みながら、漬物三種をほおばりました。
塩分補給で、大変多くいただきました。本当に本当にご馳走さまでした。
ここで親切なもてなしと励ましの言葉をいただきました。
接待所を出るとき、大きな声で「ありがとうございます。」を叫んで後にしました。
接待所近辺には釜伏神社や峠の御旅所(オタビショ:江戸時代の休憩所)の跡がありました。
ここから少し降りたところに江戸時代の関所跡がありますので、さどかし往来が盛んだったのでしょう。
釜伏神社の狛犬は、狼となっています。山岳信仰がある場所では、狼の狛犬のようですね。同じ秩父の武甲山神社や両神山神社等の狛犬も同じ狼です。
本接待所から15分ばかりの見晴らしの良い中間平(チュゲンダイラ)に向かう。
よく晴れわたった素晴らしい一日でした。 スナップ:記帳画面
平成21年4月10日、天皇・皇后両陛下のご成婚50周年記念の記帳参賀に行ってきました。
午前の仕事を終え、和田倉噴水公園内を通り皇居前広場へ進んだ。
和田倉噴水公園は、両陛下のご成婚を記念して造られたものであり、ここも色々な花で飾られ、警察音楽隊の祝賀演奏が行われようとしていた。
皇居前広場から、坂下門へ足早に進む。外人さんも参賀に加わっている。
すみませんで、前を行く女性に頼み、坂下門前で記念撮影。
機動隊のボデイチェックを受け、坂下門の入口にスマートな儀仗警官が立哨、このスナップを撮り坂下門を通過する。
そうすると宮内庁の正面玄関が見え、記帳場所が設置してあり、多くの人が次次と記帳していた。
私は、記帳紙に「東京都 ○○○○」とした。
区あり、県あり、市あり、頭書きはマチマチでした。
ここにも、音楽隊がおり祝賀演奏を見ようと多くの人たちが留まっていた。
後になりますが、ここに両陛下がおいでになったとのこと。
右周りで、富士見櫓を眺めつつ、桔梗門へ向かう。桔梗門の横に戦前の枢密院の建物や巽櫓(タツミ ヤグラ)を見て、桔梗門を潜る。
ここでも、同年輩の人に記念撮影を依頼し、スナップを撮る。
初めて坂下門から入り、宮内庁に行き、桔梗門から出てきてことは、記帳参賀とともに記念すべき一日となりました。
ご成婚のお祝いはもちろんのこと、これからも両陛下がお健やかに過ごされることを、一国民として祈念してやみません。
外秩父七峰縦走ハイキング大会 その10 スナップ:登谷山山頂
最後のチェックポイントに無事到着、山頂に腰を降ろし、広い広い関東平野を遠望した。
一昨年は、山頂直前でガス切れを起こしたが、今回は、皇鈴山で飲んだカロリー即補給ゼリーのお陰で足の痺れに襲われなかった。
この山頂は、電波塔にスペースを奪われ、細長く狭く、特徴がない。
下山途中、左手に逆行で霞んだ荒川と長瀞方面が眺められ、写真に収める。
山頂からゴールまでは長い、長い舗装道が続く。
当面の目標、ここから15分ばかりの釜伏峠の日本水(ヤマトミズ)と漬物の無料接待場に向かう。