山行記録・写真

楽しいことや苦しいことの思い出をブログにしてみました。

27年 立山登山 7

2015-08-31 03:23:17 | 大塚山歩会山行

27年 立山登山 7

27.7.28(火)その1

三の越からの風景。

 

夜中の豪雨。

コース変更。

晴れ間をぬって、雄山往復、下山となる。

一の越山荘に荷物を置き、雄山登山。

きついこと、きついこと。

女性の同僚と三の越で待つことにした。

(一の越 山荘のある場所。二の越三の越・・・四の越以降があるか、確認せず。・・・雄山頂上=雄山神社)

ザックを背負い、この斜面を登れば、登れれなかったのではないかと・・・・・自問自答・・・・・コース変更でよかったと、安堵する。

 1時間ばかり、三の越で待つ。

登山客・・・下山客でにぎわう。

 ここから、剱岳が遠望される・・・・・4年前の剱登山を想い出す・・・・・・・。

 あの際もラッキーで・・・・・剱頂上では、晴れ間でした。

 

 

 

 

・剱

 ・雄山頂上(建物は、雄山神社の社務所。雄山神社は、社務所に隠れ見えず。) 

 ・高山植物

 

 

 


27年 立山登山 6

2015-08-30 17:54:45 | 大塚山歩会山行

 27年 立山登山 6

➀ 27.7.27(月)その5

一の越山荘に到着。

到着は、息切れをした同僚を見ながら最後尾で到着。

私自身も、2年ぶりの高山のため、息苦しかった。

同僚4名は、雄山まで行ってくると、出かけて行き、無事帰ってきました。

 

山荘の窓越しの雪渓等の風景を撮る。

 

ここでの休憩、夕食、ビールで乾杯、朝食等を摂る。

 

 

 

 

・生ビールで乾杯

 

毎度のことながら、生ビールで乾杯・・・・・・おいしい、おいしい・・・・・。

 

 

・夕食のメニュー

 高山のためかじゃがいもが煮えてなく固く食べ残す・・・・・・・。

夕食時は、地酒の日本酒が・・・・。

 

 ・朝食のメニュー

富山名物の昆布巻きかまぼこ、初めて目にする「スティック納豆」等・・・・・・・・・。

 


葉室麟 作品集 「千鳥舞う」 3

2015-08-25 12:40:51 | 葉室麟 作品集

 葉室麟 作品集  「千鳥舞う」 3

「月神(筑前黒田藩士の月形洗蔵の信念は、「月となって夜明けを先導」、これを信じ従兄弟の月形潔が樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、管理にあったての葛藤を描いたもの。)」読破後、女性絵師の春香(しゅんこう。絵師としての号)=里緒(りお)を主人公にした、男女あるいは親子の愛憎を描いた、「千鳥舞う」を、27.8.25(火)0855読み終えた。

 

葉室麟氏は、女性を主人公にした小説の素晴らしさを、最近読破の「橘花抄(きっかしょう)」と同じように感じた。

博多八景を屏風に描いて欲しいとの依頼を受け、これを完成・披露するまでの姿が描かれている。

春香は、筑前黒田藩の作事方、七十石箭内重蔵(やないじゅうどう)の三女に生まれる。

幼いころから絵を描くことを好み、十歳の時に衣笠春崖に入門がかなった。

 

杉岡外記=守英が、博多の青蓮寺(しょうれんじ)からの依頼で屏風図を描くため、江戸から博多に訪れた際、同門よしみから衣笠春崖が手伝い絵師の世話を頼まれ、春楼と春香を推挙した。

箱崎浜で竜巻がつれてきたのか、おびただしい数の千鳥が舞うのをみて、杉岡外記がこれを描くと・・・・声を震わせて叫んだと・・・・・。

ここに、「千鳥舞う屏風」の誕生のきっかけが・・・・。

また、この1年後、春香の下駄の鼻緒が切れ、このため浜から、春香の住む町屋へ杉岡外記におんぶされ・・・・・

杉岡外記を引き留め、夕餉を終え、絵について語りあっていくうちに、・・・・・身も心も激しく求めあった。

杉岡外記は江戸に妻ある身、不義密通となり、二人でつくりあげた「千鳥舞う屏風」は不浄なものとして焼却されてしまった。

 

二人とも破門された。

 

杉岡外記は、博多を去るにあたって、春香に江戸の妻女と離縁し3年たてば博多に舞もっどってくるとの手紙を残した。

 

3年が経ち、杉岡外記が破門を解かれるとの話から、衣笠春崖は春香の破門を解き、亀谷藤兵衛の依頼の屏風の作成を担わせた。

 

博多八景の屏風の下絵をつくるため、お文を伴って風景をみつつ、どのような図柄にするか・・・・・・この思索のなかで、男女あるいは親子の愛憎にふれ、自身の杉岡外記に対する愛とを重ねあわせ、描かれている。

 春香は、杉岡外記が博多に船で帰ってくる風景を描きたいと、願っていたが、かなわなかった。妻に毒をもられ、一旦回復したが、衰弱がひどく遂に帰らぬ人となった。

この悲しみを乗り越え、絵師として力強く生き抜く決心をした。

 

博多八景

・濡衣夜雨(ぬれぎぬやう) 石堂川の河口付近の濡衣塚の周囲の風景を描いたもの。

・永橋春潮(ながはししゅんちょう)  那珂川の河口に、かって架かっていた、まぼろしの永橋(約147メートル)を描いたもの。

・箱崎晴嵐(はこざきせいらん)  箱崎浜に晴嵐(晴れた日の吹く山風)が吹くことを描いたもの。

・奈多落雁(なたらくがん)  奈多海岸の風景を描いたもの。

・名島夕照(なじませきしょう)  多々良川の河口に近い博多湾を望む名島の浜の夕日と茜色の海を描いたもの。

・香椎暮雪(かしいぼせつ)  香椎神社(もともとは廟(びよう)で香椎廟と呼ばれたいた。この地で没した仲哀天皇の霊を神功皇后が祀ったのが始まりとされる)の夕暮れの雪を描いたもの。

・横岳晩鐘(よこたけばんしょう)  筑前黒田藩菩提寺の崇福寺(そうふくじ)を描いたもの。

・博多帰帆(はかたきはん)  博多津にに入ってくる帆船を描いたもの。

 

主人公を取り巻く主要な面々

・杉岡外記=守英(もりひで。狩野派の芸名)  春香の想い人。江戸の絵師、妻女あり。狩野派一門。

・衣笠春崖(きぬがさしゅんがい) 春香の師匠。筑前黒田藩の御用絵師。

・春楼(しゅんろう) 春香と同門、兄弟子。

・お文 絵を描く手助けで、付き人。父は、殺人で流罪、赦免博多に帰る。

・お葉 身の回り世話、付き人。一時、夫とうまくいかず、絵に没頭、その師匠と駆け落ちを考えたが思い留まる。夫ほ、白水養左衛門(しろうずようざえもん)、もともと目医者、筑前黒田藩藩主永溥(ながひろ)の改革で御救い奉行となり改革を進めるが失敗、その後の献策で御咎め受け、お文の父の赦免船で流罪となる。

この際、春香に夫を待つと伝えた。

・湖白尼(こはくに)=お雪 春香の師匠衣笠春崖の想人、武家の奥方、夫が死亡し尼となる。衣笠春崖が絵の手ほどきで好きになったが思い留まり、生涯独身を通す。衣笠春崖を看病し、最後を看取る。

・亀谷藤兵衛 春崖を通じ、春香に屏風つくりをお願いした博多の豪商。屏風は、「人々の心願」となると、春香を物心両面で支える。1800年代幕末、筑前黒田藩の改革失敗のあおりで、謹慎、加瀬茂作に後事を託す。

・加瀬茂作 博多の豪商。屏風の完成および披露を助ける。

 

印象にに残った文章

・P6 放生会(ほうじょうや) 毎年815日、筥崎宮で行われる。本来、放生会(ほうじょうえ)は、仏教の殺生戒により捕らえられた生き物を放す儀式。博多では、放生会(ほうじょうや)と言われ、朝廷が九州の隼人族を征伐した後、戦で犠牲になった敵味方の霊を慰めたのが始まりと伝えられているとのこと。

 

・p343 葬式  「・・・・・・・なにゆえ、人が葬式行うかと言えば、亡くなった仏が親しき者を道連れにせず、一人で成仏してもらうためじゃ。ひとりで成仏するのは寂しかろうゆえ、皆でにぎやかに見送ってやるのが、葬式じゃ。親しいものが逝ったからというて、自らの生きる力を失うては亡くなった者がこの世へ未練を残して成仏の障りになろうど」


葉室麟 作品集 「月神」 2

2015-08-23 13:27:44 | 葉室麟 作品集

 

葉室麟 作品集  「月神」  2

「橘花抄(きっかしょう)」の前後に、「月神」を8.23(日)1015読み終えた。

時代背景は、幕末から明治18年、筑前黒田藩士の月形(つきがた)洗蔵と月形潔の従兄弟の物語である。

月形(つきがた)洗蔵は、筑前黒田藩尊王攘夷派の中心として志士を先導したが、藩主の意に添わず入牢後、斬首された。

その従兄弟が月形潔で、兄のように慕っていたのが月形洗蔵で、その信念は、「月となって夜明けを先導」するとのことであった。

この言葉を信じ、明治13年(1880年)421日正午汽船で函館着から、北海道の踏査および樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、典獄(現在の刑務所長)として明治18年までの5年間におよぶ、葛藤を描いています。

 

注:樺戸集治監(現在の刑務所)の地は、月形潔の「月形」をとり「月形村」と命名された。

  現代、月形村は、月形町になり、観光スポットとし樺戸集治監(現在の刑務所)があげられている。

  樺戸集治監(現在の刑務所)は、明治14年開庁、大正8年廃監される。

 

主人公を取り巻く主要な面々

 

・海賀直常 筑前黒田藩士で、月形潔を補佐する。

・レコンテ アイヌと倭人(父)の混血児。樺戸集治監(現在の刑務所)の踏査の案内役。月形潔の従僕となる。最後、囚人の脱獄の主犯となり、死亡する。

・杉村義衛=長倉新八 新選組2番隊長、近藤勇と袂を分かつ。明治4年杉村家の養子となる。剣術(サーベル)指南として樺戸集治監(現在の刑務所)に来監。

・五寸釘の寅吉 囚人で何時脱獄するかも分からない注意人物。6回脱獄。最後は網走監獄で模範囚となり、72歳で釈放される。

・月形磯 月形潔の妻。養蚕を月形村に広め、殖産の一助を担う。

 

 

神にかかわる言葉

 

・月神 神功皇后が征韓の船を出したおりの先導神は月神であった。

・カムイ アイヌ語で神

・ウェンカムイ 悪い神

・キンムカムイ 羆で山の神

・クンネ(黒い)チュブ(太陽)カムイ 月神

・ペケレチュブカムイ 日神

・アイヌの日神と月神 この国の霧でおおわれ暗い場所を照らそうとし、日神は雌岳(マツネシリ)から

月神は雄岳(ピンネシリ)から黒雲に乗り、天に登ったとのこと。

 

 

印象にに残った文章

 

・p-153 「監獄は一軒の家で言えば便所のようなものだ。不浄だが、ひとが生きているかぎりつきまとう。便所を清潔できれいにしている家は、家風がしのばれる。国家の監獄もまた同様ではないか。監獄がまさしくひとを悔い改めさせ、善用する道を開くならば、その国家は前途洋々としている。」

 

 小説では、北海道への船中で海賀直常が嘯いたと描かれており、月形潔が、「心中では深く感銘を受けていた。」とある。

 

これは、樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、管理するための導き=指針となるもであろうと考える。

月神に通じるものがある。

 

もう一つ妻の励ましの言葉にも、月神に通じるものと思われる。

・p-272 木に例え、「木々の根は地中に隠れて見えませんが、根がなければ幹や枝が伸びず、葉も茂ることがなく、まして花は咲きません。あなたは根の仕事したのだ、とわたしは思っております。」

 

 

・p-282 「誰もが役割や使命を帯びてこの世に生まれてくる。」

私は、この言葉に一番感銘を受けた。

この言葉をいつも胸に秘め、日々を過ごしたいと痛切に感じた。

 

寝屋川市の殺人事件等に思いをいたせば、他人の命を絶つことは許しがたいことだ・・・・・・・。

 


葉室麟 作品集 「橘花抄(きっかしょう)」 1

2015-08-22 06:02:46 | 葉室麟 作品集

 葉室麟 作品集 「橘花抄(きっかしょう)」 1

葉室麟の小説に出会ったのは、確か「蜩ノ記」であったと記憶する。

現在、葉室麟の作品集にはまっている状況で、ほぼ毎日読んでいる。

NHKの木曜2000からの時代劇でも、取り上げられた。

 

この45日で、「橘花抄(きっかしょう)」を読み終えた。

筑前黒田藩をめぐる内紛を描いたものだ。

この内紛のなかで、藩主に対し家臣はどうあるべきかを、「自己の生きる道」を全うすべきはどうするかが刻銘に描かれているようにも思われた。

時代背景は、1700年前後、3代光之~4代綱政藩主をめぐる親子の葛藤が内紛の元凶である。

 

主人公は、卯乃(うの)という女性であり、この内紛に翻弄されながら、悩み悩みながら自分の道を探し当てていく姿が描かれている。

葉室麟氏は、女性を描くことが非常にうまく、この作品では、和歌および香(香を聞く=香をかぐ)を随所に入れ、こまやかで揺れる女性の感情を綴られています。

 

皆さま、どの作品でも読んでみてください。

たぶんはまってしまうと思います・・・・・・ごめんなさい独断で。

時代背景は違うと思いますが、おおいに人生の指針になるかと思います・・・・・・・・。


27年夏 第97回全国高校野球選手権大会 優勝戦

2015-08-21 10:47:24 | 夏 高校野球選手権

27年夏  第97回全国高校野球選手権大会(100周年) 優勝戦

最初から、最後まで観戦してしまった。

準優勝戦で東京代表の二校、特に「西東京代表 早実」が負けて、がっかりしていたので、見たくないと思っていた。

出来れば、関東で残った「東海大 相模」に勝って欲しい、早実の敵討ち(少し過激か。)・・・・・・・・。

前半、東海大相模が有利に試合を進めていたが、仙台育英が6点に追いつき、勢いが増し、優勝か・・・・一瞬思った。

しかし、9回表、東海大相模の投手小笠原選手が、ホームランを放ち、勝機が・・・・・。

なおも、攻撃が続き計4点を追加した。

これで、よほどことがない限り東海大相模が優勝かなと思った。

ただし、9回の裏の攻撃は有利であり、まだまだ油断できない。

結果は、3選手がフライをあげ、打ち取られた。

 

両校の選手の打力は素晴しく、10-6とお互いに力を尽くした結果だと感じた。

佐藤投手および小笠原投手、どちらもよく踏ん張ったと、おおいに感じました。

他の選手にも、エールを惜しみなくおくります。

 

この夏、参加高校は3,906校とのこと。

この頂点にたった東海大相模、惜しくも敗れた仙台育英素晴らしい結果、感激しました。

高校野球100周年の節目、意義ある記念大会、今後も私たちを楽しませてください。

 

 


27年 立山 登山 5

2015-08-16 18:35:26 | 大塚山歩会山行

 27年 立山 登山 5

➀ 27.7.27(月)その4

一ノ越山荘からの夕暮れ(日没)

 

久し振りの夕暮れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

その光景は、素晴しいの一語につきる。

 

 

・夕日が立山に映える

 

・日没

 

 

・日没後


胃がん治療 2

2015-08-15 03:41:09 | 胃がん治療

 胃がん治療 2

 

手術後の胃がん治療の定期的な通院27.8.12(水)で終了。

 

昨年26.8.11、胃の2/3を切除して丸一年。

 

78月のCT検査の結果、胃がんの転移は見られないとのことでした。

 

 

 

これまで、1ヶ月に1回受診。

 

ここで、血液検査、その結果に基づく問診で、

 

投薬の処方を受けました。

 

投薬は、大鵬薬品の「TS-1」です。

 

1日に2回、カプセル2錠を朝夕、食後30分以内に飲みました。

 

 

 

副作用はいろいろあるようですが、私は4つの症状がありました。

 

味覚障害、目やに、体重減少および爪が黒くなりました。

 

 味覚障害

 

 これに一番苦しみました。

 

 何をたべても、甘く感じることでした。

 

 このため、塩辛いものを食べました。

 

 この1ヶ月は、「キムチ」を食べ、食べ物全体を辛くしました。

 

 ほとんどの患者さんが経験するとのこと。

 

 このため、漢方薬に頼ろうとしましたが、しませんでした。

 

② 目やに

 

 手術6ヶ月後の今年2月頃から激しくなりましたが、いずれ治るだろうとほっておきました。

 

 花粉症の影響かと思いもありました。

 

 目やにで、まぶたがひっつき開けられないような日々が続き、83日に眼科に通院しました。

 

 ドライアイと診断され、涙液が不足、このため人口涙液の点眼剤をもらい点眼しています。

 

③ 体重減少

 

   手術前は65kgぐらいありましたが、10kg超減少、53~54kgぐらいになりました。

 

 医師の言、回復は出来ないと・・・・・。

 

 生活に支障はありません。

 

 しかし、良いこともありました。

 

 血圧が正常値になりました。

 

 これまでは、高く、150と90前後でした、

 

④ 爪黒

 

 投薬当初は気にかかりましたが、最近はその症状はほとんど無く、気になりません。

 

 

 

今後は、3ヶ月あと、血液・CT検査でがん転移の有無を確認するとのこと。

 

 

 


27年 立山 登山 4

2015-08-14 07:56:34 | 大塚山歩会山行

27年 立山 登山 4

➀ 27.7.27(月)その3

 ・室堂-一の越山荘( 宿泊)

今年は雪が多く、いたるところに雪渓が見られました。

4年前、立山および劔登山の際は、残雪・雪渓は少なかった。

 

 

・雪渓下山中の小学生、雄山頂上(社務所)および一ノ越山荘

 

・一ノ越山荘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


27年 立山 登山 3

2015-08-09 11:04:21 | 大塚山歩会山行

27年 立山 登山 3

 

  

➀ 7月27日(月) その2

   黒部ダムの大放水の圧巻、ここを後にした。 

 ・ 黒部平-大観峰 ロープウェイ

 久し振りのロープウェイ、途中に支柱がないとのこと・・・・・・。

 ゴンドラの中からの眺めは、素晴しい新緑・・・・、天候もよく全周をながめられたが、乗客が多く、正面のみとなった。

  

・大観峰からの眺望 

 

 

 

・大観峰-室堂 トロリーバス

 立山登山の出発点、立山室堂に到着

 ・室堂平の石碑

 ・室堂平から立山(ガスに覆われている雄山頂上)