NHK大河ドラマ「真田丸」 8 「調略」 28.2.28
< 1582年(天正10年)6月2日・・・・ 本能寺の変、信長 49才、武田を滅ぼした3ヶ月後。>
< 1582年(天正10年)6月13日(6月2日本能寺の変、11日後)山の合戦。羽柴、明智を負かす。>
< 1582年(天正10年)6月18日 北条上野へ侵攻。 神流川(かんながわ)の戦い。瀧川、北条に敗れる。>
< 1582年(天正10年)北条、信濃へ侵攻。川中島で上杉と対峙。徳川の甲斐侵攻を知るや甲斐へ転進。上杉、部下の反乱で信濃から引き上げ、信濃は国衆のみとなる。>
北条、武田領を呑み込もうとしている。
徳川、この事態に慌てる。
北条氏直、2万の軍勢で、上野から信濃に侵攻。
上杉も徳川も打倒するとの意気込み。
信州の海津城(後の松代城)。
上杉景勝は、旧武田家臣春日に信頼している旨を告げる。
真田郷。
兄、父に北条を蹴散らそうと・・・・。
海津城。
叔父と信繁、旧武田家臣春日を調略しようと・・・・。
春日、「お館と一緒に討って出ようと言ったが、春日は城に残れ、海津城は川中島の要」と。
叔父、春日へ「兄は上杉には勢いが無いので北条につく。北条につこう」と力説する。
しかし、春日、「この話は無かったことにしましょう。御免」と立ち去る。
信繁も、機会を捉え説得。
「信玄公への恩はどうか。北条は信玄公の娘婿なので、北条につくことが御恩返しになるのではないか」と。
春日、「二度とこの話をするな」と強く言われた。
真田郷。
父、「海津城の調略がうまくいかない。氏直にあってこよう」と出かける。
岩櫃城の兄へ父からの手紙。
「上杉を見限り、北条についた」
これにより、兄出陣。
父、北条氏直の陣屋へ出向く。
氏直「真田は遅い。よう出向いて来たな」と糾弾される。
同じ国衆が助け船、「真田は小県(ちいさがた)のまとめ役」と・・・。
氏直、「箕輪城に控えておれと」と。
父、「お土産として、海津城の春日を味方に」と答える。
そこに、氏政が陣中見舞いとして訪れる。
氏政、氏直へ「上杉に勝てるか」。
氏直、「勝てる」。
氏政、真田を見て、「武田の真田か。ようよう、さすがじゃのう。春日を味方に。礼の申しようがない」と告げる。
父、海津城を春日に与えてやってくれと懇願、氏政「海津城、春日に与えてやる」と。
氏直へ、その件について書状を書くよう命令する。
「氏直は若い。手綱を引いておかなければ・・・・」。
北条3万に膨れあがり、川中島へ侵攻。
これに対し、上杉7千。
海津城。
上杉景勝、真田昌幸が北条についたことを知り、叔父や信繁に対し「許しがたい」と
告げる。
これに対し、二人は「親子ともども、越後に骨を埋めると。」とその決意を言上、許される。
夜分、二人春日に会い、氏直の書状を見せる。
「海津城を春日に戻す」を見せる。
「上杉にいれば、せいぜい城代、これで父の城を取り戻せる。武田が滅んでいなければ、こんな苦労はしてない。貴方の父も同じだ。」
春日、「信玄公が死んだ時、皆死んだのだ」。
「真田は岩櫃城を取り戻した。北条につき海津城をとりもどしては・・・」と説得する。
北条の陣。
昌幸へ弟から手紙、昌幸「春日がなびいた」と。
春日呟く。
「俺を調略するとは考えたものだ」。
北条と上杉、千曲川を挟んで対峙。
間者、氏直に「上杉方1~2万と」言上。
対岸に、春日の磔姿が・・・昌幸調略失敗を悟る。
真田昌幸、氏直へ「3万、上杉を討つのは今だ」と進言。
氏直、「徳川が甲斐侵攻。これから甲斐に向かう」と転進を命じる。
なお、食い下がる昌幸を殿(しんがり)として命じる。
国衆の一人、「昌幸が生きて帰ったらまた会おう」と。
昌幸、「北条氏直分かりやすい男」と呟く。
甲斐、躑躅城、徳川家康。
氏直の甲斐転進が知らされる。
叔父と信繁。
叔父が、「俺のようになるな」と信繁を諭し、春日のもとへ。
叔父が、春日に氏直の手紙を渡し、読ませた後、殺害、自刃に見せかける。
春日が北条方と通じていたように工作する。
景勝、春日を磔にするよう命じる。
叔父、信繁に至急脱出するよう命じる。
その途中、春日の磔姿の前で合唱。
景勝近寄り、「春日は信じていた。越後では部下が反乱を起こした。人の心は分からない」と越後へ
帰って行く。
信繁、父と叔父、春日を利用、二人は恐ろしいと嘆く。
真田郷。
父、兄弟会話。
兄、「あれでよかったのか」。
父、「全て計略のうち、上杉、北条、徳川が居なくなり、信濃には(大名が)誰も居ない。
信濃の国衆で信濃を治める。我らの国を創るのだ。国衆の独立国家だ!!!!」
徳川陣営。
家康、「真田の策か」「上杉と北条を追い出した」「北条と徳川を戦わせて」「恐ろしい」ことだ。
< 来週・・・ 「駆引」 >