自分が切り捨てた念が、その復権を求めて実にデフォルメした形で、意識の中に割り込んでくる。
それは甚だ苦しいことから、ある人は自分の内なる律法に沿った教義を探し出してきてそれを鎮圧しようとし、またある人は医者だ薬だカウンセラーだと騒ぎ立て、人の手を借りて鎮圧しようとするのだ。
人であるからそんな念が浮かぶのは当たり前であり、それに悩むのも人として当たり前のこと。
ただ怖いのは自分は異常だと悩んで孤立感を持ち、夜も眠れないほど悩んで、ヘトヘトに疲れるのが一番怖い。
考えが柔軟な人は、
「あ、変な念が浮かんだな。じゃあバイ元。」
そうしてしまうのだが、考えが堅い人はその念が二度と出てこないようにと、全消しにしようとする。
そのこと自体、自分がその念にとらわれているということに全然気がつかず、その念を強大な敵にしてしまう。
いいですか、
不快な念と戦うことは、その不快な念を本尊にして、我か不快な念か無差別。
そんな野狐禅を組んでいることと同じことなのです。
皆さんはそんな愚かなことをしてはなりません。
以上です。