孤立というのはつらい体験だ。
誰だってこんな体験はしたくないだろう。
だから人は、孤立を避けるために多数派に意志の自由を売り渡す。
そう、意志の自由と引き換えに多数派からの受容という商品を買うのだ。
そして群れから離れてひとりぼっちになると、グダグダグダグダと小文句(こもんく)を並べて多数派集団の悪口を言うのだから、面白いといえば面白い。
考えてみれば、この多数派集団というのも、こんな人と五十歩百歩で、やっていることといえば、反対勢力やマイノリティーへの悪口三昧。
類は友を呼ぶというから、一人で小文句を並べるか、集団で小文句を並べるか、ただそれだけの違いであり、やっていることは、全く同じである。
そしてそんな生活を強要されるから、ある人は心身を病み、ある人は何かに依存し、ある人は犯罪を起こす。エトセトラ。
が、そんな精神生活を神代の時代から多数派に強いられているおかしさそのものに疑問を抱かないのだから面白いといえば面白いが。
隣百姓精神というのは、ある意味多数派集団からの孤立を避けるためにはいいかもしれない。
が、多数派集団というもの。
それ以外にあなたにどんな反対給付をくれたのだ?
逆に最近はいじめの温床であるのが、この多数派集団。
そしたら何がメリットで何がメリットでないのか、愚かなИКМТにはさっぱりわからない。
意志の自由は奪われるは、弱いものいじめの集団にいじめられるは、そんな集まりにいて、あなたは何が楽しいのか?
そんなものから、じゃあバイ元しようではないか!