教育とは洗脳だ。
教育とは教育する側が好き勝手な見解を教育される側にすり込む作業だ。
こんな話をしよう。
ある人に何でも悪いのは相手のせいにせよ。と教育し、別の人には何でも悪いのは自分のせいにせよ。と教育する。
この二人が出会ったらどうなるであろう。
端から見れば、寄席より面白いやりとりが見られることだろう。
これを国際政治でやっているのが、日本と東アジア諸国外交である。
判官贔屓は日本だけに見られる心情で、諸国では負け犬思考と言われ、軽く見られて馬鹿にされるのがオチだ。
立ち上がれ! 日本人よ!
さて、罪業妄想の裏には、ものすごい全能感がある。
つまりナルシシズムの世界だ。
なぜなら、何でも悪いのが自分のせいならば、逆にこの人次第ですべてが良くなるからだ。
喪失体験のシェルには、男女を問わず、全能である男根を去勢されたという心理があるのかもしれない。
これは魔術的思考以外の何物でもない。
話は変わるが、私の文章は非線形文章と定義しよう。
一つの作文にいいたいことが複数含まれているからだ。
学校作文ではペケをもらうであろうが、私の文章の複数の主題を箇条書きにしてみれば、複数の知識が得られることであろう。
そんなわけである。
以上、ИКМТ。