低能の廉だが狂人の廉だかよくわからないが、小学校を追われた。
それで小学校を転校したのだが、転校先での私は、誰も遊んでくれんげっきょうだった。
そんな訳で、近所の年下の子供と遊んでいたのだが、その子供が子供だましのおもちゃで遊んで喜んでいた。
それはめがねの先にレントゲン写真のフィルムが貼ってあり、それをのぞくと、手の骨が見えるというおもちゃだ。
私はその年下の子をみて、子供心に「ああ、子供なんだなあ。」と思っていたのだが、何のことはない。大人も大して変わりないのだ。
実は大人向けの仕掛けもないことはない。
そして、それを娯楽だと見抜いて楽しんでいる人はいいのだが、信じ込んでそれに一喜一憂している大人もいるのだから、大人も子供も大して変わりはない。
それが占いとかの話である。
大体自分の生まれたある恒星や惑星の位置が、今の恒星や惑星となす角度で、これこれの現象が起きるだろうといえるのだ?
それを信じることによって、そのことが、達成予言になっているだけではないか!
また、ある女占い師は、自分は神々と話せると言い、挙げ句の果てにはその姿が見えるという。
これだって、対話性幻聴や幻視の類いと言われても、反論できまい。
それだって、第三者は見聞きすることができないのであるから、証明のしようがない。
さて、そんな目で見ると、世の中の一切のものが子供だましの手品に思えてくる。
政治しかり、経済しかり、その他エトセトラ。
前にも書いたが、そんな仕掛けを作り出すことで、需要と供給が生まれ、食べていける人もいるのだから、それについてガタガタ言うことは、「池ちゃん。あんた、粋じゃないねえ。」と、江戸っ子のハローさんやЗуккйиさんからお叱りを受けそうだ。
それはさておき、ご用とお急ぎじゃない人は、一つその大人をだます仕掛けを研究してみると良い。
頭の良い方は、もっと高級な仕掛けを思いついて、仕事にあぶれた人たちを食べさせていくような人類の恩人になれるかもしれない。
そんなわけである。
以上、管内、今日はどこにしようかな?
京橋区あたりにしておこうか。
管内京橋区でИКМТ。