都市は発狂する宿命にある。
そして発狂した都市の住人は皆、驕児(きょうじ)のようになる。
武家法のように、よっぽど発狂行為に対するサンクションが凄まじくないと。
だから家康は過酷とも言うべきサンクションを制定し、都市の発狂に備えた。
もちろん当時の芸人たちに「管理された発狂行為」を行わせた。
それが遊郭であり、寄席や歌舞伎、そして見世物小屋である。
この「管理された発狂行為」が知りたければ、1984年の党が行う、数々の施策を見ると良い。
いい見本である。
しかし政府と電通は何がしたかったのであろう?
簡単である。
戦後エスタブリッシュメントの完成とその破壊を、声高に主張したかったのである!
もっともその卵は、コント55号や、ドリフターズなどのふざけた連中が跋扈するようになったときに、政府の許可によって、注意深く民の心に植え付けられたのであるが。
年長者に対する不遜。
障害者に対する嘲笑。
そして偏差値教育や企業内の出世主義の導入などに代表される、集団内カースト制の導入。
こうやって上級国民共は、日本国憲法の理念、いいや、フランス革命の理念である、自由・平等・博愛。の理念をぶち壊しにしようとしたのである。
こうやって、1984年ばりの隣人に対する憎悪と、仲間に対する嘲笑などという、隣人愛など微塵もないような世界を作り上げ、それを大いにデフォルメする形で、マスコミが小山田某や小林某などの恥さらし行為を世界に大々的に、自己宣伝したのである。
この、小山田某や小林某こそが、発狂した都市に生息する、発狂した驕児の姿であり、その愚かな姿の報道を許可したのが文化庁である。
(かつては内務省警保局図書課であった。)
これがかつての一等国である日本の姿だと思うと、実に悲しい限りである。
実に愚かしい話である。
そんなわけで、以上、管内紀尾井町でικμτ。