八王子から帰ってきた後、酒を飲んで薬を飲まなかった。
つまり生の分裂病状態にして、私が何を言いたいか聞いてみた。
そしたら「自分と括弧付きの近しい人たちとの人間関係の不平等」にあったと言うことだ。
それで彼女さんを誤解してと大げんかして、別れてしまったが。
話を元に戻すね。
その不平等に対して、私は怒れる人だったのだ。
マジで。
つまり私は自分と括弧付きの近しい人たちの人間関係における不平等に不満を持っていたのだ。
ぶっちゃけ、そんな風に感じている人間とは距離を置きたいであろう。
てめえは俺に愚痴をこぼす、が、俺の愚痴は聞かない。
てめえはてめえのトラブルに人を巻き込む、が、人のトラブルには手を貸さない。
こんなやつは人に嫌われて、誰にも相手にされなくなること請け合いだ。
誰のこととは言わないが。
が、人をそんな風に扱う人たちは現実社会において人に嫌われて相手にされないから、私のようなお人好しに近づいて利用して食い物にする。
この感じ方はきつい。
当たり前だ。
これ以上自分の価値を値引きした感じ方はないし、近しい人に失礼だからだ。
実際問題、私にとって近しい人々が本当に私をこんな風に扱っていたのか、私の妄想なのか、検証するすべはない。
それは神のみぞ知ると言うことである。
実は反虫けら主義者との非和解な闘争というのは、加藤諦三氏の言う「利用者」との心理的な闘争、私を愛する局の存在証明という言葉は、私の味方がいるかどうかの、切実な証明問題だったのである。
それは市川拓司氏の小説に出てくる「大勢の敵に囲まれ、たった一人で戦っている兵士。」という文章に共感を覚え、チャムである親友、そして初恋の恋人に求める若い読者の心理だ。
実は軽症化した分裂病患者が増えてきた理由は、受験競争によるチャムシップの欠如と、ジェンダーに思想によって性差のなくなった思春期男女の当然の心の痛みによるものだと私は考える。
古い時代の、あのとりつく島のない分裂病患者の主張がなんだったのかは、私にはわからない。
彼らと時代を共有していないからである。
やっぱり人間は動物である。
強い男性に庇護され、優しい女性にいたわられたいという要求は、いくら左翼の言うジェンダー思想にとち狂った男女でも、潜在的に求める、当然の要求だからである。
それは親友ハローさんと認識を共有する次第である。
あ、ハローさんは先輩か。
ごめん。
まあ、IKMT語の、
反虫けら主義者との非和解的な闘争。
そして私を愛する局の存在証明。
これが分裂病患者の主張なのか、発達障害者の切実な要求なのか、IKMTにはわからない。
が、俺や俺の仲間は、いつもたった一人で大勢の敵と戦い、一緒に戦ってくれる味方や、いたわってくれる優しい異性を求めているのである。
どこかで書いた、横っ面をひっぱたく女神はいらねー。
やっぱ女神様は微笑んでくれなきゃね。
そんなわけでございます。
以上、IKMT。