私の目から見て、私の母は私の父を軽蔑し拒絶しているかのように見えた。
そして私の母が私の父を虐待してるかのように見えた。
もしそれが事実なら、私が生まれることなく、私の妹が生まれるはずがないのであるが。
このことはかつて私と遊んでくれたお姉さんが言っていた。
「もし夫婦が不仲なら、お姉ちゃんだけ産んで、私やお兄ちゃんを産まなければいいのに。」という言葉である。
さて、このような家庭環境の元に育った私にとって、私の出生は決して周囲、いやさ親に祝福されたものではなく、呪われたものであるという考え。
これに行き着くことはたやすい。
なぜならもし私が生まれていなければ、親は簡単に離婚でき、第二の人生を歩むことができるからである。
絶えず親の幸せのために自分の出生を呪う。
これが意識化できない心の奥底の自己呪詛として存在すれば、生きるのが楽しいわけがない。
なぜなら、親の犠牲の下に、自分の生があるからである。
これは自己中心的な人、あるいは自分の罪を直視しない人にとっては理解不能であろう。
まあ、無用な争いは避けるが、私の周りにおける統合失調症患者の主張を聞けば、自分の出生に対する呪詛があったことは書いておこう。
それだけ子供にとって、両親の不仲、あるいは片親のずるさというのは、子供の心にとって致命的なとげになることをここに書いておこう。
以上、IKMT。