目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

昭和には昭和の意地がある。

2022-07-06 23:43:44 | いけてつ独り言
なめられたもんだなあ。
馬鹿にされたもんだなあ。
昭和よ。

俺たち昭和生まれは、きちんと明治や大正に敬意を払ってきたつもりだったが、平成っ子って、昭和に敬意を払わないんだなあ。

なんか傷つく。

大体昭和にいちゃもんをつけるのって、平成生まれだろう?
一番年上と言っても、令和生まれはまだ四つだから。

繰り返し言う。
俺たち昭和生まれは、明治大正にはきちんと敬意を払ってきた。
あからさまに昭和を侮辱するのはやめろ。
俺たち昭和生まれは、あからさまに明治や大正を馬鹿にするようなまねはしてこなかったはずだから。

それに平成がたのみとするお金は、所得倍増計画や日本列島改造論のころの昭和が稼いだ金だから。

以上である。

わたしゃ疲れた。寝る。

2022-07-06 14:03:30 | いけてつ独り言
生まれてこの方、楽しいと思ったことなんて、一度もなかった。

人に小馬鹿にされいじめられてきた半生。
その埋め合わせに、なんか楽しいことが待っていると思って生きてきたけどもう限界。

俺みたいな半生を送ってきた人に、冥土の土産に楽しい思いをさせてあげたいと思う優しい人は、父親の最晩年にそうしてあげた母と妹。

その母だって、不肖の息子である私のせいで孫の顔すら見られない有様です。

そもそも神が慈悲なる存在だったら、こんな運命を人に背負わせることなんかあり得ない。

そもそも阿弥陀が慈悲のある存在だったら、死んだ後に極楽浄土に送るんじゃなくて、今すぐ弥陀を信じる人を、すべて極楽に往生させろと言いたい。

そもそも赤の他人であるエホバや弥陀の言っていることなんて信じられるわけないじゃないですか。

死んだ後じゃなくて、今すぐ俺を救ってみろ、不幸な人たちを救ってみろと言いたい。

それでも五体満足で、三度の飯にありついているじゃないかというのは、そういえばそうですが、これは単なる神や弥陀の弁護。

神や弥陀の弁護を始めた時点で、その教えは何の力もないアヘンなんです。

なんかね、俺自身つらい分、つらく悲しい思いをしている人たちをよくしてあげたいと頑張ってきたけど、もう我慢の限界だし、俺自身溺れそうだし。

疲れました。
わたしゃ疲れた。寝る。


反撃回路と謝罪回路。

2022-07-06 10:52:43 | いけてつオタク話
患者は優しくて口下手だ。
優しいから人を切ることができない。
口下手だから有効な抗議もできない。

簡単に言えば、反撃的自己が育ってはいないのだ。
反撃的な自己が育っていない人は、大体の人が謝罪的自己も育っていないから、逆ギレする。

それは保証する。

メンタルサービスの利用者を見ていると、よくわかることであるが。

私も病がひどかった頃、手足を縛られてフルボッコにされている感じがあった。
あたかも人間サンドバッグにでもされたかのような感じ方をしていた。

それを医者に話しても、妄想と決めつけられ、動けなくなるほどに薬を出されるのがオチだった。

これがメンタルのプロの実相である。

実は患者は劣勢なる自分の生存闘争に対する味方がほしいのだ。
健常者と呼ばれる人たちには友達という当てになる味方がいる。

患者と呼ばれる人たちにそういう味方がいるなら、不登校になったり、職を転々としたりはしない。

孤立無援と感じているから、いわゆる依存の対象に溺れるのだ。
依存することによって、つかの間の間、心の痛みから目をそらすことができるからだ。

患者仲間というのは当てにならない。
実は図々しくて厚かましい患者が、おとなしい患者を食い物にするために近づいてくるパターンがほとんどだからだ。

そんな話は、メンタルサービスを受けている人たちには、よくおわかりのことだろう。

そこら辺の構造を諦めてうまく受け流すか、有効な抗議方法を見つけて対応するか、そこら辺はその患者さんの気質にもよることだろう。

そこら辺がうまくできていれば、メンタル患者なんて因果な商売は最初からやってはいないのだ。

この反撃的自己ないし対象と謝罪的自己ないし対象の育成こそ、ある種のメンタル疾患の治療には有効だ。

が、反撃回路と謝罪回路は別々の治療者が同時に育成しなければならない。
なぜなら患者の反撃に対して医師が謝罪することによって患者の反撃回路は育成され、医師の突っ込みに対して患者が謝罪することで患者の謝罪回路は育成されるが、謝罪しかつ反撃すると言うことは、同一治療者が同時に行うことは不可能だからである。

そしてこれは理想で人の気質もあるから、いっぺんに両方作るというのはどだい無理なのかもしれない。

そんなことを思ったIKMTであった。