患者は優しくて口下手だ。
優しいから人を切ることができない。
口下手だから有効な抗議もできない。
簡単に言えば、反撃的自己が育ってはいないのだ。
反撃的な自己が育っていない人は、大体の人が謝罪的自己も育っていないから、逆ギレする。
それは保証する。
メンタルサービスの利用者を見ていると、よくわかることであるが。
私も病がひどかった頃、手足を縛られてフルボッコにされている感じがあった。
あたかも人間サンドバッグにでもされたかのような感じ方をしていた。
それを医者に話しても、妄想と決めつけられ、動けなくなるほどに薬を出されるのがオチだった。
これがメンタルのプロの実相である。
実は患者は劣勢なる自分の生存闘争に対する味方がほしいのだ。
健常者と呼ばれる人たちには友達という当てになる味方がいる。
患者と呼ばれる人たちにそういう味方がいるなら、不登校になったり、職を転々としたりはしない。
孤立無援と感じているから、いわゆる依存の対象に溺れるのだ。
依存することによって、つかの間の間、心の痛みから目をそらすことができるからだ。
患者仲間というのは当てにならない。
実は図々しくて厚かましい患者が、おとなしい患者を食い物にするために近づいてくるパターンがほとんどだからだ。
そんな話は、メンタルサービスを受けている人たちには、よくおわかりのことだろう。
そこら辺の構造を諦めてうまく受け流すか、有効な抗議方法を見つけて対応するか、そこら辺はその患者さんの気質にもよることだろう。
そこら辺がうまくできていれば、メンタル患者なんて因果な商売は最初からやってはいないのだ。
この反撃的自己ないし対象と謝罪的自己ないし対象の育成こそ、ある種のメンタル疾患の治療には有効だ。
が、反撃回路と謝罪回路は別々の治療者が同時に育成しなければならない。
なぜなら患者の反撃に対して医師が謝罪することによって患者の反撃回路は育成され、医師の突っ込みに対して患者が謝罪することで患者の謝罪回路は育成されるが、謝罪しかつ反撃すると言うことは、同一治療者が同時に行うことは不可能だからである。
そしてこれは理想で人の気質もあるから、いっぺんに両方作るというのはどだい無理なのかもしれない。
そんなことを思ったIKMTであった。